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日本のアングラ(その6の続き) [フィクション]

加奈子が僕と一緒に劇団にいたのは、
実際には1年に満たない期間だった。

出演したのも2つの公演のみで、
1つは寺山修司の「盲人書簡上海編」の本公演で、
もう1つは内部の新人公演だった。
その後彼女は僕のいた学生劇団を離れ、
新たに僕の嫌悪する西谷博(仮名)が立ち上げた、
人文学部の生徒のみの劇団に所属することになる。

本公演の寺山修司は僕の念願で、
題名は「盲人書簡上海編」だったが、
実際には僕の好きな寺山戯曲のパートを、
幾つか繋ぎ合せたような作品だった。
「奴婢訓」も入っていたし、
「疫病流行記」も入っていた。
会場を密室化して完全暗転を可能とするために、
隙間を目張りして天井も黒く塗り、
可動式の黒い壁と天井を用意して、
暗転中に舞台が組み替わり、
観客を分断して閉じ込めるような仕掛けを造った。

ただ、完成したイメージは僕の頭の中にしかなく、
それをスタッフやキャストに強要するような態度を取ったので、
稽古が始まって2週間ほどもすると、
劇団内で僕は孤立して、
ギスギスした雰囲気が稽古場兼会場を支配した。

戯曲の稽古に入る前の練習で、
僕は加奈子の演技に興味を持った。
何か本当に自然体で、力が抜けていて、
如何にもやる気がなさそうなのに、
それでいて見る者の目を惹き付けて離さない、
天性の引力のようなものがあったのだ。

彼女の演技は自発的な感じのものではなくて、
何かに憑依され操られているような感じがあった。
高校演劇などの経験は一切ないと言っていて、
それは事実と思われたけれど、
平然と力を抜いたまま舞台に立てるというところは、
全くの初体験とも思えなかった。
演劇をされた方ならお分かりのように、
素人はまず舞台に自然体で上がることは出来ず、
身体が固く強張るようになるのが通常だからだ。
この僕の疑念は後に立証されることになる。

加奈子は台詞も声を張らずに、
抑揚がなく棒読みで話した。
与えられた台詞をまず棒読みし、
その後に色々な感情を入れて何パターンか披露する、
というような稽古があって、
皆がやや大仰に泣いたり笑ったりしながら台詞をがなるのに対して、
加奈子は全て小声の棒読みで通した。
それで、多くの劇団員は、
加奈子が手を抜いているように感じ、
「もっと声を出せ、表情を付けろ!」
と不満を声に出したが、
加奈子は頑固に自分のスタイルを変えなかった。

しかし、
同じ台詞を同じ棒読みで喋っているだけなのに、
彼女の台詞にはその都度別個の雰囲気があった。
同じブルックナーの9番なのに、
指揮者とオケによって、
全く別の曲のように聴こえるのと、
それは似ているように思った。

ちょっとした間合い、呼吸の仕方、
そうしたある種の言葉に出来ない微妙な空気感のようなものが、
同じ棒読みの台詞に違う何かを憑依させるのだ。

そして彼女は、
僕にしか見えていないタイミングで、
微妙に体位を変え、
あの最初の日に逢った時に見せた、
身体の変容を僕だけに披露していた。

寺山修司の天井桟敷時代の戯曲の多くでは、
新高恵子がヒロインを、
SMの女王様めいた役作りで演じるのが常だった。

僕はそれを学生演劇でやるのは困難と考えて、
戯曲をコラージュするようにして、
ヒロインの役柄を小さくした台本を作っていた。

中で目立つ女性の役は、
「盲人書簡上海編」に登場する女賊黒蜥蜴であったのだけれど、
僕は迷った末に加奈子にその役を割り振った。

この抜擢も劇団員の僕に対する風当たりを強くした。
入って数か月で台詞も棒読みしか出来ない新人を、
役はそれほど大きくないとは言え、
ヒロインに付けたのだ。

しかし、僕の強引な進め方に対する反発は消えなかったけれど、
加奈子の抜擢に対する批判は、
立ち稽古から本番の2週間くらい前の時期には、
劇団員の中からはほぼ完全に消え失せた。

その時期の彼女は、
間違いなく舞台の上では黒蜥蜴だった。
相変わらず声は大きくはなく、
台詞も棒読みのままだった。
しかし、不思議なことにそれでも彼女の声は、
間違いなく客席には届いていたし、
その雰囲気には妙に艶やかなものがあって、
僕が観た天井桟敷後期の新高恵子より、
ある意味その妖艶さでは優っているようにすら見えた。

アドリブは効かない代わりに、
共演者の台詞が飛んで、
舞台上に静寂が訪れても、
何ら動じることなく何分でも立ち続けていた。
あまりに堂々としているので、
誰もトラブル発生とは思わなかった。

実は彼女の変容には少し僕が手を貸した。

ある日練習の終わった後で、
1人稽古場に残って段取りをイメージしていた僕のところに、
加奈子が近付き、
いつもの内気さ全開ながら、
それでも決然とした様子で、
自分の演技をちょっと見て欲しい、
と言いに来た。

僕は即答で「いいよ」と答え、
その場で彼女が黒蜥蜴を演じるのを見た。

僕が原作から残した場面は、
闇の中で鏡売りと対話するところと、
最後の有名な長台詞だった。

戦前読んだ「怪人二十面相」を戦後に読み直すと、
物語が食い違っていて、
誰かが歴史を書き換えたのだ、と言い、
歴史の闇に光を当てるために、
逆説的に完全な闇を求める、
というあの魅力的なフレーズだ。

加奈子は僕の目の前に棒立ちになって、
真正面から僕の目を見据え、
その長台詞を棒読みで語った。

彼女の顔が左右対称ではなく、
2つの異なる何かが同居していることを、
その時に初めて僕は体感的に理解した。

その2つの瞳の輝き自体も違っていて、
一方が一方を呑み込もうと、
常に内なる戦いを繰り広げているように見えた。
そう思って彼女の声を聞くと、
それも相反する何か2つのものが、
そこに争って輻輳的に表現されていることに気付いた。

彼女の演技の謎の一端は、
まさにそこにあったのだ。

彼女は僕に事細かく演技を指示するように求めた。
その仕草の全て、その言い回しの全て、
その呼吸の回数や大きさの全てを、
僕に決めて欲しいと言った。

それまでにも何本か演出をしたけれど、
多くの役者は演出の指示など無視して、
自分のやりたいようにやりたがったから、
このような奇妙な求めは初めてだった。

と言っても、
彼女は別に棒読みを止めることはなかったし、
殊更に声を張ることもしなかった。
勿論彼女の拘りに何となく気付いていた僕は、
そのような彼女に無理な指示はしなかった。

僕の細かな指示を加奈子は的確に自分のものとして、
そこに少しずつ何かが憑依していった。
僕と加奈子の共同作業の黒蜥蜴が、
彼女の複雑怪奇な肉体を憑代として、
静かに姿を現し始めた。

それはある種官能的な光景で、
僕は何か途方もなく酔い心地の良い酒を、
口に含んで眠りに就いたような気分になった。

結局2時間ほども、
僕は加奈子とその場で「補習」をしていた。

どちらともなく、
もうこれくらいにしよう、という空気が流れて、
何も言わずに僕達は身支度を整え、
ただの会釈をしてその場で別れた。

僕は彼女の秘密を知り、
この世で唯一の彼女の理解者になったような気分でいた。

それから練習が進み本番を迎えて、
前述のように初日に闇の中で僕は途方に暮れ、
「小さな手」に救われた。

何となくその手が加奈子の物であるような、
予感のようなものはあったのだけれど、
それを彼女に尋ねることはしなかった。

そして、公演が終わり、夏が来て夏が終わり、
冬の公演の準備に入った時、
意外にも加奈子は次の公演には参加しないと言ったのだ。
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まこ

新高恵子さんの声が好きでした。ふっと思い出して検索中 この魅惑的な読み物に出会ってしまいました。続きを早く読みたいです。気楽でごめんなさい。高校の先生の影響で寺山を知りました。人力飛行機のお芝居を観に行き 大人達にもっと前で見ろと促され 最前列であの暗転を経験しました。照明が点くと 自分の目の前に白塗りの男がいて 全く気配を感じなかった。30年前のことです。
by まこ (2015-02-22 20:58) 

fujiki

まこさんへ
コメントありがとうございます。
僕は天井桟敷の実際の舞台は一度観ただけなので、
大変羨ましいです。
寺山修司が亡くなった後すぐに旗揚げされた、
最初の万有引力の公演は観たのですが、
もう既に気の緩みがあって、
完全な暗転もなかったので、
非常に残念に思いました。
第一回の戸賀フェスティバルは誘われたのですが、
結局行かないで、
それも非常に心残りです。
これからも読んで頂けると嬉しいです。
by fujiki (2015-02-22 22:47) 

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