SSブログ

プッチーニ「マノン・レスコー」(2015年新国立劇場上演版) [オペラ]

今日2本目の記事はオペラの話題です。

それがこちら。
マノン・レスコー.jpg
新国立劇場のレパートリーとして、
プッチーニの初期の出世作で、
それほど上演頻度の多くない「マノン・レスコー」が上演されました。

これは元々は2011年の3月に上演の予定で、
直前まで準備が進んでいたのですが、
震災の直後であったため、
直前で中止となりました。
それが4年後にほぼ同じキャストとスタッフの元に、
再度の上演に漕ぎ着けた、という、
ある種の因縁のある公演だったのです。

歌手のメインはソプラノとテノール、バリトンの3人ですが、
いずれも海外で主に活躍している海外キャストで、
一流歌劇場のプレミエというクラスではありませんが、
それに次ぐくらいのメンバーが揃っていて、
なかなか充実した布陣です。
それが再結集した、というだけで、
かなり奇跡的なことで、
その裏にはスタッフの執念のようなものが感じられます。

今回特にテノールのグスターヴォ・ポルタさんは
非常に頑張りを見せていて、
会見の画像でもバリトンのダリボール・イェニスさんと共に、
前回の上演中止が如何に無念であって、
今回に掛ける意気込みが如何に強いものであるのかを、
熱っぽく語っていました。
そして、公演での圧倒的な熱演は、
その言葉を明確に証明するものだったと思います。

一方でソプラノのスヴェトラ・ヴァッシレヴァは、
2001年のフィレンツェ歌劇場の来日公演で、
グルヴェローヴァとダブルキャストで「椿姫」のヴィオレッタを歌った、
当時気鋭のソプラノで、
その時は「その割には…」という歌唱でした。
その後もコンスタントに活躍をされていますが、
当初の期待ほどは、
花形にはならなかった、という感じがあります。
何か貪欲さに欠けるところがあるのかも知れません。
彼女は舞台宣伝の画像でも、
前回の中止の件には、
あまり触れたくない、という印象でした。

作品の「マノン・レスコー」は、
プレヴォーによるフランスロマン主義の文学の代表作で、
発表当時から、
演劇、オペラ、バレーなどとして、
何度も舞台化がされている作品ですが、
現在も上演がされているのは、
このプッチーニ版とフランスのマスネ版の2種のオペラ、
そしてバレーの3種類のみです。

オペラの成立はフランスのマスネによるオペラの方が早く、
それから数年後に今回のプッチーニ版が上演されました。

マスネ版の方がより原作には忠実ですが、
ラストはアメリカの荒野にまでは行きません。
フランスのままで終わりになります。
一方でプッチーニ版は登場人物を減らして、
シンプルな3角関係めいたものに再構成し、
その代わりラストはアメリカの荒野を彷徨います。

原作の面白みは、
マノンが次々と相手を変えて恋愛を繰り返し、
それにお間抜けで純粋な青年が、
何度も裏切られながら、ストーカー的に後を追う、
というところにあるのですが、
プッチーニ版は金持ちと一旦は一緒になったマノンが、
その後は青年との純愛に身を捧げる、
というニュアンスのものになっています。

つまり、基本的には原作とは別物です。

作品の魅力はともかく2人のカップルが、
全編歌いまくるというところにあり、
特にその後のプッチーニの作品と比較すると、
テノールの歌が多いのが特徴です。

そんな訳で今回の上演では、
乗っているテノールのポルタが、
頑張って歌いまくるのが聴きどころで、
彼の熱唱が舞台を支えていました。

相手役のヴァッシレヴァも堅実な歌で悪くなく、
ワーグナーの影響も窺える、
肉食系の2重唱の連続が、
とても心地良く感じました。

舞台装置は海外からのレンタルで、
かなり貧相な感じのものなので、
何とも言いようがないのですが、
低予算化した新国立では、
この路線で止むを得ないように思いますし、
お金を掛けたオリジナルの新制作と称するものが、
極めて低レベルの成果にしか終わっていないので、
むしろ今回のような方が、
安心して聴くことが出来ます。

新国立劇場のオペラ上演の水準作としては、
悪くない上演だったように思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(6)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0