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日本のアングラ(その4の続き) [フィクション]

烏丸みどりは、
麿赤児が主催する舞踏集団「大駱駝艦」の、
「海印の馬」を観て、
アングラの世界の虜になった。

この作品は僕も観ている。

オープニングには白塗りの異形な出で立ちをした、
半裸の男女が舞台上にズラリと並び、
舞台に横に張られた一本の綱に、
ほぼ等間隔で括り付けられた赤い布を口に咥えている。
背後には黒い戸板が並べられ、
さながら戦乱で荒れ果てた羅生門に、
魑魅魍魎が集まっているようだ。

そして、
頃合いを見て、
舞踏手達が口に咥えた布を一気に放すと、
赤い矢が一斉に観客目掛けて飛んで来るように見えるのだ。

恥ずかしい話だが、
僕も思わず身体を避けた。

「海印の馬」には舞踏の、
そしてアングラのエッセンスが詰まっている。

訓練や調和を拒否したような、
異形の肉体が乱舞し、
醜悪でありながらある種の美があって、
極めて稚拙でたどたどしい動きしか登場しないのに、
それでいて訓練された整然としたパフォーマンスには、
決してない、
何かもっと切実なものが篭められている。

烏丸みどりがアングラの世界に、
魅入られたのも当然だ。

しかし、みどりは別に麿赤児に弟子入りを志願する、
というような行動は取らなかった。

その代わりに東京を離れて京都に行き、
そこで自分の劇団「梟とナジャ」を立ち上げた。

その旗揚げ公演は1984年のことになる。
僕はその芝居は観ていない。

僕と会った喫茶店で、
彼女はとても嬉しそうに、
その旗揚げ公演のパンフレットを見せてくれた。

パンフレットとは言っても、
A3の1枚の紙を2つ折りにしただけのものだ。

表紙にはまず「梟とナジャ」第1回公演と書かれ、
その下に太字で大きく、
『ナジャの転生』
というタイトルが書かれている。
その更に下には公演場所と日時が記載されていて、
それでそのページはお終い。

紙を開くと、
左側に主催の言葉として、
烏丸みどりの檄が載っている。

それは以下のようなものだった。

アングラはもう終わったと誰かが言う。しかし、あたしこそがアングラだとあたしは言う。何の後ろ盾もなく、権威もなく、お金もなく、暗闇の中、黒尽くめのナジャとしてあたしは立つ。頼るものはあたしの肉体のみ。しかし、その肉体も闇の中では見ることすら叶わない。

その檄の下には、
キャスト表が載っていたが、
それも4行だけの簡素なものだった。

ナジャ 烏丸みどり
もう1人のナジャ 東朔太郎
梟の群れ 本物?
麿赤児 ?

「麿さんが出演されたんですか?」
僕がびっくりして言うと、
烏丸みどりは声を出さずに、
その白く薄く生気のない唇を歪めて笑うと、
「ある訳ないじゃない話したこともないのに」
と僕を一蹴した。

実際にはこういうことだったらしい。

みどりは麿赤児を崇拝していたが、
現実の世界で交流を持つことを、
如何なる形にせよ望まなかった。
彼女の言葉を借りれば、
一旦一言でも言葉を掛けたりすれば、
麿赤児も1人の人間になってしまって、
この汚濁に満ちた世界の住人であることを、
認めたことになってしまう。
彼女にとっての麿赤児は、
唐先生の「少女仮面」の台詞を借りれば、
「この世から最も遠く離れた観念の結晶」
であったので、
それが一転地に塗れることが許せなかった。
だから、実際の交流を持つことはなかった、
ということになるらしい。

それでは、この謎のキャスト表の正体は何かと言うと、
舞台上に麿赤児の写真を貼った、
大きなベニヤのパネルを登場させ、
そこに生卵をぶつけた上、
最後は粉々に叩き割ったのだと言う。

上演回数は4回であったが、
その度にボードを作り直す必要があり、
それが最大のこの舞台の出費となって、
舞台は赤字に終わったらしい。

「赤児(あかじ)のために赤字になった」
というのは実際にみどりが僕に語った寒いギャグだ。

最も崇拝するものを、
最も暴力的で悲惨な形で葬ることが、
アングラ的な対象への愛なのだとみどりは言う。

「だからアングラはテロリズムから、
最も遠いところにある観念なの。
最も大きな憎しみは、
常に最も崇拝する対象に向けられるべきものなのよ」

誤解のないように言えば、
彼女は決して暴力的な人間ではない。
彼女の憎しみはせいぜいパネルに生卵をぶつける、
と言う程度のものなのだ。
誰にも実際的な被害を与えることはない。
卵やボードを用意する、
みどり自身の懐が痛むだけの話だ。

キャスト表にある梟は、
実際に彼女が飼っている梟が登場したらしい。
この梟は彼女が旗揚げの数年前に、
亡くなった祖母から譲り受けたもので、
彼女自身は祖母の生まれ変わりと主張していた。

彼女の自分の家族についての話には、
この動物と交流した祖母の話以外は出て来ない。
そこには色々と家庭の複雑な事情が隠れているのだろうが、
彼女の口からそうしたことが、
僕に対して語られたことはなかった。

キャスト表にはもう1人人間と思われる名前が記載されている。
それが東朔太郎で、
勿論これも本名ではないが、
この人物自体は実在している。

男性の名前だが実際の戸籍上の性別は女性で、
性同一障害が一般に話題となる以前から、
自分の心は男性であると主張していた。
東朔太郎と烏丸みどりは、
バイト先の京都の自然食カフェで出会い、
みどりはハンターのように東を捕捉した。

女性の肉体を否定して、
精神の男性性を幻想として成立させようとする、
東の心のあがきを、
みどりはそれこそがアングラの体現と、
そのように理解したからだ。

みどりに引き摺られるようにして、
東朔太郎は劇団の旗揚げに参加した。

それまで全く演劇とは無関係であった東は、
みどりの指導の下にアングラの世界に足を踏み入れたのだ。

「梟とナジャ」の舞台がどのようなものだったのか、
それはみどりの話から推測するしかない。
かなり稚拙なものだったことは間違いがないが、
暗転の客席に梟を飛ばしたり、
麿赤児の大きなパネルをズタズタにしたり、
腰骨のところでみどりと東の裸体を結び付け、
その上に黒いケープを纏って、
存在しないシルエットの生物として、
舞台上で踊る、というような話を聞くと、
何となく観てみたいような思いも浮かんでは来る。

みどりはアルバイトをしながら1年に1回の公演を打ち、
第5回公演を行なった後で、
実質的に活動停止状態に入る。

その理由は想像されるように、
東朔太郎の離脱であった。
同時期に梟もその生を終え、
みどりは完全に1人になった。

その後のみどりは、
舞踏に近いパフォーマンスの世界に入り、
「烏丸みどりの世界」と称して、
個人の語りと踊りを交えたパフォーマンスを開始した。

舞台に登場するのは烏丸みどり1人。
ただ、勿論舞台というのはたった1人で出来るものではなく、
最小限のスタッフは必要だ。
長年小劇場演劇の世界に身を置く中で、
一匹狼のみどりに対しても、
少数だが興味を持ち、
サポートを申し出る演劇関係者が存在した。
そうした少数のサポートを得て、
まがりなりにもみどりのアングラ活動は継続された。

それが止まったのは、
彼女の肉体が、
彼女に反逆するようになったためだった。

烏丸みどりは病に倒れたのだ。

最初は東朔太郎の離脱と梟の死がきっかけだった。

みどりは気分の落ち込みと不眠に悩み、
寝る前の酒量が増えて、
更に気分が不安定になった。

それで医者に行って睡眠薬と抗不安薬をもらうと、
すぐに処方量を超えて服用するようになり、
アルコールとも平気で併用したので、
数か月もすると依存が形成され、
病状は複雑化した上に不安定になった。

複数の医療機関を渡り歩いて
常用量の数倍の薬を手に入れた。

眠れたという実感はなかったが、
昼間もふらついて歩行は困難となり、
まともに思考することは出来なくなった。
具合が悪いので更に薬を多く飲み、
それで更に具合は悪くなった。

そうした中でもみどりは1人で舞台で踊り、
ろれつの回らない口で断片的な台詞めいた断章を口にした。

それが「烏丸みどりの世界」の実態だった。

数年後には、
舞台にまともに立つことや、
約束の時間に劇場入りすること自体が困難となり、
「烏丸みどりの世界」そのものもフェードアウトした。

みどりと僕が会った時には、
もう長いこと実際の舞台に彼女は立っていなかった。
僕はみどりの話を聞いた上で、
薬の減量について、
僕に出来る限りのアドバイスをした。

東京の専門医療機関なら紹介出来ると言ったのだけれど、
みどりは京都にいる、
数少ない支援者の元に下宿していて、
京都を離れるつもりはないと言った。

「あたしは中学の頃の石原君を見ていたわ」
とみどりは言った。
「見ることしか出来なかったけど、
石原君があたしを時々見ていたことも、
知っていたの」

みどりの大きく顔の他の印象を侵食するような瞳を見ていると、
僕はどうにも落ち着かない気分になった。
何かもっと別のことを、
みどりは僕に求めていたような気がしたし、
何か別のことを言おうとしていたような気もしたけれど、
少し怖さを感じた僕は、
それ以上踏み込むことをしなかった。

それから半年後に、
みどりからハガキが来た。

それは自分の個展の案内だった。
余技で作成していた自分の造形物を並べ、
そこで毎日2回、
自らも踊るという企画だった。
案内状の余白には、
「今は割と元気です。
石原君のアドバイスももらって、
薬の減量も主治医と相談中」
と利き手ではない方の手で、
書きなぐったような字で書かれていた。
何処か事実と言うより、
僕に対する言い訳めいた感じがした。
僕は迷ったが、結局京都までは行けなかった。

その個展が実際に開かれたのかどうかは定かでない。
そして、その後彼女からの連絡は一度もなかった。
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コメント 2

ぼんぼちぼちぼち

崇拝しているからこそ直接会いたくない、普通の人間に堕ちてしまう、という考え、よく解りやす。

by ぼんぼちぼちぼち (2015-02-03 18:41) 

fujiki

ぼんぼちぼちぼちさんへ
コメントありがとうございます!
by fujiki (2015-02-03 22:48) 

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