刈馬演劇設計社「クラッシュ・ワルツ」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
名古屋を中心として活動している、
刈馬演劇設計社の代表作の1つ、
「クラッシュ・ワルツ」が、
今駒場アゴラ劇場で上演中です。
今回が再々演になります。
これは非常に気合の入った面白い作品で、
観て良かったと思いました。
3年前の交通事故の加害者と被害者が、
事故のあった交差点に面する家で顔を合わせます。
このシンプルである意味平凡な設定から、
果たしてどのような演劇的興奮が、
導かれるでしょうか?
刈馬カオスさんによる台本は、
ちょっと詰め込み過ぎの感はありますが、
重層的で巧みな構成力で、
観客の想像力を簡単に超えて見せます。
その内容は、
市井の一事件を扱いながら、
最近の社会問題から人間の精神のあり方まで、
非常に普遍的で俯瞰的な構図を見せます。
それでいて、何処かの劇団のように、
安易に昨今の事件や社会問題を、
そのまま取り上げるようなことはしていません。
その凛とした姿勢に、
非常に共感と感銘を受けました。
更には、
舞台上で女優さんが生着替えをして、
そこで舞台の空気感が一変するような、
鮮やかな演劇的な仕掛けもあります。
ただ、言葉がかなり硬くて、
全て直球勝負の感じなので、
レトリックの面白みが希薄に感じます。
別役実にしても岩松了にしても、
本筋に関わりのない表面的な会話や、
レトリックのようなもの、
ある言葉や行為に対する固執のようなものがあって、
それが作品に深みを与えているのですが、
この作品には基本的にそうしたところがなく、
生の感情がぶつけ合うだけで終わってしまうので、
劇作としての深みには乏しい、
という印象がありました。
もう少し遊びがあり、
もう少し説明されない部分が、
あっても良いのではないでしょうか。
劇作の素晴らしさと比較すると、
役者さんの演技や演出面は、
素人的なものを感じます。
演技は部分的に様式化されていて、
すり足的な動きをしたり、
激情を身体は固定したまま至近距離で吐き出したりと、
かなり演出されている印象で、
転位21時代の山崎哲演出のような雰囲気もあるのですが、
それが徹底されている訳ではなく、
5人の役者さんの演技の質はかなり違いますし、
バタバタと身体を動かして、
コミカルな表現を見せたりもするので、
トータルなバランスは、
あまり良いとは思えません。
刈馬さんは平田オリザさんのところに、
以前は在籍していたそうですが、
それでどうして、
このような不自然でバランスの悪い演技スタイルを好むのか、
ちょっと理解の出来ないようなところがあります。
舞台も布を使い白い花を散らした、
ちょっと様式的なものですが、
あまり効果的なものではなく、
特に舞台の後方を役者さんが横切る姿を見せるのは、
見え方も良くないので、
まずいと感じました。
照明も素人臭く、
特にラストのワルツの場面で、
沢山の色の明かりが無造作にバッと点くのは、
幾ら何でも…と思いました。
以下ネタバレを含む感想です。
3年前に信号や横断歩道のない交差点で、
若い女性が5歳の子供を、
交通事故で死なせてしまいます。
それからその交差点に、
1日も休むことなく、
犯人の女性は白い花を供えます。
しかし、交差点に面した家に住む中年の夫婦にとっては、
家をマンションに建て替える計画があり、
そこが交通事故の現場であることを示すような花の存在は、
風評被害でマンションの価値を落とす結果になります。
それで、夫婦が別々に、
白い花を手向けたと思われる若い女性を、
家に連れて来るのですが、
それが犯人の女性と、
同じくらいの年齢の、
死んだ子供の母親であったので、
ひょんなことから、
立場の違う2人の女性が、
その家で顔を合わせる事態になります。
そこに更に、
今は離婚している死んだ子供の父親も、
姿を現します。
交差点に面した家の男は、
風評被害になるので白い花を手向けることをやめて欲しい、
と加害者の女性に言いますが、
女性はそれには答えず、
被害者の父親は強行にそれに反対します。
犯人は一生苦しむべきであり、
そのために花をこれからも手向けるべきだと言うのです。
交差点に面した家の妻は、
自分に事故の責任があるのだ、
と言い出します。
その交差点は信号や歩道がなく危険であることは、
以前から分かっていたのに、
安全神話のようなものを信じて、
事故の危険性を無視していた。
だから、自分達は罪を負うべきで、
加害者に何かを強制することは出来ない、
と言うのです。
そこで被害者の母親は、
加害者の女性を許すと言い、
派手な衣装を取り出すと、
黒い地味な服を着ていた加害者の女性に、
その場で着替えるように強制します。
彼女がその場で着替えた時、
犯人の女性が被害者の父親に強要され、
関係を結んでいたことが明らかになり、
その子供がお腹にいることも示唆されます。
その秘密が明らかになったことで、
白い花を毎日捧げるという儀式は、
その意味を失います。
客が去った交差点に面する家では、
実は妻は胃癌で長い命ではないことを、
夫が知っていて、
それでマンションを建てて家を売り、
余生を沖縄で静かに過ごそうと、
計画していたことが分かります。
隣家の子供の弾くたどたどしい「花のワルツ」の調べに乗せ、
妻は「誤りをおかしながら、それでも少しずつ良い方に向かっている」
という意味のことを話し、
2人は不器用にワルツを踊って終わります。
作劇はなかなか巧みで、
意外性もあり、
交通事故を扱いながら、
福島の原発事故を想定した台詞もあって、
随所にハッとさせるようなディテールがあります。
加害者役の女優さんが舞台上で生着替えをして、
それが予想外の展開を生む、
という段取りも、演劇的で良いのです。
別役実や岩松了、山崎哲に平田オリザという先達を、
巧みに咀嚼して独自の構成に活かしているのもよく分かり、
真摯なテーマに対する姿勢が、
それを単なる物真似に終わらせていません。
ただ、この作品を活かすのであれば、
もっとリアルな演技を普通にこなせる水準の役者が、
不可欠であると思いますし、
舞台装置もリアルな茶の間を、
基本的には感じさせるものの方が良かったと思います。
演出も着替えの場面にもっと神経を使うべきで、
そこでそれまで隠されていた、
1人の生身の女が立ち上がる、
というような情感が必須ではないでしょうか。
作品自体は素晴しいと思うので、
また違った演出での上演を、
期待したいと思います。
今日はもう1本あります。
それでは次に続きます。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
名古屋を中心として活動している、
刈馬演劇設計社の代表作の1つ、
「クラッシュ・ワルツ」が、
今駒場アゴラ劇場で上演中です。
今回が再々演になります。
これは非常に気合の入った面白い作品で、
観て良かったと思いました。
3年前の交通事故の加害者と被害者が、
事故のあった交差点に面する家で顔を合わせます。
このシンプルである意味平凡な設定から、
果たしてどのような演劇的興奮が、
導かれるでしょうか?
刈馬カオスさんによる台本は、
ちょっと詰め込み過ぎの感はありますが、
重層的で巧みな構成力で、
観客の想像力を簡単に超えて見せます。
その内容は、
市井の一事件を扱いながら、
最近の社会問題から人間の精神のあり方まで、
非常に普遍的で俯瞰的な構図を見せます。
それでいて、何処かの劇団のように、
安易に昨今の事件や社会問題を、
そのまま取り上げるようなことはしていません。
その凛とした姿勢に、
非常に共感と感銘を受けました。
更には、
舞台上で女優さんが生着替えをして、
そこで舞台の空気感が一変するような、
鮮やかな演劇的な仕掛けもあります。
ただ、言葉がかなり硬くて、
全て直球勝負の感じなので、
レトリックの面白みが希薄に感じます。
別役実にしても岩松了にしても、
本筋に関わりのない表面的な会話や、
レトリックのようなもの、
ある言葉や行為に対する固執のようなものがあって、
それが作品に深みを与えているのですが、
この作品には基本的にそうしたところがなく、
生の感情がぶつけ合うだけで終わってしまうので、
劇作としての深みには乏しい、
という印象がありました。
もう少し遊びがあり、
もう少し説明されない部分が、
あっても良いのではないでしょうか。
劇作の素晴らしさと比較すると、
役者さんの演技や演出面は、
素人的なものを感じます。
演技は部分的に様式化されていて、
すり足的な動きをしたり、
激情を身体は固定したまま至近距離で吐き出したりと、
かなり演出されている印象で、
転位21時代の山崎哲演出のような雰囲気もあるのですが、
それが徹底されている訳ではなく、
5人の役者さんの演技の質はかなり違いますし、
バタバタと身体を動かして、
コミカルな表現を見せたりもするので、
トータルなバランスは、
あまり良いとは思えません。
刈馬さんは平田オリザさんのところに、
以前は在籍していたそうですが、
それでどうして、
このような不自然でバランスの悪い演技スタイルを好むのか、
ちょっと理解の出来ないようなところがあります。
舞台も布を使い白い花を散らした、
ちょっと様式的なものですが、
あまり効果的なものではなく、
特に舞台の後方を役者さんが横切る姿を見せるのは、
見え方も良くないので、
まずいと感じました。
照明も素人臭く、
特にラストのワルツの場面で、
沢山の色の明かりが無造作にバッと点くのは、
幾ら何でも…と思いました。
以下ネタバレを含む感想です。
3年前に信号や横断歩道のない交差点で、
若い女性が5歳の子供を、
交通事故で死なせてしまいます。
それからその交差点に、
1日も休むことなく、
犯人の女性は白い花を供えます。
しかし、交差点に面した家に住む中年の夫婦にとっては、
家をマンションに建て替える計画があり、
そこが交通事故の現場であることを示すような花の存在は、
風評被害でマンションの価値を落とす結果になります。
それで、夫婦が別々に、
白い花を手向けたと思われる若い女性を、
家に連れて来るのですが、
それが犯人の女性と、
同じくらいの年齢の、
死んだ子供の母親であったので、
ひょんなことから、
立場の違う2人の女性が、
その家で顔を合わせる事態になります。
そこに更に、
今は離婚している死んだ子供の父親も、
姿を現します。
交差点に面した家の男は、
風評被害になるので白い花を手向けることをやめて欲しい、
と加害者の女性に言いますが、
女性はそれには答えず、
被害者の父親は強行にそれに反対します。
犯人は一生苦しむべきであり、
そのために花をこれからも手向けるべきだと言うのです。
交差点に面した家の妻は、
自分に事故の責任があるのだ、
と言い出します。
その交差点は信号や歩道がなく危険であることは、
以前から分かっていたのに、
安全神話のようなものを信じて、
事故の危険性を無視していた。
だから、自分達は罪を負うべきで、
加害者に何かを強制することは出来ない、
と言うのです。
そこで被害者の母親は、
加害者の女性を許すと言い、
派手な衣装を取り出すと、
黒い地味な服を着ていた加害者の女性に、
その場で着替えるように強制します。
彼女がその場で着替えた時、
犯人の女性が被害者の父親に強要され、
関係を結んでいたことが明らかになり、
その子供がお腹にいることも示唆されます。
その秘密が明らかになったことで、
白い花を毎日捧げるという儀式は、
その意味を失います。
客が去った交差点に面する家では、
実は妻は胃癌で長い命ではないことを、
夫が知っていて、
それでマンションを建てて家を売り、
余生を沖縄で静かに過ごそうと、
計画していたことが分かります。
隣家の子供の弾くたどたどしい「花のワルツ」の調べに乗せ、
妻は「誤りをおかしながら、それでも少しずつ良い方に向かっている」
という意味のことを話し、
2人は不器用にワルツを踊って終わります。
作劇はなかなか巧みで、
意外性もあり、
交通事故を扱いながら、
福島の原発事故を想定した台詞もあって、
随所にハッとさせるようなディテールがあります。
加害者役の女優さんが舞台上で生着替えをして、
それが予想外の展開を生む、
という段取りも、演劇的で良いのです。
別役実や岩松了、山崎哲に平田オリザという先達を、
巧みに咀嚼して独自の構成に活かしているのもよく分かり、
真摯なテーマに対する姿勢が、
それを単なる物真似に終わらせていません。
ただ、この作品を活かすのであれば、
もっとリアルな演技を普通にこなせる水準の役者が、
不可欠であると思いますし、
舞台装置もリアルな茶の間を、
基本的には感じさせるものの方が良かったと思います。
演出も着替えの場面にもっと神経を使うべきで、
そこでそれまで隠されていた、
1人の生身の女が立ち上がる、
というような情感が必須ではないでしょうか。
作品自体は素晴しいと思うので、
また違った演出での上演を、
期待したいと思います。
今日はもう1本あります。
それでは次に続きます。
2016-02-28 13:41
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