石井岳龍「蜜のあわれ」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日2本目の記事は映画の話題です。
それがこちら。
室生犀星の昭和30年代に書かれた晩年の小説を、
石井岳龍(石井聰亙)さんが幻想的に映画化した作品が、
今映画館で上映されています。
これは原作は会話だけの作品で、
犀星自身がモデルの老作家が、
自分の持て余した性欲の対象として、
昼間は人間に変身する金魚を妄想して、
その妄想相手と対話する、という、
エロティックで詩的な怪作ですが、
作家自身それが妄想であることを承知しているので、
ちょっとメタフィクションのような趣があります。
原作は特に結末などはなく終わるのですが、
映画では原作の趣向は活かしつつ、
老作家の死までを描いて、
もう少し話を膨らませて結末を付けています。
これはなかなか面白い映画で、
鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」を、
彷彿とさせるような感じがあります。
老いと死とエロスがテーマになっていて、
幽霊も出来きますし、
ノスタルジックな風景を繊細に描きながら、
二階堂ふみさんの金魚が、
赤い衣装でヘンテコな踊りをするような、
遊び心もあります。
障子を開けると雨が降っていたり、
鏡が突然割れて、
そこに多くの女の顔が映る、
というような幻想的なカットもあります。
ただ、「ツィゴイネルワイゼン」のような、
全編を貫く「謎」がなくて、
現実の奥さんの声が聞こえてくるような、
思わせぶりなところはあるのですが、
全然別個の時空が不意に現れるような、
ミステリアスな部分が希薄であったことが、
個人的には少し残念でした。
せっかくここまでやったのなら、
もっと徹底してやって欲しかったな、
という思いはあるのです。
以下少しネタバレがあります。
原作は室生犀星自身が登場する訳ではないのですが、
映画ではほぼ室生犀星自身として、
老作家を描いています。
演じるのは大杉蓮さんですが、
意外に老年期の犀星に似ています。
昭和34年が舞台ということになっていますが、
雰囲気はもっと古い感じで、
大正モダニズムみたいな雰囲気もあります。
金魚を二階堂ふみさんが演じ、
幽霊を真木よう子さんが演じます。
ここまでは原作通りですが、
高良健吾さんが芥川龍之介の幽霊を演じ、
死んだ芥川と老作家が対話する、
という趣向は映画のオリジナルです。
芥川が犀星の詩に天才を見て嫉妬し、
犀星が芥川の死に衝撃を受けた、
という史実を巧みに取り込んでいて、
この趣向は面白いと思いますし、
演じる高良さんがまさに芥川そっくりです。
犀星は「蜜のあわれ」(原作は勿論「蜜のあはれ」です)を、
書き上げて数年後に肺癌で死ぬのですが、
映画では肺癌で余命が数ヶ月という診断を医師から受け、
それが金魚の妄想を生むきっかけであった、
という設定になっています。
原作は金魚との他愛のない対話のうちに幕が下りますが、
映画では愛憎の末に金魚を追い出し、
金魚の死が金魚屋から告げられ、
ラストは死んだ犀星の頭の中で、
金魚とダンスを踊るという素敵な妄想で幕が下ります。
実際には犀星には妻と娘がいて、
妻は卒中で死に、最後までその看病をしていたのですが、
妻か娘のどちらの声かは分かりませんが、
目に見えない「お父さん」という声が、
何度か聞かれるという場面もあります。
死と生の境が曖昧になる感じは、
なかなか素敵に描かれていて、
二階堂ふみさんも大杉蓮さんも、
着実にその世界を生きている感じがして素敵です。
ただ、もう少し幻想のほころびから無残な現実が覗くような感じが、
あった方が僕の好みではありました。
いずれにしても、
なかなか素敵な映画なので、
特に鈴木清順の幻想映画がお好きな方には、
お薦めしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日2本目の記事は映画の話題です。
それがこちら。
室生犀星の昭和30年代に書かれた晩年の小説を、
石井岳龍(石井聰亙)さんが幻想的に映画化した作品が、
今映画館で上映されています。
これは原作は会話だけの作品で、
犀星自身がモデルの老作家が、
自分の持て余した性欲の対象として、
昼間は人間に変身する金魚を妄想して、
その妄想相手と対話する、という、
エロティックで詩的な怪作ですが、
作家自身それが妄想であることを承知しているので、
ちょっとメタフィクションのような趣があります。
原作は特に結末などはなく終わるのですが、
映画では原作の趣向は活かしつつ、
老作家の死までを描いて、
もう少し話を膨らませて結末を付けています。
これはなかなか面白い映画で、
鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」を、
彷彿とさせるような感じがあります。
老いと死とエロスがテーマになっていて、
幽霊も出来きますし、
ノスタルジックな風景を繊細に描きながら、
二階堂ふみさんの金魚が、
赤い衣装でヘンテコな踊りをするような、
遊び心もあります。
障子を開けると雨が降っていたり、
鏡が突然割れて、
そこに多くの女の顔が映る、
というような幻想的なカットもあります。
ただ、「ツィゴイネルワイゼン」のような、
全編を貫く「謎」がなくて、
現実の奥さんの声が聞こえてくるような、
思わせぶりなところはあるのですが、
全然別個の時空が不意に現れるような、
ミステリアスな部分が希薄であったことが、
個人的には少し残念でした。
せっかくここまでやったのなら、
もっと徹底してやって欲しかったな、
という思いはあるのです。
以下少しネタバレがあります。
原作は室生犀星自身が登場する訳ではないのですが、
映画ではほぼ室生犀星自身として、
老作家を描いています。
演じるのは大杉蓮さんですが、
意外に老年期の犀星に似ています。
昭和34年が舞台ということになっていますが、
雰囲気はもっと古い感じで、
大正モダニズムみたいな雰囲気もあります。
金魚を二階堂ふみさんが演じ、
幽霊を真木よう子さんが演じます。
ここまでは原作通りですが、
高良健吾さんが芥川龍之介の幽霊を演じ、
死んだ芥川と老作家が対話する、
という趣向は映画のオリジナルです。
芥川が犀星の詩に天才を見て嫉妬し、
犀星が芥川の死に衝撃を受けた、
という史実を巧みに取り込んでいて、
この趣向は面白いと思いますし、
演じる高良さんがまさに芥川そっくりです。
犀星は「蜜のあわれ」(原作は勿論「蜜のあはれ」です)を、
書き上げて数年後に肺癌で死ぬのですが、
映画では肺癌で余命が数ヶ月という診断を医師から受け、
それが金魚の妄想を生むきっかけであった、
という設定になっています。
原作は金魚との他愛のない対話のうちに幕が下りますが、
映画では愛憎の末に金魚を追い出し、
金魚の死が金魚屋から告げられ、
ラストは死んだ犀星の頭の中で、
金魚とダンスを踊るという素敵な妄想で幕が下ります。
実際には犀星には妻と娘がいて、
妻は卒中で死に、最後までその看病をしていたのですが、
妻か娘のどちらの声かは分かりませんが、
目に見えない「お父さん」という声が、
何度か聞かれるという場面もあります。
死と生の境が曖昧になる感じは、
なかなか素敵に描かれていて、
二階堂ふみさんも大杉蓮さんも、
着実にその世界を生きている感じがして素敵です。
ただ、もう少し幻想のほころびから無残な現実が覗くような感じが、
あった方が僕の好みではありました。
いずれにしても、
なかなか素敵な映画なので、
特に鈴木清順の幻想映画がお好きな方には、
お薦めしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2016-04-10 11:12
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