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日本のアングラ(その8の続き) [フィクション]

1987年がどのような時代であったのか、
僕も今では良く分からない。

しかし、この旗揚げ公演では大量の偽物紙幣が登場し、
それが切り刻まれたり燃やされたりした。
また、擬似的な飛び降り行為のような肉体演技が、
幾度も繰り返された。

そうした断片的な情景を、
他のどのような時代の記憶よりも鮮明に、
僕は1987年の出来事として記憶している。

「アポトーシス2007」の旗揚げ公演、
「崩壊への序章その1」は、
まず主催の西谷博が、
観客の群れに襲われて、
赤い煙となって消え失せるという、
極めてアングラ的で印象的な場面から始まる。

それは人間を人形にすり替え、
それを引き千切るというパフォーマンスに過ぎないものだったけれど、
そこに挟まれた完全暗転が、
マジック・リアリズムを現実のものとしたのだ。

闇の中で煙幕の匂いが鼻を突き、
音楽が高まる。

そして、再びスポットが点くと、
今度は1人の黒いワンピース姿の少女が立っている。

それが「アポトーシス2007」の舞台に初登場した、
加奈子の姿だった。

ゴスロリなどの言葉は、
まだこの時代には存在していなかった。

しかし、その元になったような怪奇映画は、
マニアには知られていたから、
そうしたイメージからの引用であることは、
僕にはすぐに分かった。
Z級ホラーフィルムの「グーリーズ」に出て来る、
美少女の悪魔のように、
彼女は挑発的にそこに立っていた。

少女は顔の左側を白いマスクで覆っていて、
それを見た瞬間に、
僕は西谷が加奈子の秘密に気付いたことを知った。

勿論、秘密というほどのことではない、
彼女の姿をよくよく見れば、
誰にでも分かる肉体的な特徴に過ぎないものだったのだけれど、
それでも僕と加奈子が共有していた数少ない事項の1つを、
西谷に簡単に盗まれたように感じて、
心穏やかではなかった。

加奈子はその「母」の部分を仮面に隠し、
「少女」のみの姿でそこに立っていた。

辺りを見回し、
それから人差し指を唇に立てて、
「しーっ」というポーズをする。

それから囁くように、
「知ってるのよ。もう終わりだってこと」
と小声で話しを始める。
「全ての遺伝子を調べたの。カスミちゃんの実験室で。
それでタカシとわたしが、
同じ日に死ぬことが分かったの。
その瞬間にわたしの心のナイフが実体化して、
白い刃が脳を切り裂いてこの顔から出て来たわ。
わたしはタカシの運命を変えるために、
このナイフでこの世界の全てを切り裂いてやる」

今でもこの台詞の全てを覚えているのが、
不思議なことに思える。

稚拙な台詞だ。
しかし、何か魅力的にも思える。

その少女の名はマナと言って、
マナは「孤島」の住人だ。
孤島は古くから「本土」とは別の風習を持っている。

「本土」の一部のように見做されているが、
実はそうではない。

「孤島」の少年少女は極めて美形で、
しかも「本土」の人間とは異なる骨格をしているので、
アイドルやタレントとして、
必ず「本土」の人気者になる。

しかし、そうして稼いだ芸能人としての少年少女の収入は、
その多くが「孤島」に還流するような仕組みが出来ている。

つまり、その芸能収入が、
独立国としての「孤島」の経済を支えているのだ。

それでは何故美形の少年少女ばかりが生まれて来るのか?

それは一種の遺伝子工学や不妊治療の賜物で、
そうした科学が遺伝子の構造を明らかにする、
数百年は前から、
「孤島」ではその人間の形質を、
先祖代々まで遡り、
それを正確に数学的に掛け合わせることによって、
特定の形質、すなわちアイドルとして成功する容姿を、
科学的に作り出して来たのだ。

全ての形質が明らかになるということは、
その人間の寿命や病気なども、
ほぼ全てが明らかになることを示している。
通常の人間の健康上の運命は、
遺伝的な素因と環境要因とのミックスであるけれど、
「孤島」においては、
全ての環境要因は、
強制的に「グル」によってコントロールされるので、
それも偶然では既にない。

主人公のマナはアイドルとして「孤島」に生を受けたが、
「グル」によって定められた運命では、
最愛の男であるタカシと、
同じ日に死ぬことを知らされ、
自分より長くタカシを生かすために、
「グル」に反逆して、自分の右の顔を傷付ける。

そして、顔の半分を隠したアングラ仮面アイドルとして、
バブルに狂奔する本土に現れ、
地下帝国を築くのだ。

最初に消滅させられた西谷こそ「グル」で、
マナの復讐は一見成功したかに思えるのだが、
彼女の脳から次々とナイフが湧き出して来て、
彼女は「本土」の地上の権力と、
不毛な戦いを続けざるを得なくなる。

その戦いは舞台では、
擬似的な飛び降り行為のような肉体演技と、
名指した観客への挑発、
そして観客の人形化と消滅の繰り返しで表現される。

クライマックスではブラックホールと化したマナの仮面の下から、
赤い煙が湧き出し、
それが会場を覆い尽くして、
狂騒的な混乱の中完全暗転で幕が下りた。

僕は西谷にも加奈子にも会うつもりはなかった。

初日祝いの日本酒を1本に、
自分の名前だけは書いて受付には残したが、
キャストに面会を求めることもなくその場を後にした。

終電前ギリギリくらいの小田急線に乗って、
新宿で乗り換え、
深夜の特急で地方に戻った。

頭の中にはたった今観た芝居の強烈な印象と、
それにも増して、
僕と練習をしていた時とはまるで違う、
完全に西谷の色に染め上げられた、
見事なアングラ女優と化した加奈子の姿があった。
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