藤田貴大「ロミオとジュリエット」(シェイクスピア原作) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診ですが、
老人ホームの診療などは休まず行う予定です。
今日は祝日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
今飛ぶ鳥を落とす勢いの「マームとジプシー」を主宰する、
藤田貴大さんが、
東京芸術劇場とのコラボで、
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を、
ズタズタに切り刻んで、
パッチワークのように再構成し、
1時間45分ほどにまとめた舞台が、
先日まで東京芸術劇場のプレイハウスで上演されました。
「マームとジプシー」は観るようになったのは最近で、
「Cocoon」の再演が最初です。
それから先日のさいたまでの過去作品を再構成したような舞台も観ました。
その昔アングラの頃に、
「理解不能の芝居」としてよくパロディ化されたような、
意味不明の言葉を叫んだり繰り返したりして、
そこに様式的な動きを付けるような感じの芝居で、
当時は実際にはそうした芝居はあまりなく、
おそらくはモデルになったであろう早稲田小劇場も、
もう少し物語性があったのですが、
今回の舞台などは、
そのかつてのパロディ通りのもので、
シェイクスピアの台詞をバラバラに解体して、
同じ遣り取りや台詞を執拗に繰り返し、
ダンスと言うには下手くそで、
日常的な動きと言うのは不自然な動作を、
これも執拗に繰り返します。
それでは面白くないのかと言うと、
それは決してそうではなく、
最初に「マームとジプシー」を観た時には、
かなり詰まらない、と感じたのですが、
何度か観ると大分やり口が分かって来るので、
ははあ、また物語から遊離した人を1人おいて、
途中で詩を朗読したりするやつだな、
というように予測が付き、
そうなってみると、
意外にそれが心地良く、
正攻法とはとても言えないし、
決して好きではないのですが、
それなりの面白みはあるのです。
原作があるものだと、
それをバラバラにして再構成するので、
元の作品を理解していないと、
その面白さも理解出来ません。
今回はシェイクスピアで、
これまで何度か舞台にも接し、
映画も見ているので、
比較的理解のハードルは低く、
まずは興味深く観ることが出来ました。
以下ネタバレを含む感想です。
舞台には折り畳み式の壁が置かれ、
役者はメインの配役は若い女優さんが演じ、
男優は脇役とそのほか大勢、そして、
大道具を動かしたりの裏方を演じています。
衣装も男優は黒子的なものですが、
女優さんの衣装は、
シェイクスピアを現代で上演するにおいて、
割と標準的なスタイルのものです。
台詞は基本的には原作の台詞を、
一旦バラバラにして再構成したもので、
時系列もバラバラにされていて、
一旦2人が相次いで死ぬラストに至るのですが、
そこから再び死ぬ前の場面に戻り、
フラッシュバックのように、
何度も過去と未来が反復されます。
原作の1幕4場の町中で、
ロミオとマキューシオが、
夢と正夢についての何気ない会話をするのですが、
それが執拗に反復され、
夢と現実と未来というのが、
何度も何度も登場して、
この舞台の通底音となっています。
夢を操るマブの女王がそこからクローズアップされ、
原作にある11年前の大地震という台詞が、
震災の記憶を引き寄せて、
背後に瓦礫の山が登場したりもします。
原作の登場人物以外に、
ひよちゃんという日本の少女が登場し、
マブの女王に関わる詩を舞台で朗読し、
舞台から客席に飛び降りるという形で、
自死を遂げるという、
オリジナルのパートも差し挟まれます。
昔のアングラの感覚では、
ひよちゃんがロミオとジュリエットの夢を見た、
というような相対化が、
明確に舞台上で視覚化されるのですが、
今回の藤田さんの舞台では、
ある種のイメージの深層の連鎖として、
そうした日本の情景が差し挟まれるだけで、
特に重要視はされることなく、
イメージの1つとして提示されるに留まっています。
また、ロミオがティボルトを殺す場面は、
そこのみが過激に執拗に反復され、
これも現代の少年のリンチ殺人などを、
想起させるように演じられています。
要するに「ロミオとジュリエット」の世界を、
イメージの中で現在と結び付けようとする、
藤田さんのイメージの世界、深層心理の世界が、
そのままに展開されているような作品で、
その混沌を楽しめるかどうかが、
この作品の個人の評価、
ということになるのかも知れません。
役者は意図的な棒読みと機械的な身体表現による、
女優陣の魅力がその多くを占めていて、
ロミオ役の青柳いづみさんや、
パリス役の川崎いずみさん、
可憐なジュリエットの豊田エリーさんなどは、
確かに魅力的で心に残ります。
その一方で棒読みでない普通の芝居をする部分は、
かなり稚拙な演技がイライラします。
特にジュリエットが死んだと分かる時の、
キャピレットと乳母の芝居などは、
あまりに稚拙で台無しに感じました。
こうしたところは、
仮に意図的であるとすれば大失敗で、
何とかして欲しいと思います。
トータルには藤田版シェイクスピアとして、
悪くない上演でしたが、
このままではあまりに未成熟で中途半端にも思い、
ラストが野田マップそっくりというのも、
如何なものかな、という気はします。
この路線であれば、
より進化したものを、
今後は見せて欲しいと思いました。
頑張って下さい。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診ですが、
老人ホームの診療などは休まず行う予定です。
今日は祝日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
今飛ぶ鳥を落とす勢いの「マームとジプシー」を主宰する、
藤田貴大さんが、
東京芸術劇場とのコラボで、
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を、
ズタズタに切り刻んで、
パッチワークのように再構成し、
1時間45分ほどにまとめた舞台が、
先日まで東京芸術劇場のプレイハウスで上演されました。
「マームとジプシー」は観るようになったのは最近で、
「Cocoon」の再演が最初です。
それから先日のさいたまでの過去作品を再構成したような舞台も観ました。
その昔アングラの頃に、
「理解不能の芝居」としてよくパロディ化されたような、
意味不明の言葉を叫んだり繰り返したりして、
そこに様式的な動きを付けるような感じの芝居で、
当時は実際にはそうした芝居はあまりなく、
おそらくはモデルになったであろう早稲田小劇場も、
もう少し物語性があったのですが、
今回の舞台などは、
そのかつてのパロディ通りのもので、
シェイクスピアの台詞をバラバラに解体して、
同じ遣り取りや台詞を執拗に繰り返し、
ダンスと言うには下手くそで、
日常的な動きと言うのは不自然な動作を、
これも執拗に繰り返します。
それでは面白くないのかと言うと、
それは決してそうではなく、
最初に「マームとジプシー」を観た時には、
かなり詰まらない、と感じたのですが、
何度か観ると大分やり口が分かって来るので、
ははあ、また物語から遊離した人を1人おいて、
途中で詩を朗読したりするやつだな、
というように予測が付き、
そうなってみると、
意外にそれが心地良く、
正攻法とはとても言えないし、
決して好きではないのですが、
それなりの面白みはあるのです。
原作があるものだと、
それをバラバラにして再構成するので、
元の作品を理解していないと、
その面白さも理解出来ません。
今回はシェイクスピアで、
これまで何度か舞台にも接し、
映画も見ているので、
比較的理解のハードルは低く、
まずは興味深く観ることが出来ました。
以下ネタバレを含む感想です。
舞台には折り畳み式の壁が置かれ、
役者はメインの配役は若い女優さんが演じ、
男優は脇役とそのほか大勢、そして、
大道具を動かしたりの裏方を演じています。
衣装も男優は黒子的なものですが、
女優さんの衣装は、
シェイクスピアを現代で上演するにおいて、
割と標準的なスタイルのものです。
台詞は基本的には原作の台詞を、
一旦バラバラにして再構成したもので、
時系列もバラバラにされていて、
一旦2人が相次いで死ぬラストに至るのですが、
そこから再び死ぬ前の場面に戻り、
フラッシュバックのように、
何度も過去と未来が反復されます。
原作の1幕4場の町中で、
ロミオとマキューシオが、
夢と正夢についての何気ない会話をするのですが、
それが執拗に反復され、
夢と現実と未来というのが、
何度も何度も登場して、
この舞台の通底音となっています。
夢を操るマブの女王がそこからクローズアップされ、
原作にある11年前の大地震という台詞が、
震災の記憶を引き寄せて、
背後に瓦礫の山が登場したりもします。
原作の登場人物以外に、
ひよちゃんという日本の少女が登場し、
マブの女王に関わる詩を舞台で朗読し、
舞台から客席に飛び降りるという形で、
自死を遂げるという、
オリジナルのパートも差し挟まれます。
昔のアングラの感覚では、
ひよちゃんがロミオとジュリエットの夢を見た、
というような相対化が、
明確に舞台上で視覚化されるのですが、
今回の藤田さんの舞台では、
ある種のイメージの深層の連鎖として、
そうした日本の情景が差し挟まれるだけで、
特に重要視はされることなく、
イメージの1つとして提示されるに留まっています。
また、ロミオがティボルトを殺す場面は、
そこのみが過激に執拗に反復され、
これも現代の少年のリンチ殺人などを、
想起させるように演じられています。
要するに「ロミオとジュリエット」の世界を、
イメージの中で現在と結び付けようとする、
藤田さんのイメージの世界、深層心理の世界が、
そのままに展開されているような作品で、
その混沌を楽しめるかどうかが、
この作品の個人の評価、
ということになるのかも知れません。
役者は意図的な棒読みと機械的な身体表現による、
女優陣の魅力がその多くを占めていて、
ロミオ役の青柳いづみさんや、
パリス役の川崎いずみさん、
可憐なジュリエットの豊田エリーさんなどは、
確かに魅力的で心に残ります。
その一方で棒読みでない普通の芝居をする部分は、
かなり稚拙な演技がイライラします。
特にジュリエットが死んだと分かる時の、
キャピレットと乳母の芝居などは、
あまりに稚拙で台無しに感じました。
こうしたところは、
仮に意図的であるとすれば大失敗で、
何とかして欲しいと思います。
トータルには藤田版シェイクスピアとして、
悪くない上演でしたが、
このままではあまりに未成熟で中途半端にも思い、
ラストが野田マップそっくりというのも、
如何なものかな、という気はします。
この路線であれば、
より進化したものを、
今後は見せて欲しいと思いました。
頑張って下さい。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。
誰も教えてくれなかった くすりの始め方・やめ方: ガイドラインと文献と臨床知に学ぶ
- 作者: 石原藤樹
- 出版社/メーカー: 総合医学社
- 発売日: 2016/10/28
- メディア: 単行本
2016-12-23 08:35
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コメント(2)
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1月に京都の劇団「地点」がロミオとジュリエットを早稲田大隈講堂でやります。好みがわかれる劇団ですがお勧めいたします。
by 60年代生まれ (2016-12-24 08:38)
60年代生まれさんへ
情報ありがとうございます。
またお勧めの劇団がありましたら是非教えて下さい。
by fujiki (2017-01-05 10:31)