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日本のアングラ(その4) [フィクション]

前項のアングラの生き字引と並んで、
もう1人、
僕とアングラとの接点を語る上では、
欠かせない人物がいる。

劇団「梟とナジャ」を主催していた烏丸みどりだ。

2012年の正月に、
僕が卒業した茨城県の中学の同窓会があって、
妻が腸の難病で入院中ではあったのだけれど、
もう退院の日時も決まり、体調も安定していたので、
懐かしい思いもあって日帰りで出掛けることにした。

二次会まで参加するつもりであったのだけれど、
途中で妻から電話が入り、
熱が出ていて、決まっていた退院の時期が、
延びるかも知れないという話だったので、
急遽一次会だけで会場を後にした。

幸い妻の熱はすぐに下がったが、
数日して中学の同級生の女性からメールが来て、
彼女は二次会からの参加になったのだけれど、
僕に会いたかったのに会えなかったのが残念だと、
そんなことを綴った上で、
僕のブログの演劇評に興味があるので、
一度会えないかとそんな話になった。

普段だったらそんな話には慎重になるのだけれど、
滅多に褒められない演劇評を褒められたのが嬉しくて、
それもその女性が小劇場で芝居もしていると言うので、
そんな人なら是非会いたいと思って、
何となく承知してしまったのだ。

彼女の上京の機会に合わせて、
僕は新宿の路地裏の小さな喫茶店で彼女に会った。

勿論本名ではないけれど、
彼女が烏丸みどりだった。

正直中学生時代の同級生の顔と名前が、
一致することは殆どない。
しかし、烏丸みどりは違った。

顔が青ざめていて、
いつも黒いタイツを履いていた。
今思うに、
禁止されていた化粧をしていたのではないかと思う。
妙に色気を発散させていたため、
非常に目立っていたし、
それで当時はクラスからは浮いていた。

更に浮いていた僕が言うのも滑稽な話だけれど。

30年以上ぶりに見る烏丸みどりは、
相変わらず黒が好きで、
全身黒尽くめで黒の長いケープを身に纏っていた。

しかし、古着屋で買った上に、
外で雨ざらしになり、
無数の猫にも蹂躙されたようで、
皺だらけの生地には、白い猫の毛と埃が無数に付いて、
元は光沢のない素材なのにテカテカと光っていた。

中学時代の顔は、
全くイメージが出来なかったけれど、
その時の烏丸みどりは、
背が高くガリガリに痩せていて、
窪んだ眼窩の中で、
飛び出した大きな瞳が、
闇夜の猫のように輝いていた。

要するに見るからに彼女はアングラだった。
そして、何か瀕死の状態にあるように見えた。

烏丸みどりは中学を出てから東京の専門学校に行き、
そこで数年遊んだ後に、
麿赤児と運命的な出会いをした。

アングラの衝撃が彼女の人生を変えた。
ただ、ある意味不幸であったのは、
時代が既にアングラを過去の遺物にしていたという事実だった。

時は1983年。

寺山修司の死んだ年だった。
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