新橋演舞場 新春大歌舞伎(市川右團次襲名昼の部) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
新橋演舞場で今月、
市川右近が市川右團次を襲名する。
襲名披露興行が行われています。
その昼の部に足を運びました。
夜の部はまた後日足を運ぶ予定です。
襲名は大変お目出度いことですが、
右近さんは澤瀉屋を離れ高嶋屋に屋号が変わります。
春猿さんも新派に移るようですし、
先代猿之助(猿翁)が作り上げた猿之助一座が、
徐々に解体に向かっているように見えるのが、
先代猿之助のファンとしては、
複雑な思いもあります。
当代の猿之助さんは、
自分の舞台には浅野和之さんや佐々木蔵之助さんなど、
歌舞伎以外の役者さんを重用していて、
猿之助一座大活躍というような感じに、
なっていないことが残念に思います。
色々と事情はあるのでしょうが、
猿翁の一座がそのまま引き継がれ、
よりパワーアップされることを、
ファンとしては期待していましたし、
その中心に猿之助さんと中車さんにいて欲しかったので、
今の状況は個人的には残念です。
さて、今回の公演の昼の部は、
「雙生隅田川」で、
元は近松門左衛門の浄瑠璃ですが、
長く歌舞伎としての上演は絶えていたものを、
昭和51年に先代猿之助が復活上演したものです。
そうは言ってもこうした復活上演というのは、
古い台本をそのまま上演するのではなく、
かなり大きくアレンジされているものなので、
実際には創作の部分が多いのです。
この作品については、
これまでに先代猿之助により、
3回の上演が行われていますが、
そのたびに台本にも改訂が加えられていて、
決定版というべきものがある訳ではありません。
今回の上演も再度改訂が加えられているようです。
単独や他の作品の一部としても、
上演されることの多い場面である、
能の「隅田川」を元にした舞踊と、
鯉と人間が立ち回る「鯉つかみ」という趣向が、
オリジナルとして含まれている、
という点がこの作品のポイントで、
それに加えて2幕としてピックアップされている、
「惣太住家の場」がなかなか歌舞伎劇として面白く、
観られて良かったと思いました。
この場面はある大望があって、
心ならずも悪に手を染めていた主人公が、
因果の報いを受け、
自分の本心を語って自害するという、
歌舞伎劇としては典型的な場面ですが、
この作品ではその悪事というのが、
自分の主君の子供を、
人買いとして折檻した上に殺してしまう、
というかなり取り返しのつかないもので、
その上にかつて自分が使いこんだ、
1万両という大金を贖うために、
悪事を重ねて大金をため込んでいて、
それがあばら家のあちこちの隠し場所から、
大判小判の山となって溢れ出し、
その金塊の山の上で切腹する、
という壮絶な場面に結実します。
更に最後は死を掛けた願いにより、
死して魂魄が天狗に転生して飛び立つという、
現代劇では決してない荒唐無稽なラストに繋がります。
これは埋もれるには惜しい、
荒唐無稽の極みのような名場面で、
それを襲名する右團次と海老蔵、笑也の3人が、
濃密に演じていたのが素晴らしく感じました。
元々は先代猿之助が複数の役を早変わりを含めて演じる、
奮闘興行であったものを、
今回当代猿之助は自分の得意な舞踊劇の部分のみを演じ、
それ以外は右團次に任せるという配役で、
こうしたスタイルが、
今後の先代猿之助歌舞伎の継承としては、
無理のないものなのかも知れません。
惜しむらくは、
全体をしっかり見ている演出家が不在のために、
トータルな作品としては綻びが多かったのが残念でした。
当代猿之助さんには、
せめてこうした作品を上演する際には、
演出として細部に目を配って欲しいな、
と思いました。
ただ、そうしたくても出来ない事情があるのかも知れず、
一観客であり一ファンとしては、
今後の舞台を見守る以外にはないようにも思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
新橋演舞場で今月、
市川右近が市川右團次を襲名する。
襲名披露興行が行われています。
その昼の部に足を運びました。
夜の部はまた後日足を運ぶ予定です。
襲名は大変お目出度いことですが、
右近さんは澤瀉屋を離れ高嶋屋に屋号が変わります。
春猿さんも新派に移るようですし、
先代猿之助(猿翁)が作り上げた猿之助一座が、
徐々に解体に向かっているように見えるのが、
先代猿之助のファンとしては、
複雑な思いもあります。
当代の猿之助さんは、
自分の舞台には浅野和之さんや佐々木蔵之助さんなど、
歌舞伎以外の役者さんを重用していて、
猿之助一座大活躍というような感じに、
なっていないことが残念に思います。
色々と事情はあるのでしょうが、
猿翁の一座がそのまま引き継がれ、
よりパワーアップされることを、
ファンとしては期待していましたし、
その中心に猿之助さんと中車さんにいて欲しかったので、
今の状況は個人的には残念です。
さて、今回の公演の昼の部は、
「雙生隅田川」で、
元は近松門左衛門の浄瑠璃ですが、
長く歌舞伎としての上演は絶えていたものを、
昭和51年に先代猿之助が復活上演したものです。
そうは言ってもこうした復活上演というのは、
古い台本をそのまま上演するのではなく、
かなり大きくアレンジされているものなので、
実際には創作の部分が多いのです。
この作品については、
これまでに先代猿之助により、
3回の上演が行われていますが、
そのたびに台本にも改訂が加えられていて、
決定版というべきものがある訳ではありません。
今回の上演も再度改訂が加えられているようです。
単独や他の作品の一部としても、
上演されることの多い場面である、
能の「隅田川」を元にした舞踊と、
鯉と人間が立ち回る「鯉つかみ」という趣向が、
オリジナルとして含まれている、
という点がこの作品のポイントで、
それに加えて2幕としてピックアップされている、
「惣太住家の場」がなかなか歌舞伎劇として面白く、
観られて良かったと思いました。
この場面はある大望があって、
心ならずも悪に手を染めていた主人公が、
因果の報いを受け、
自分の本心を語って自害するという、
歌舞伎劇としては典型的な場面ですが、
この作品ではその悪事というのが、
自分の主君の子供を、
人買いとして折檻した上に殺してしまう、
というかなり取り返しのつかないもので、
その上にかつて自分が使いこんだ、
1万両という大金を贖うために、
悪事を重ねて大金をため込んでいて、
それがあばら家のあちこちの隠し場所から、
大判小判の山となって溢れ出し、
その金塊の山の上で切腹する、
という壮絶な場面に結実します。
更に最後は死を掛けた願いにより、
死して魂魄が天狗に転生して飛び立つという、
現代劇では決してない荒唐無稽なラストに繋がります。
これは埋もれるには惜しい、
荒唐無稽の極みのような名場面で、
それを襲名する右團次と海老蔵、笑也の3人が、
濃密に演じていたのが素晴らしく感じました。
元々は先代猿之助が複数の役を早変わりを含めて演じる、
奮闘興行であったものを、
今回当代猿之助は自分の得意な舞踊劇の部分のみを演じ、
それ以外は右團次に任せるという配役で、
こうしたスタイルが、
今後の先代猿之助歌舞伎の継承としては、
無理のないものなのかも知れません。
惜しむらくは、
全体をしっかり見ている演出家が不在のために、
トータルな作品としては綻びが多かったのが残念でした。
当代猿之助さんには、
せめてこうした作品を上演する際には、
演出として細部に目を配って欲しいな、
と思いました。
ただ、そうしたくても出来ない事情があるのかも知れず、
一観客であり一ファンとしては、
今後の舞台を見守る以外にはないようにも思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2017-01-09 15:40
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