飴屋法水「ブルーシート」(2015年Festival // Tokyo上演版) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後は石原が外来を担当します。
本日午前10時からは健康教室を予定しています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
2013年にいわき総合高校の在学生が、
学校の授業の一環として上演。
たった2日の上演ながら大きな話題となり、
岸田戯曲賞の受賞作となった作品が、
2年後にほぼ同じキャストで、
初演と同じいわき総合高校のグラウンドと、
東京の廃校となった中学校のグラウンドで、
今回再演となりました。
その東京での公演に足を運びました。
後に書きますが、
チケット販売や当日の観客誘導のあり方、
作品の企画や演出のややあざとい部分など、
正直あまり共感出来ない部分もあるのですが、
トータルには感銘を受けましたし、
観て良かったと思いました。
12月に後2日間の上演が残っていますので、
ご興味のある方は是非。
控え目に言って、
今年観るべき舞台であることは間違いがありません。
以下ネタバレを含む感想です。
いわき総合高校は演劇の授業で有名な学校だそうで、
プロの演劇人が指導に訪れ、
学生と一緒に作品を作る授業が、
毎年行われているとのことです。
この作品もその一環として、
2013年に9人の在校生が出演して、
学校の校庭で2日間のみ上演されました。
観客は2日合わせて250名程度であったようですが、
上演直後から評価が高く、
2014年に岸田戯曲賞を受賞しました。
内容は実際に2011年の震災を福島で経験した高校生が、
皆自分自身を演じることで、
震災後の状況を再構成する、というものです。
最初は校庭に横一列に並んでの点呼から始まり、
キャストは9人ですが、
見えない10人目の生徒が並んでいることが示唆されます。
震災後の野原で、
人間以前の何か得体の知れない生き物と遭遇した、
という不思議な体験が語られ、
父親が東電に勤めている少女の話や、
親が除染の仕事をしている話、
初恋の思い出などがパーソナルに語られます。
ブルーシートが広げられて、
そこである一家の生活が表現され、
それがブルーシートごとクシャクシャに畳まれることで、
津波を間接的に表現するようなパートもあります。
それからいろいろな遊びを、
高校生たちはその場でするのですが、
ラストは椅子取りゲームとなり、
少しずつ人が減っていって、
2人になったところで唐突にゲームは終わり、
1人の男子高校生が、
黙々と震災を表現したヒップホップダンスを披露します。
その後もう一度点呼を取った全員は、
客席から遠く離れた校庭の向こう側に並び、
こちらに向かって声を掛けます。
今回の再演は、
基本的には初演と構成は同じなのですが、
2013年の高校生はもう卒業しているので、
卒業生として出演し、
1人の女性は妊娠中のため、
ビデオでのみ出演し、
代役は現在の在校生が演じています。
オープニングには初演時の、
校長先生の解説コメントが流れるのですが、
実は校長先生はその後癌で亡くなったことが、
劇中で語られます。
ノンフィクションとフィクションのすれすれを狙った、
非常に興味深い作劇です。
本人をそのまま役として演じる、
というような芝居は、
これまでにも沢山ありましたが、
今回は震災の体験を、
福島の地元の高校生が生の声で演じるのですから、
これまでの同様の試みとは凄みが違います。
福島でこそ意義のあった初演を、
どのようにして東京で再演するのか、
と思ったのですが、
初演のキャストの殆どが再結集し、
初演からの2年の時間を、
そのままに物語るという趣向が面白く、
重層的な時間が流れるという点で、
初演にはない面白さが付加されたように思います。
本職の役者でないキャストの演技は新鮮で、
廃校となった中学校の雰囲気も良く、
皆マイクを付けてPAを利用しているのですが、
かなり肉声に近い感じで上手く音響設計がされていて、
その辺りにも感心しました。
ここまでは良かったところです。
同時に不満もあります。
まず、公演の運営についてなのですが、
今回の公演は非常に早い時期に、
チケットは売り切れてしまいました。
椅子席と立見席があり、
後で立見席が再発売されたので、
これは立ち見しかないと思って、
立ち見を買われた方も多かったと思います。
それが実際に当日行ってみると、
椅子席が追加で当日券として沢山販売されています。
客席は3方向に数段階段状に設置されているのですが、
当初は正面のみであったらしく、
左右の客席には開演時にも余裕がありました。
立ち見席はその階段客席の後方にある段の上で立つので、
見難いですし、
かなりしんどい観劇体験となります。
番号順に整列しての入場となるのですが、
僕の番号は椅子席の当日で、
380番台だったところ、
並ぶ場所は200番くらいまでしかなく、
並ぼうと思っても何処に並んで良いのか分かりませんし、
スタッフもあまり誘導もしてくれません。
実際には220番まで呼んだところで、
「後は皆さんお入りください」
となってしまいました。
その時点で人数も20人くらいしかいませんでしたから、
どういう番号が振られていたのか、
極めて奇怪です。
お客さんも意地悪な人が多く、
チケットに書かれている番号を、
見せてくれないので、
並ぶことも出来ませんでした。
何より幾らでも椅子席は増やせる環境でしたし、
立ち見はかなり過酷であったので、
どうして立ち見をあれだけ沢山発券したのか、
運営側の判断を極めて疑問に思います。
確かにチケット代は違いますが、
椅子席を希望しながら、
チケットが売り切れとあきらめて、
立ち見の前売りを購入した観客も多かったと思うので、
それで沢山実際には椅子席が余っているという状況は、
何とかならなかったのかと思います。
おそらくは観客数の予測に、
問題があったのではないかと感じました。
それから、
作品の成り立ちに関することですが、
高校の先生がプロを招いて高校演劇の創作をする、
という試みに、
個人的にはあまり好感を持つことが出来ません。
演劇のプロにとって、
高校生の演技指導をして作品を作ることは、
新鮮で楽しいことは想像に難くありません。
しかし、
プロ野球選手がアマチュアの指導をしてはいけないのと同じで、
あまりあるべき姿ではないのではないでしょうか?
大人の押し付けになる可能性が高いと思いますし、
一部の高校生にのみそうした特権が生じることも、
不公平なことのように思うからです。
特に演劇というジャンルは、
どうしても作家や主催者が主張したいことを、
観客とキャストに押し付けるような部分があるので、
作品がニュートラルということはあり得ず、
その意味でこうした試みは、
教育には馴染まないように思います。
今回の作品は、
巧みに作者の主張を、見掛け上回避しつつ、
通底音としては忍ばせるという、
クレヴァーな手法を取っていますが、
それでも再演で付け加わった部分には、
「大人の押し付け」と感じるようなところが散見されました。
こういう嫌らしさが、
僕はあまり好きではありません。
この作品は戯曲が岸田戯曲賞を受賞しました。
この賞は上演された戯曲に与えられる賞なので、
選考委員の全てが、
実際に上演された舞台を観ている、
という訳ではありません。
選評を見ると野田秀樹さんが強く推していて、
岩松了さんと岡田利規さんは、
あまり推しているようには思えません。
推さなかった意見は予想通りで、
この作品が戯曲として独立したものとは、
考え難く、戯曲賞の受賞作としては馴染まない、
というものです。
妥当な意見だと思います。
その一方で野田さんは絶賛で、
そう思うとこの作品は、
野田さんの戯曲に、
非常に似通ったレトリックが多いことに気が付きます。
人間以前のような、
何だか分からないものに遭遇する、
という情景自体がそうですし、
同じ台詞や場面の繰り返しの仕方や、
ラストの寝そべった少女と、
空を飛ぶとんびが視線で繋がるという、
天空と地上を結ぶ豪快な構図など、
意識的なものなのかどうかは分かりませんが、
とても良く似ています。
どうやら、
野田さんは自分の戯曲が大好きで、
それに似た作品がとてもお好きなようです。
演出もかなり似通ったところがあって、
特にブルーシートを広げて家を表現し、
それをクシャクシャに丸めてしまうところなどは、
野田さんが紙や布の舞台装置を用いて、
繰り返しやっていることと同じ趣向です。
戯曲の物足りない点は、
重層的な盛り上がりに欠けていることです。
特に後半色々な遊びに高校生たちが興じる場面が、
ダブルミーニングのようなところがなく、
かなり平板で単調な上に長いのが、
今ひとつのように思うのです。
椅子取りゲームの後がソロダンスになりますが、
ダンスの得意な生徒であるとは言え、
男性キャスト1人で延々と踊り続けるというのも、
僕にはクライマックスとしては物足りない感じがしましたし、
それまでの集団創作という趣向が、
最後になってボケてしまったように思いました。
ただ、野田さんの作品であれば、
クライマックスはもっと執拗に、
強引な盛り上がりでテーマを押し付けるような感じになるので、
それをしなかった、というところが、
物足りない点である一方、
作品をよりニュートラルな、
キャスト目線のものにしている、
という言い方も出来るように思います。
総じて二度とまた実現することはないであろう、
極めて貴重な舞台であることは間違いがありません。
ただ、プロの舞台としては、
食い足りない感じはあり、
飴屋さんの言いたいことを、
遠回しにキャストに喋られせているような、
少し嫌らしい感じも、
ところどころにあります。
また、そのイメージと演出は、
やや野田さんの影響を受け過ぎているように思いました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後は石原が外来を担当します。
本日午前10時からは健康教室を予定しています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
2013年にいわき総合高校の在学生が、
学校の授業の一環として上演。
たった2日の上演ながら大きな話題となり、
岸田戯曲賞の受賞作となった作品が、
2年後にほぼ同じキャストで、
初演と同じいわき総合高校のグラウンドと、
東京の廃校となった中学校のグラウンドで、
今回再演となりました。
その東京での公演に足を運びました。
後に書きますが、
チケット販売や当日の観客誘導のあり方、
作品の企画や演出のややあざとい部分など、
正直あまり共感出来ない部分もあるのですが、
トータルには感銘を受けましたし、
観て良かったと思いました。
12月に後2日間の上演が残っていますので、
ご興味のある方は是非。
控え目に言って、
今年観るべき舞台であることは間違いがありません。
以下ネタバレを含む感想です。
いわき総合高校は演劇の授業で有名な学校だそうで、
プロの演劇人が指導に訪れ、
学生と一緒に作品を作る授業が、
毎年行われているとのことです。
この作品もその一環として、
2013年に9人の在校生が出演して、
学校の校庭で2日間のみ上演されました。
観客は2日合わせて250名程度であったようですが、
上演直後から評価が高く、
2014年に岸田戯曲賞を受賞しました。
内容は実際に2011年の震災を福島で経験した高校生が、
皆自分自身を演じることで、
震災後の状況を再構成する、というものです。
最初は校庭に横一列に並んでの点呼から始まり、
キャストは9人ですが、
見えない10人目の生徒が並んでいることが示唆されます。
震災後の野原で、
人間以前の何か得体の知れない生き物と遭遇した、
という不思議な体験が語られ、
父親が東電に勤めている少女の話や、
親が除染の仕事をしている話、
初恋の思い出などがパーソナルに語られます。
ブルーシートが広げられて、
そこである一家の生活が表現され、
それがブルーシートごとクシャクシャに畳まれることで、
津波を間接的に表現するようなパートもあります。
それからいろいろな遊びを、
高校生たちはその場でするのですが、
ラストは椅子取りゲームとなり、
少しずつ人が減っていって、
2人になったところで唐突にゲームは終わり、
1人の男子高校生が、
黙々と震災を表現したヒップホップダンスを披露します。
その後もう一度点呼を取った全員は、
客席から遠く離れた校庭の向こう側に並び、
こちらに向かって声を掛けます。
今回の再演は、
基本的には初演と構成は同じなのですが、
2013年の高校生はもう卒業しているので、
卒業生として出演し、
1人の女性は妊娠中のため、
ビデオでのみ出演し、
代役は現在の在校生が演じています。
オープニングには初演時の、
校長先生の解説コメントが流れるのですが、
実は校長先生はその後癌で亡くなったことが、
劇中で語られます。
ノンフィクションとフィクションのすれすれを狙った、
非常に興味深い作劇です。
本人をそのまま役として演じる、
というような芝居は、
これまでにも沢山ありましたが、
今回は震災の体験を、
福島の地元の高校生が生の声で演じるのですから、
これまでの同様の試みとは凄みが違います。
福島でこそ意義のあった初演を、
どのようにして東京で再演するのか、
と思ったのですが、
初演のキャストの殆どが再結集し、
初演からの2年の時間を、
そのままに物語るという趣向が面白く、
重層的な時間が流れるという点で、
初演にはない面白さが付加されたように思います。
本職の役者でないキャストの演技は新鮮で、
廃校となった中学校の雰囲気も良く、
皆マイクを付けてPAを利用しているのですが、
かなり肉声に近い感じで上手く音響設計がされていて、
その辺りにも感心しました。
ここまでは良かったところです。
同時に不満もあります。
まず、公演の運営についてなのですが、
今回の公演は非常に早い時期に、
チケットは売り切れてしまいました。
椅子席と立見席があり、
後で立見席が再発売されたので、
これは立ち見しかないと思って、
立ち見を買われた方も多かったと思います。
それが実際に当日行ってみると、
椅子席が追加で当日券として沢山販売されています。
客席は3方向に数段階段状に設置されているのですが、
当初は正面のみであったらしく、
左右の客席には開演時にも余裕がありました。
立ち見席はその階段客席の後方にある段の上で立つので、
見難いですし、
かなりしんどい観劇体験となります。
番号順に整列しての入場となるのですが、
僕の番号は椅子席の当日で、
380番台だったところ、
並ぶ場所は200番くらいまでしかなく、
並ぼうと思っても何処に並んで良いのか分かりませんし、
スタッフもあまり誘導もしてくれません。
実際には220番まで呼んだところで、
「後は皆さんお入りください」
となってしまいました。
その時点で人数も20人くらいしかいませんでしたから、
どういう番号が振られていたのか、
極めて奇怪です。
お客さんも意地悪な人が多く、
チケットに書かれている番号を、
見せてくれないので、
並ぶことも出来ませんでした。
何より幾らでも椅子席は増やせる環境でしたし、
立ち見はかなり過酷であったので、
どうして立ち見をあれだけ沢山発券したのか、
運営側の判断を極めて疑問に思います。
確かにチケット代は違いますが、
椅子席を希望しながら、
チケットが売り切れとあきらめて、
立ち見の前売りを購入した観客も多かったと思うので、
それで沢山実際には椅子席が余っているという状況は、
何とかならなかったのかと思います。
おそらくは観客数の予測に、
問題があったのではないかと感じました。
それから、
作品の成り立ちに関することですが、
高校の先生がプロを招いて高校演劇の創作をする、
という試みに、
個人的にはあまり好感を持つことが出来ません。
演劇のプロにとって、
高校生の演技指導をして作品を作ることは、
新鮮で楽しいことは想像に難くありません。
しかし、
プロ野球選手がアマチュアの指導をしてはいけないのと同じで、
あまりあるべき姿ではないのではないでしょうか?
大人の押し付けになる可能性が高いと思いますし、
一部の高校生にのみそうした特権が生じることも、
不公平なことのように思うからです。
特に演劇というジャンルは、
どうしても作家や主催者が主張したいことを、
観客とキャストに押し付けるような部分があるので、
作品がニュートラルということはあり得ず、
その意味でこうした試みは、
教育には馴染まないように思います。
今回の作品は、
巧みに作者の主張を、見掛け上回避しつつ、
通底音としては忍ばせるという、
クレヴァーな手法を取っていますが、
それでも再演で付け加わった部分には、
「大人の押し付け」と感じるようなところが散見されました。
こういう嫌らしさが、
僕はあまり好きではありません。
この作品は戯曲が岸田戯曲賞を受賞しました。
この賞は上演された戯曲に与えられる賞なので、
選考委員の全てが、
実際に上演された舞台を観ている、
という訳ではありません。
選評を見ると野田秀樹さんが強く推していて、
岩松了さんと岡田利規さんは、
あまり推しているようには思えません。
推さなかった意見は予想通りで、
この作品が戯曲として独立したものとは、
考え難く、戯曲賞の受賞作としては馴染まない、
というものです。
妥当な意見だと思います。
その一方で野田さんは絶賛で、
そう思うとこの作品は、
野田さんの戯曲に、
非常に似通ったレトリックが多いことに気が付きます。
人間以前のような、
何だか分からないものに遭遇する、
という情景自体がそうですし、
同じ台詞や場面の繰り返しの仕方や、
ラストの寝そべった少女と、
空を飛ぶとんびが視線で繋がるという、
天空と地上を結ぶ豪快な構図など、
意識的なものなのかどうかは分かりませんが、
とても良く似ています。
どうやら、
野田さんは自分の戯曲が大好きで、
それに似た作品がとてもお好きなようです。
演出もかなり似通ったところがあって、
特にブルーシートを広げて家を表現し、
それをクシャクシャに丸めてしまうところなどは、
野田さんが紙や布の舞台装置を用いて、
繰り返しやっていることと同じ趣向です。
戯曲の物足りない点は、
重層的な盛り上がりに欠けていることです。
特に後半色々な遊びに高校生たちが興じる場面が、
ダブルミーニングのようなところがなく、
かなり平板で単調な上に長いのが、
今ひとつのように思うのです。
椅子取りゲームの後がソロダンスになりますが、
ダンスの得意な生徒であるとは言え、
男性キャスト1人で延々と踊り続けるというのも、
僕にはクライマックスとしては物足りない感じがしましたし、
それまでの集団創作という趣向が、
最後になってボケてしまったように思いました。
ただ、野田さんの作品であれば、
クライマックスはもっと執拗に、
強引な盛り上がりでテーマを押し付けるような感じになるので、
それをしなかった、というところが、
物足りない点である一方、
作品をよりニュートラルな、
キャスト目線のものにしている、
という言い方も出来るように思います。
総じて二度とまた実現することはないであろう、
極めて貴重な舞台であることは間違いがありません。
ただ、プロの舞台としては、
食い足りない感じはあり、
飴屋さんの言いたいことを、
遠回しにキャストに喋られせているような、
少し嫌らしい感じも、
ところどころにあります。
また、そのイメージと演出は、
やや野田さんの影響を受け過ぎているように思いました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2015-11-21 07:36
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