つかこうへい「熱海殺人事件」(2015年いのうえひでのり演出版) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
クリニックは今年末年始の休診中です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
つかこうへいの熱海殺人事件を、
劇団新感線のいのうえひでのりが演出し、
活動休止前のつかこうへい事務所の、
オリジナルキャストでもある、
風間杜夫と平田満が出演する、という、
今年一番びっくり仰天した企画が、
先日まで新宿の紀伊国屋ホールで上演されました。
熱海殺人事件は初演はつかこうへい事務所ではないのですが、
その後何度もつかこうへい事務所が上演して、
つかこうへいの代表的なレパートリーの1つとなりました。
1982年の活動休止前で、
僕が観たのは1979年の舞台でしたが、
三浦洋一、平田満、加藤健一、井上加奈子というキャストでした。
木村伝兵衛部長刑事は、
確かに風間杜夫さんも何度か演じましたが、
三浦洋一さんの方が回数は多かったと思います。
つかこうへいさんは、
自分の出自を公表して舞台復帰して以降は、
その作品は1982年以前とは大きく変質し、
熱海殺人事件自体も、
全く別個の作品のように塗り替えられました。
ただ、つかさんが亡くなってからは、
1982年以前の台本や台詞による上演も、
行われるようになっています。
今回の上演は、
僕が観た1979年の舞台と、
ほぼ同じ台詞での上演だったように思います。
熱海殺人事件はつかさんの作品としては珍しく、
文庫本の戯曲集に収録されていて広く読まれていたのですが、
それは外部演出の初演版のもので、
つかさん自身が演出するようになって以降の作品は、
かなりその初演戯曲とは、
台詞や内容の異なるものになっています。
ただ、今回のバージョンはその中では、
比較的初演の台本と同じ部分が多いものです。
オープニングは白鳥の湖が大音量で鳴り響く中、
何かを木村伝兵衛が受話器に向けて叫んでいる、
というもので、
大山金太郎の入場は、
熊田刑事が呼びに行くと、見付からず、
女性刑事がスポットを持って出て来てそれを客席に向け、
客席から大山が歌いながら入場する、
というものです。
これはいずれも初演の台本にはない演出ですが、
僕が観た1979年の上演でも同じでした。
大山登場の曲はオリジナルは「マイウェイ」でしたが、
今回は曲は違っています。
それから、
熊田刑事の台詞は、
「ここは私にお任せ下さい」
以降など初演版とはかなり違っていて、
熊田刑事の生い立ちも、
独白の中に加えられています。
大山の殺人に至る独白では、
村の相撲で「愛のうっちゃり」で勝った、
という件が入っています。
勿論これも初演版の戯曲にはありません。
ラストは初演版の木村伝兵衛のやや社会派チックな名台詞はなく、
女刑事が結婚式当日だったというネタがあって、
その後は熊田のおんぼろライターで、
木村伝兵衛がたばこに火をつけ、
「良い火加減だ」
という台詞で終わります。
例の「東京へは何度も…」など、
オリジナルでおなじみの曲も幾つか使われ、
首絞めのラストでは、
生ギターが入って泣かせになる趣向も昔と同じです。
おそらく、1982年以降に上演された「熱海殺人事件」としては、
最もつかこうへい事務所時代の雰囲気を、
再現した上演だったと思います。
ただ、複雑で微妙な印象が残りました。
まず、戯曲が矢張り今には合わないな、
ということは強く感じました。
「ブスは死ね!」みたいな台詞が連呼されたり、
農作業従事者や被爆者などが、
平然と差別的にののしられたりする台詞は、
昔はこれで笑えたのですが、
今聴くとどうしても、
「そんなことを言ってはいけないんだよ」
というようなストップが社会的に掛かっているので、
素直に笑えないような微妙な空気になるのです。
こうした台詞で笑うという行為自体が、
たとえ閉じた劇場という空間であっても、
「人間としていけないことをしている」
というような気分を醸し出してしまうのです。
伊藤計劃が「ハーモニー」で描いたような唾棄すべきユートピアに、
今の社会はもう既になっているような気もします。
それから、
高度成長期の、
誰もが必要以上に背伸びをしていて、
東京が名実ともにアジアの中心であった時代の空気が、
この作品が笑いのめしているものの本質なのですが、
そんなものは今は存在していないので、
なかなか作品で揶揄しているものの実体が、
つかみにくくなるのです。
それで、なおさらに表面的な差別的な言辞だけが、
心に引っ掛かる結果になってしまうのではないかと思います。
役者は特に、
最近狂い咲きのような芝居が多かった、
平田満さんにかつての狂気を期待したのですが、
今回の上演に関しては、
どちらかと言えば「気のいいおじさん」のモードで、
台詞に張り詰めたところがなく、
演技も小さいので正直失望しました。
僕はつか芝居を本当の意味で体現している役者は、
かつての平田満さんの口跡だったと思っているので、
今回の台詞を置いているだけのような芝居は、
仕方のないことなのでしょうが、
残念に感じました。
昔を知らない方には声を大にして言いたいのですが、
昔の平田さんの迫力は、
こんなものでは到底なかったのです。
風間杜夫さんの芝居は、
想定内のものだったのですが、
矢張り安全運転の感じが否めませんでした。
勿論仕方のないことは百も承知の上なのですが、
このような守りに入った安全第一の芝居をするのであれば、
今回の上演はしない方が良かったと思います。
いのうえひでのりさんの演出は、
かつてのつか作品のコピーから入り、
今の演出を確立した歴史の感じられるもので、
オリジナルを重視した視点に、
つか作品への愛を強く感じました。
ただ、僕はいのうえさんも今回の2人の芝居には、
大きな失望を感じたのではないか、
とそんな風に思えてなりません。
矢張り伝説は伝説のままが一番であったような気がしました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い年の瀬をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
クリニックは今年末年始の休診中です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
つかこうへいの熱海殺人事件を、
劇団新感線のいのうえひでのりが演出し、
活動休止前のつかこうへい事務所の、
オリジナルキャストでもある、
風間杜夫と平田満が出演する、という、
今年一番びっくり仰天した企画が、
先日まで新宿の紀伊国屋ホールで上演されました。
熱海殺人事件は初演はつかこうへい事務所ではないのですが、
その後何度もつかこうへい事務所が上演して、
つかこうへいの代表的なレパートリーの1つとなりました。
1982年の活動休止前で、
僕が観たのは1979年の舞台でしたが、
三浦洋一、平田満、加藤健一、井上加奈子というキャストでした。
木村伝兵衛部長刑事は、
確かに風間杜夫さんも何度か演じましたが、
三浦洋一さんの方が回数は多かったと思います。
つかこうへいさんは、
自分の出自を公表して舞台復帰して以降は、
その作品は1982年以前とは大きく変質し、
熱海殺人事件自体も、
全く別個の作品のように塗り替えられました。
ただ、つかさんが亡くなってからは、
1982年以前の台本や台詞による上演も、
行われるようになっています。
今回の上演は、
僕が観た1979年の舞台と、
ほぼ同じ台詞での上演だったように思います。
熱海殺人事件はつかさんの作品としては珍しく、
文庫本の戯曲集に収録されていて広く読まれていたのですが、
それは外部演出の初演版のもので、
つかさん自身が演出するようになって以降の作品は、
かなりその初演戯曲とは、
台詞や内容の異なるものになっています。
ただ、今回のバージョンはその中では、
比較的初演の台本と同じ部分が多いものです。
オープニングは白鳥の湖が大音量で鳴り響く中、
何かを木村伝兵衛が受話器に向けて叫んでいる、
というもので、
大山金太郎の入場は、
熊田刑事が呼びに行くと、見付からず、
女性刑事がスポットを持って出て来てそれを客席に向け、
客席から大山が歌いながら入場する、
というものです。
これはいずれも初演の台本にはない演出ですが、
僕が観た1979年の上演でも同じでした。
大山登場の曲はオリジナルは「マイウェイ」でしたが、
今回は曲は違っています。
それから、
熊田刑事の台詞は、
「ここは私にお任せ下さい」
以降など初演版とはかなり違っていて、
熊田刑事の生い立ちも、
独白の中に加えられています。
大山の殺人に至る独白では、
村の相撲で「愛のうっちゃり」で勝った、
という件が入っています。
勿論これも初演版の戯曲にはありません。
ラストは初演版の木村伝兵衛のやや社会派チックな名台詞はなく、
女刑事が結婚式当日だったというネタがあって、
その後は熊田のおんぼろライターで、
木村伝兵衛がたばこに火をつけ、
「良い火加減だ」
という台詞で終わります。
例の「東京へは何度も…」など、
オリジナルでおなじみの曲も幾つか使われ、
首絞めのラストでは、
生ギターが入って泣かせになる趣向も昔と同じです。
おそらく、1982年以降に上演された「熱海殺人事件」としては、
最もつかこうへい事務所時代の雰囲気を、
再現した上演だったと思います。
ただ、複雑で微妙な印象が残りました。
まず、戯曲が矢張り今には合わないな、
ということは強く感じました。
「ブスは死ね!」みたいな台詞が連呼されたり、
農作業従事者や被爆者などが、
平然と差別的にののしられたりする台詞は、
昔はこれで笑えたのですが、
今聴くとどうしても、
「そんなことを言ってはいけないんだよ」
というようなストップが社会的に掛かっているので、
素直に笑えないような微妙な空気になるのです。
こうした台詞で笑うという行為自体が、
たとえ閉じた劇場という空間であっても、
「人間としていけないことをしている」
というような気分を醸し出してしまうのです。
伊藤計劃が「ハーモニー」で描いたような唾棄すべきユートピアに、
今の社会はもう既になっているような気もします。
それから、
高度成長期の、
誰もが必要以上に背伸びをしていて、
東京が名実ともにアジアの中心であった時代の空気が、
この作品が笑いのめしているものの本質なのですが、
そんなものは今は存在していないので、
なかなか作品で揶揄しているものの実体が、
つかみにくくなるのです。
それで、なおさらに表面的な差別的な言辞だけが、
心に引っ掛かる結果になってしまうのではないかと思います。
役者は特に、
最近狂い咲きのような芝居が多かった、
平田満さんにかつての狂気を期待したのですが、
今回の上演に関しては、
どちらかと言えば「気のいいおじさん」のモードで、
台詞に張り詰めたところがなく、
演技も小さいので正直失望しました。
僕はつか芝居を本当の意味で体現している役者は、
かつての平田満さんの口跡だったと思っているので、
今回の台詞を置いているだけのような芝居は、
仕方のないことなのでしょうが、
残念に感じました。
昔を知らない方には声を大にして言いたいのですが、
昔の平田さんの迫力は、
こんなものでは到底なかったのです。
風間杜夫さんの芝居は、
想定内のものだったのですが、
矢張り安全運転の感じが否めませんでした。
勿論仕方のないことは百も承知の上なのですが、
このような守りに入った安全第一の芝居をするのであれば、
今回の上演はしない方が良かったと思います。
いのうえひでのりさんの演出は、
かつてのつか作品のコピーから入り、
今の演出を確立した歴史の感じられるもので、
オリジナルを重視した視点に、
つか作品への愛を強く感じました。
ただ、僕はいのうえさんも今回の2人の芝居には、
大きな失望を感じたのではないか、
とそんな風に思えてなりません。
矢張り伝説は伝説のままが一番であったような気がしました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い年の瀬をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2015-12-30 08:07
nice!(13)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0