和束弥勒摩崖仏(2017年再撮影) [仏像]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日はまだクリニックは休診ですが、
グループホームの診療などには廻る予定です。
今日はお正月に奈良でお逢いした、
摩崖仏の画像を観て頂きます。
石仏というのは藝術性は高くても、
風雨にさらされるという特性から、
お堂の中などに安置される仏像より、
風化して消滅することが遥かに多い、
極めて儚い藝術です。
その中でも摩崖仏というのは、
崖の岩のそのまま彫り込まれたものなので、
よりその儚さが強いのです。
街道に目印で置くような小さな石仏は、
特に室町時代の後期からは大量に造仏されるようになります。
これは工房で作られるようなものなので、
商品として作られるようになり、
今作られるものとそれほど変わりはありません。
魂の籠ったもの、と言う感じはあまりしないのです。
矢張り石仏が素晴らしいのは、
室町時代の初期より以前、
より狭めれば鎌倉時代までの石仏です。
ただ、はっきりと鎌倉時代以前に造仏された石仏というのは、
そうざらに残っているものではありません。
その中でも素晴らしい仏様の1つが、
今日ご紹介する和束弥勒摩崖仏です。
和束町は京都南方、宇治市に近い位置にある、
川沿いの小さな町で、
お茶の産地として知られているところですが、
川沿いの抜群のロケーションの岩肌に、
見事な石仏が刻まれています。
そのお姿がこちらです。
前回対面したのは2013年のお正月のことでした。
その時は道も整備されておらずに立札などもありませんでした。
それが今回は川沿いの道が整備されていて、
立札も何か所かに設置されていました。
こちらをご覧ください。
のどかなお茶の畑に沿って、
整備された道が続いています。
でも石仏の周囲は簡単な柵があるだけで、
その辺も自然の雰囲気を壊しすぎずに悪くないのです。
僕が考える良いロケーションの摩崖仏というのは、
遠景があって、
それから近接した見上げもある、
ということです。
その両方がここにはあります。
遠景の画像をもう1枚見て頂きます。
こちらです。
遠くから最初に見えるこの風景が感動的です。
自然物と岩と木々の緑と苔むす岩の中に、
仏様のお姿を見つける瞬間が感動なのです。
大きさは画像では分かりにくいと思いますが、
光背などを含めれば⑦メートル近い大きさがあります。
日本の石仏は概ね小さく、
古仏でここまで大きなものは非常にまれです。
そして、少しずつ近づきます。
以前は石仏の彫り込まれた岩の正面に、
足場のようなものが組まれていたのですが、
それが今回は取り外されています。
そのために、柵の内側からだと、
今は横から石仏を拝見するしかないのですが、
正面に廻ることも出来るようにはなっています。
目の前での見上げがこちらです。
これが室町後期以降の石仏にはない、
古仏の大らかな描線です。
見にくいのですが右側に碑文が刻まれています。
こちらです。
ちょっと読めませんが、
1300年に造仏されたことが刻まれています。
このように、鎌倉時代に作られたことが確実、
という摩崖仏は実際にはほとんどありません。
国宝に認定されてもおかしくないと個人的には思いますが、
石仏が重要文化財や国宝になることは、
実際にはほとんどありません。
最後にもう1枚お顔のアップを見て頂きます。
素晴らしいですよね。
最高です。
いつ消え失せるか分からない儚い藝術です。
でもだからこその魅力、
摩耗していつかは自然に帰るという無常感が、
それだけに心を打つのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日はまだクリニックは休診ですが、
グループホームの診療などには廻る予定です。
今日はお正月に奈良でお逢いした、
摩崖仏の画像を観て頂きます。
石仏というのは藝術性は高くても、
風雨にさらされるという特性から、
お堂の中などに安置される仏像より、
風化して消滅することが遥かに多い、
極めて儚い藝術です。
その中でも摩崖仏というのは、
崖の岩のそのまま彫り込まれたものなので、
よりその儚さが強いのです。
街道に目印で置くような小さな石仏は、
特に室町時代の後期からは大量に造仏されるようになります。
これは工房で作られるようなものなので、
商品として作られるようになり、
今作られるものとそれほど変わりはありません。
魂の籠ったもの、と言う感じはあまりしないのです。
矢張り石仏が素晴らしいのは、
室町時代の初期より以前、
より狭めれば鎌倉時代までの石仏です。
ただ、はっきりと鎌倉時代以前に造仏された石仏というのは、
そうざらに残っているものではありません。
その中でも素晴らしい仏様の1つが、
今日ご紹介する和束弥勒摩崖仏です。
和束町は京都南方、宇治市に近い位置にある、
川沿いの小さな町で、
お茶の産地として知られているところですが、
川沿いの抜群のロケーションの岩肌に、
見事な石仏が刻まれています。
そのお姿がこちらです。
前回対面したのは2013年のお正月のことでした。
その時は道も整備されておらずに立札などもありませんでした。
それが今回は川沿いの道が整備されていて、
立札も何か所かに設置されていました。
こちらをご覧ください。
のどかなお茶の畑に沿って、
整備された道が続いています。
でも石仏の周囲は簡単な柵があるだけで、
その辺も自然の雰囲気を壊しすぎずに悪くないのです。
僕が考える良いロケーションの摩崖仏というのは、
遠景があって、
それから近接した見上げもある、
ということです。
その両方がここにはあります。
遠景の画像をもう1枚見て頂きます。
こちらです。
遠くから最初に見えるこの風景が感動的です。
自然物と岩と木々の緑と苔むす岩の中に、
仏様のお姿を見つける瞬間が感動なのです。
大きさは画像では分かりにくいと思いますが、
光背などを含めれば⑦メートル近い大きさがあります。
日本の石仏は概ね小さく、
古仏でここまで大きなものは非常にまれです。
そして、少しずつ近づきます。
以前は石仏の彫り込まれた岩の正面に、
足場のようなものが組まれていたのですが、
それが今回は取り外されています。
そのために、柵の内側からだと、
今は横から石仏を拝見するしかないのですが、
正面に廻ることも出来るようにはなっています。
目の前での見上げがこちらです。
これが室町後期以降の石仏にはない、
古仏の大らかな描線です。
見にくいのですが右側に碑文が刻まれています。
こちらです。
ちょっと読めませんが、
1300年に造仏されたことが刻まれています。
このように、鎌倉時代に作られたことが確実、
という摩崖仏は実際にはほとんどありません。
国宝に認定されてもおかしくないと個人的には思いますが、
石仏が重要文化財や国宝になることは、
実際にはほとんどありません。
最後にもう1枚お顔のアップを見て頂きます。
素晴らしいですよね。
最高です。
いつ消え失せるか分からない儚い藝術です。
でもだからこその魅力、
摩耗していつかは自然に帰るという無常感が、
それだけに心を打つのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2017-01-04 06:32
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コメント(4)
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この記事を拝見した後、先生の仏像のカテゴリを一挙に拝見させていただきました。
2013年1月3日の記事の再訪なのですね。
足場のありなしや良いふうに整備されたところ等、見比べてみることができました。
何より石仏に心洗われました。ありがとうございます。
by ゆま (2017-01-04 11:56)
石原先生、新年おめでとうございます。
随分、難易度高そうな場所に彫ったものですね。
ご苦労さん…という気持ちになります。
夜はライトアップされる予定はないんでしょうか。
風化してボロボロになり、自然と一体化しかけた姿も、いいものでしょうね。
600年も前に造られたもの、ということで、
膨大な時の流れを感じて、不思議な気分になるのが心地良いです。
その時代の人がどういうセンスを持っていたのか、など、
細部まで観察して、勝手にいろいろ想像してしまいます。
by 恵子 (2017-01-04 14:14)
ゆまさんへ
コメントありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
by fujiki (2017-01-05 10:37)
恵子さんへ
コメントありがとうございます。
ライトアップなどはなく、
あまり観光地化されていないのが、
魅力なのかも知れません。
摩崖仏は登山道にあったり、
結構不便な場所が多いのが辛いのですが、
この仏様は国道からすぐなのも助かります。
by fujiki (2017-01-05 10:41)