ネルソン・ロドリゲス「禁断の裸体」(2015三浦大輔演出版) [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日2つ目の記事は演劇の感想です。
次はこちら。
ブラジルの劇作家ネルソン・ロドリゲスが、
1965年に発表した戯曲を、
ポツドールの三浦大輔が演出し、
内野聖陽、寺島しのぶら、非常に濃いキャストの揃った舞台が、
今渋谷のシアターコクーンで上演中です。
原作は翻訳はないと思いますし、
おそらく日本初演です。
1973年にブラジルで映画化されていて、
評価は比較的高いのですが、
これも日本での上映やソフト化はないと思います。
(もし誤りでしたらご指摘をお願いします)
正直あまり馴染みのない作品ですが、
ポツドールの「熱情」辺りに非常に近い感触の作品で、
グロテスクでブラックユーモアに溢れた、
ドロドロの愛憎家庭劇を、
三浦大輔が非常に巧みに演出していて、
主人公の人格の背景など、
ピンと来ない部分もあるのですが、
三浦さんの芝居にしっかりとなっている点は、
さすがに感じました。
三浦さんは今回、
これまでで一番大きな舞台空間で、
演出を行なったと思うのですが、
空間の処理も巧みでしたし、
性行為の描写などはしっかりポツドールタッチになっていて、
映像の使い方や、
ラテン系の何処まで真面目なのか分からないような、
絶妙な音効のチョイスなど、
緻密でスタイリッシュでセンスを感じるものでした。
主演の内野さんのキャラ設定にやや難があって、
内容が呑み込みにくいきらいがあり、
素直に面白いと言えるような作品ではないのですが、
寺島しのぶの度胸一番の怪演と緻密な三浦演出だけで、
一見の価値がある舞台だと思います。
以下ネタバレを含む感想です。
内野聖陽演じるブラジルの資産家の男は、
妻を失った時から、
引きこもりのような生活を続けていたのですが、
愛憎を共に兄に向けている、
池内博之演じる、一癖も二癖のある弟から、
寺島しのぶ演じる娼婦を紹介されます。
資産家の兄は、母親の思い出の中に生きる不能の息子と、
3人の禁欲的な伯母3人と暮らしています。
その禁欲的な世界に、
寺島しのぶが性の風穴を開けるので、
内野聖陽はすぐに愛欲の虜となり、
自分の家に娼婦を引き入れます。
2人の性交渉を目撃した野村周平演じる息子は、
自暴自棄になって暴れて留置所に収容され、
そこで囚人の男に犯されます。
内野聖陽と寺島しのぶは結婚するのですが、
寺島しのぶは夫の息子の野村周平に愛の対象を移していて、
一方で野村周平はレイプされた囚人の男と、
恋仲になって海外で脱出するので、
寺島しのぶは失意の中で自ら死を選びます。
三浦大輔版は、
オープニングで内野聖陽が、
家にいない妻の寺島しのぶを探す場面から始まり、
そこで寺島しのぶが吹き込んだテープを再生することで、
物語が始まる趣向になっていて、
ラストはそのテープを再生する場面に戻り、
テープの声で彼女の死が告げられると、
一旦拳銃で自らを撃とうとするのですが、
最終的には宙に舞い上がったレコーダーを撃ち抜いて終わります。
海外公演の画像などを見ると、
ラストは舞台上で娼婦が死ぬ終わりになっているようで、
レコーダーを撃ち抜く趣向は、
三浦さんのオリジナルのように思います。
欧米流の心理的な男女のドラマに、
ブラジル産のどぎつい性愛や暴力の直接的な描写と、
グロテスクでブラックなユーモア、
またマジックリアリズム的な幻想味が加味されて、
むしろ日本の戯曲に近いような味わいがあります。
3人の処女の老婆が、
母を慕う不能の美少年を愛し、
一緒に風呂に入るという趣向など、
寺山修司を思わせるようなところがありますし、
真面目な色悪の中年男が、
3人の処女の老婆と暮らしている、
というのは南北を思わせるような趣向です。
全体の構成も、
「東海道四谷怪談」に似ているところがあるのです。
要するにアングラ的な演出も可能な台本で、
海外の上演の画像などを見ると、
3人の老婆など、
もっとそれらしくアングラ的に処理されています。
ただ、今回の上演は、
そうした部分を際立たせることはなく、
愛欲のドロドロの顛末を、
ポツドールで鍛えた演出手法で、
三浦さん独自の世界に染め上げています。
ポツドール時代からの三浦さんのファンとしては、
性愛描写もそう過激ということはないのですが、
この劇場でこれだけの性描写、というのは、
これまでにあまり例はないように思います。
それにも増して、
スタイリッシュな演出が今回は冴えていて、
とても抽象的で白いガウディの建築の骨組みのようなセットと、
リアルな部屋のセットが、
上手い具合に融合していて、
空間を贅沢に使っていますし、
最初と最後のみに、
プロジェクション・マッピングを効果的に使用しています。
オープニングに十字架で磔になった人体が、
みるみる骸骨になるのも良いですし、
ラス前では主人公の弟が撒き散らしたシャンパンが、
背後の白い壁全体を黒く染め、
ラストは紗幕に巨大な乳房が映って、
それが醜く爛れて行きます。
役者はちょっと問題があって、
主人公を演じる内野さんは、
いつもの不良中年的なイメージなので、
この役本来の、
禁欲的な中年男にはとても見えません。
そのために、
禁欲的な男が身を持ち崩すという一連の物語の流れが、
分かり難くなってしまったように思います。
もう少し別箇の役作りであるべきではなかったでしょうか?
寺島しのぶさんは、
裸を厭わぬ熱演で、
台詞は声を張らないので今一つなのですが、
その艶姿の格好良さは、
状況劇場時代の李礼仙を彷彿とさせるものがありました。
そんな訳で、
大満足とはいかないのですが、
戯曲もなかなか面白く、
三浦さんの演出も冴えているので、
ちょっと変わった芝居がお好きの方には、
推奨は出来る舞台に仕上がっていたと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日2つ目の記事は演劇の感想です。
次はこちら。
ブラジルの劇作家ネルソン・ロドリゲスが、
1965年に発表した戯曲を、
ポツドールの三浦大輔が演出し、
内野聖陽、寺島しのぶら、非常に濃いキャストの揃った舞台が、
今渋谷のシアターコクーンで上演中です。
原作は翻訳はないと思いますし、
おそらく日本初演です。
1973年にブラジルで映画化されていて、
評価は比較的高いのですが、
これも日本での上映やソフト化はないと思います。
(もし誤りでしたらご指摘をお願いします)
正直あまり馴染みのない作品ですが、
ポツドールの「熱情」辺りに非常に近い感触の作品で、
グロテスクでブラックユーモアに溢れた、
ドロドロの愛憎家庭劇を、
三浦大輔が非常に巧みに演出していて、
主人公の人格の背景など、
ピンと来ない部分もあるのですが、
三浦さんの芝居にしっかりとなっている点は、
さすがに感じました。
三浦さんは今回、
これまでで一番大きな舞台空間で、
演出を行なったと思うのですが、
空間の処理も巧みでしたし、
性行為の描写などはしっかりポツドールタッチになっていて、
映像の使い方や、
ラテン系の何処まで真面目なのか分からないような、
絶妙な音効のチョイスなど、
緻密でスタイリッシュでセンスを感じるものでした。
主演の内野さんのキャラ設定にやや難があって、
内容が呑み込みにくいきらいがあり、
素直に面白いと言えるような作品ではないのですが、
寺島しのぶの度胸一番の怪演と緻密な三浦演出だけで、
一見の価値がある舞台だと思います。
以下ネタバレを含む感想です。
内野聖陽演じるブラジルの資産家の男は、
妻を失った時から、
引きこもりのような生活を続けていたのですが、
愛憎を共に兄に向けている、
池内博之演じる、一癖も二癖のある弟から、
寺島しのぶ演じる娼婦を紹介されます。
資産家の兄は、母親の思い出の中に生きる不能の息子と、
3人の禁欲的な伯母3人と暮らしています。
その禁欲的な世界に、
寺島しのぶが性の風穴を開けるので、
内野聖陽はすぐに愛欲の虜となり、
自分の家に娼婦を引き入れます。
2人の性交渉を目撃した野村周平演じる息子は、
自暴自棄になって暴れて留置所に収容され、
そこで囚人の男に犯されます。
内野聖陽と寺島しのぶは結婚するのですが、
寺島しのぶは夫の息子の野村周平に愛の対象を移していて、
一方で野村周平はレイプされた囚人の男と、
恋仲になって海外で脱出するので、
寺島しのぶは失意の中で自ら死を選びます。
三浦大輔版は、
オープニングで内野聖陽が、
家にいない妻の寺島しのぶを探す場面から始まり、
そこで寺島しのぶが吹き込んだテープを再生することで、
物語が始まる趣向になっていて、
ラストはそのテープを再生する場面に戻り、
テープの声で彼女の死が告げられると、
一旦拳銃で自らを撃とうとするのですが、
最終的には宙に舞い上がったレコーダーを撃ち抜いて終わります。
海外公演の画像などを見ると、
ラストは舞台上で娼婦が死ぬ終わりになっているようで、
レコーダーを撃ち抜く趣向は、
三浦さんのオリジナルのように思います。
欧米流の心理的な男女のドラマに、
ブラジル産のどぎつい性愛や暴力の直接的な描写と、
グロテスクでブラックなユーモア、
またマジックリアリズム的な幻想味が加味されて、
むしろ日本の戯曲に近いような味わいがあります。
3人の処女の老婆が、
母を慕う不能の美少年を愛し、
一緒に風呂に入るという趣向など、
寺山修司を思わせるようなところがありますし、
真面目な色悪の中年男が、
3人の処女の老婆と暮らしている、
というのは南北を思わせるような趣向です。
全体の構成も、
「東海道四谷怪談」に似ているところがあるのです。
要するにアングラ的な演出も可能な台本で、
海外の上演の画像などを見ると、
3人の老婆など、
もっとそれらしくアングラ的に処理されています。
ただ、今回の上演は、
そうした部分を際立たせることはなく、
愛欲のドロドロの顛末を、
ポツドールで鍛えた演出手法で、
三浦さん独自の世界に染め上げています。
ポツドール時代からの三浦さんのファンとしては、
性愛描写もそう過激ということはないのですが、
この劇場でこれだけの性描写、というのは、
これまでにあまり例はないように思います。
それにも増して、
スタイリッシュな演出が今回は冴えていて、
とても抽象的で白いガウディの建築の骨組みのようなセットと、
リアルな部屋のセットが、
上手い具合に融合していて、
空間を贅沢に使っていますし、
最初と最後のみに、
プロジェクション・マッピングを効果的に使用しています。
オープニングに十字架で磔になった人体が、
みるみる骸骨になるのも良いですし、
ラス前では主人公の弟が撒き散らしたシャンパンが、
背後の白い壁全体を黒く染め、
ラストは紗幕に巨大な乳房が映って、
それが醜く爛れて行きます。
役者はちょっと問題があって、
主人公を演じる内野さんは、
いつもの不良中年的なイメージなので、
この役本来の、
禁欲的な中年男にはとても見えません。
そのために、
禁欲的な男が身を持ち崩すという一連の物語の流れが、
分かり難くなってしまったように思います。
もう少し別箇の役作りであるべきではなかったでしょうか?
寺島しのぶさんは、
裸を厭わぬ熱演で、
台詞は声を張らないので今一つなのですが、
その艶姿の格好良さは、
状況劇場時代の李礼仙を彷彿とさせるものがありました。
そんな訳で、
大満足とはいかないのですが、
戯曲もなかなか面白く、
三浦さんの演出も冴えているので、
ちょっと変わった芝居がお好きの方には、
推奨は出来る舞台に仕上がっていたと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2015-04-18 07:53
nice!(32)
コメント(2)
トラックバック(0)
ブログ再開しました。宜しくお願いします。
by Silvermac (2015-04-19 09:09)
Silvermacさんへ
こちらこそよろしくお願いします。
by fujiki (2015-04-20 08:14)