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日本のアングラ(その5) [フィクション]

僕がアングラに最も近付いたのは、
大学時代に5年間在籍した、
学生劇団時代のことだ。

自分の手で唐先生と寺山修司の戯曲を1本ずつ演出した。
それから2本の自作の芝居を上演した。

本当に色々なことがあった。
今でも夢に見ることの多くはその時のことで、
僕はある時は台詞を舞台上で忘れて立ち尽くし、
またある時は団員に罵倒され、
殴られて血を流した。
得体の知れない芝居小屋の迷宮を、
寺山修司の「盲人書簡上海編」の台詞を呪文のように口にしながら、
彷徨いながら年を取ってしまうこともあった。
時には甘美な妄想もあり、
ある時は女悪魔役のスティーヴィー・ニックス
(注:フリートウッドマックのヴォーカルで、
僕の高校時代の憧れのマドンナだ)が、
僕の稽古の相手役を、
小学校時代を過ごした古い家の書庫の中で、
性の手ほどきをしながら演じてくれることもあった。

失礼、これはただの夢だ。

寺山修司の芝居の最大の特徴は、
密室劇の場合には「完全暗転」で、
これは芝居の中で舞台を照らしていた照明が消えると、
劇場全体が完全な闇に包まれ、
右と左も分からず、
何処に舞台があったのかも、
全く判別出来ない状態になる、
というものだ。

暗転なのだから、
何も見えないのは当然だ、
と言われる方があるかも知れない。

しかし、そう言われるあなたは、
一度小劇場であれ大劇場であれ、
劇場というものに足を運ばれて、
その「闇」を検証してみて頂きたい。

通常の暗転では、
明かりが消えた瞬間のみは、
確かに真っ暗と感じるけれど、
少し闇に目が慣れてくると、
舞台もぼんやりと輪郭が現れる。
通常の舞台では暗転中に装置の転換などをするので、
照明も完全には消されないことが多く、
舞台袖に暗い照明の点けられていることもあり、
舞台面には役者や装置の位置を示す蛍光の目印が、
設置されているからだ。

大きな劇場では椅子自体に小さな明かりが仕込まれているので、
そのために客席も仄かに明るく、
背後に目を遣ると、
小劇場でも照明や音響の操作のためのオペレーションルームがあって、
そこには操作者の手元を照らす照明が、
常に点いているので、
闇の中でもそこは浮かび上がっているのだ。

寺山修司は原則としてそれを全て消した。

たとえば、阿佐ヶ谷の地下にある小劇場などなら、
客席には消えない明かりはない。
しかし、そこで、
寺山修司の演劇を実際には体験しない世代により上演された、
「盲人書簡上海編」では、
完全暗転は必須の演目であるにも関わらず、
オペレーションルームの手元の明かりが消されなかったので、
実際には場内は暗転中も仄かに明るく、
せっかくの密室は中途半端のままに終わっていた。

寺山修司の死後に、
演劇実験室天井桟敷の、
主要なメンバーにより結成された「万有引力」も、
旗揚げ公演のみはほぼ完全暗転が実践されたが、
その後は全ての公演において、
全ての明かりは消されなかった。

完全暗転は寺山修司の死と共に、
ほぼ封印されて現在に至るのだ。

現在では携帯やスマートフォンからの明かりもあり、
蛍光を発するような洋服などもあり、
また、観客は当然の権利として、
上演中でも途中入場や退席の権利を主張するので、
寺山修司が存命であっても、
完全暗転は出来なかったかも知れない。

皆さんは何故僕がここまで完全暗転に拘るのかと、
奇異の念を持たれるかも知れない。

完全な闇であろうが、
仄かに舞台の輪郭が見えようが、
そんなことはさして本質的なことではないではないかと。

しかし、それは違う。

完全暗転というのは、
人間離れした執着がないと実現しない、
完璧な清潔さのようなもので、
アラビアのロレンスが砂漠に感じた潔癖さのような、
汚辱に塗れた人間が天使に生まれ変わる幻想の一瞬であり、
人間に残された最後のユートピアなのだ。

思えば全ての藝術は闇の中で生まれた。

それは目を閉じた眠りという名の闇であったり、
死という闇であったり、
時には歴史の闇であったりもした。

完全な闇の中では人間は自由になる。

肉体的な年齢や容姿の美醜は闇の中では消え、
時間も場所もその意味を失う。
人間は視覚を失うことにより、
その欠落を想像力で置換するので、
完全な闇の中で人間の想像力は解放されるのだ。

寺山修司はその闇の利点を最大限に作品に利用した。

黒蜥蜴は闇の中で裸になり、
自分の姿を想像しろと挑発し、
その後闇は歴史に置換された。
黒子により手が叩かれると完全な闇が訪れ、
ここは昭和初期の上海だと声が告げると、
実際に時間は逆流したように思われた。

そして常にラストには無常な光が、
観客の想像力を無残に破壊して劇は終わった。

僕はその完全暗転を自分で再現しようと試みた。
演出した寺山修司の戯曲を上演した時のことだ。

劇場はプレハブの部室であったので、
余分な光は入らなかった。
壁を全て黒く塗り、
天井の隙間をガムテープで塞いだ。

オペレーションルームの小窓には蓋を付け、
暗転中はその蓋を閉じて、
オペレーションルームの光が客席に漏れないようにした。
時間を何秒と指定して、
その時間を合図に照明を付けた。

一番の問題は、完全な闇の中で、
舞台装置を変換し、
役者が移動することを可能にすることで、
物の移動は必ず1方向に行なわれるように計算し、
役者の動く経路も全て決めて、
それからは闇の中で決められた動きが出来るように、
その練習を繰り返した。

それでも実際の舞台で、
完全暗転が達成されたかどうかは定かではない。

大分近付いたという感触はあったけれど、
そのために僕はその時に多くの劇団員の信頼を失い、
多くの友達を失った。

初日の最初の暗転の時に、
僕は舞台の中央から下手に去る予定だった。

しかし、鼻先に闇が訪れた時に、
こみ上げる何かのために精神の均衡を失い、
どちらに行くべきかを忘れて途方に暮れた。

闇の中で僕は1人だった。

胎児が急に外界に投げ出されて自力呼吸を促された時のような、
途方もない恐怖と不安とが僕を襲った。

と、誰かの手が僕を摑んだ。
柔らかくとても小さな手だった。
小学生くらいの子供のような…

その手は僕を静かに導き、
僕は楽屋に戻ることが出来た。

あれは誰の手だったのだろうか?

それが分かったのは、
10年以上が経った後のある夏の日の午後のことだった。
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