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松尾スズキ「キレイ」(2014年上演版) [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

明日から1月4日までは、
診療所は年末年始の休診となります。
ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。
その間は、
メールのご返事も原則として出来ませんので、
ご了承ください。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
キレイ.jpg
個人的には松尾スズキの最高傑作だと思う「キレイ」が、
初演と同じシアターコクーンで、
今3回目の上演中です。

僕はこの作品は本当に好きで、
テーマ曲を聴くだけで胸が踊ります。

一方でこの作品には因縁めいたものがあり、
以前の記事では、
再演してももう行かないと思う、
と書いたのですが、
9年ぶりの再演には、
どうしてもと思い、
結局足を運ぶことにしました。

この作品の初演は2000年で、
主役のケガレは奥菜恵が演じました。
再演は2005年で、
主役は酒井若菜の予定でしたが降板となり、
鈴木蘭々が急遽演じました。
初演より練り上げられた舞台だったので、
主役の交代劇が悔やまれました。

今回は前回から9年ぶりの再演ですが、
主役に多部未華子を得ての上演で、
彼女はイメージにもあっていますし、
舞台は映像より良いので、
期待が高まりました。
僕は舞台の彼女も大好きです。

実際に観ての感想は、
ちょっと微妙なところで、
台本にかなり手が入れられ、
非常にすっきりした分かり易い作品になっていて、
「普通のミュージカル」に近い雰囲気だったので、
進歩したと思える反面、
初演の時のゴタゴタして毒々しい感じが殆どなく、
物足りなく感じたことも事実です。

パンフレットを読んでも、
その辺りは松尾さんの意図であることは間違いなく、
以前はわざわざ観客に意地悪をして、
筋立ても分かり難くし、
余計な入れ事やギャグも入れて、
好き勝手に観客無視でやっていたのだけれど、
最近では観客サービスを心掛けている、
というような意味のことを書いていますが、
再演の作品でそうした改変をするのは、
個人的には誤りのように思えます。

この作品を書いた時の松尾さんも、
同一人物であると共に、
今とは別の松尾さんでもある訳で、
そうした過去の若い松尾さんを、
現在の松尾さんが否定して切り捨てるというのは、
作品を否定する行為のように思えるのです。

少なくとも僕にとっての「キレイ」は、
もっと混沌として活力があり、
松尾さんの全ての奇想が詰まった、
ガラクタだらけの宝箱のような作品だったからです。

それと僕の観劇した日は、
キャストもお疲れのようで全体に生彩がなく、
声も皆かれていて、
最初のテーマ曲で多部さんの歌の、
高音にグイと上がる肝心のところが、
全く声が出ていなかったのがガッカリで、
その後もメインキャストは、
探りながらの安全運転という感じでした。

芝居は生物(なまもの)なので仕方がないのですが、
今年を締め括る最大の楽しみが、
何となく欲求不満で終わってしまったのが残念です。

以下ネタバレを含む感想です。

舞台はもう1つの架空の国の日本で、
そこでは3つの人種が内戦を繰り返しています。

主人公の少女のケガレは、
マジシャンという謎のテロリストに誘拐されて、
地下に監禁されていたのですが、
テロリスト同士の仲間割れに乗じて、
10年ぶりに外に出ます。

しかし、
ケガレはマジシャンの催眠術による洗脳を受けていて、
誘拐される前の過去の自分を、
ミソギという別人格に分離しています。
そのミソギはテロリストの仲間に、
性的暴力を受け続けるのですが、
ケガレはその忌まわしい記憶も、
別人格のミソギに担わせ、
それは次第にミソギの中で、
自分を見守る「神」になります。

ケガレは外に出た時に、
地下室に自分の別人格でもあり、
自分の神でもあるミソギを、
置いて来てしまうのですが、
外の戦場での様々な経験を経て、
ミソギのことを思い出し、
彼女と逢うためにもう一度地下室に向かいます。

要するに、
物理的に外に出たケガレは、
まだ本当の意味では、
地下室から出てはいなかったので、
最後に自分が捨てて来た自分の半身と抱き合うことで、
初めて本当の意味で解放される、
という訳です。

これが物語の縦糸で、
それに何度も死んでは生き返る、
ケガレにとっての永遠の敵であるマジシャンと、
外界の多くの特異なキャラクター達が、
横糸として絡みます。

地下に監禁され凌辱された少女というのは、
松尾スズキ作品に、
何度も登場するテーマの1つですが、
この作品はその1つの完成形と言って良いように思います。

少女と大人のケガレとミソギを、
別の役者さんが演じて、
最後にその2人が抱き合う、
という趣向が素敵ですし、
心理的なプロセスも良く出来ています。
自分の分身の1つである「神」を、
音楽も担当した伊藤ヨタロウが、
ルパン3世のマモーそっくりに演じるのも面白いですし、
後半では偽物の神様2号として、
荒川良々が登場するのも楽しいのです。

一方で外界の戦場では、
キャラ祭りのように、
松尾さんが想像した魅力的でグロテスクで畸形のキャラが、
次々と登場して祝祭を繰り広げます。

浮浪児のケガレを引き取った一家は、
大豆兵という、
大豆から出来ていて血の代わりに豆乳が流れている、
一種のミュータント兵士の死体を横流しして、
食糧の缶詰を作る仕事をしています。
ブレヒト劇めいた肝っ玉母ちゃんは、
政治信条をコロコロ変えながら、
最後は大統領まで上りつめ、
夫は数年に一度しか帰らないが、
とても素敵なお土産を持って来るという怪人で、
2人の息子は、
兄は悲惨な光景を見ないために、
目を閉じていたら開け方を忘れてしまって盲目になり、
目を開けようとすると雨を降らせる力があり、
弟は脳の障害のために知能が低いのですが、
気合いを入れると花を咲かせる超能力を持っています。

この兄弟は共にハンディキャップを持つがために、
その代わりに特殊能力を持ち、
物語の中で、
弟は銃に撃たれて一転して賢くなりますが、
花を咲かせる力を失い、
兄は愛する缶詰企業のお嬢様の、
裸体を見せられたために、
再び目が開くのですが、
その途端に戦争に召集されてしまいます。

そこに大きく絡むのが、
1人は缶詰工場のお嬢様で、
偽善に生きることを生きがいにしている、
ケガレと正反対の女性と、
もう1人は研究者の気まぐれで、
唯一生殖器を持って生まれた大豆兵の男で、
彼は人間に食べてもらいたいという欲望を、
次第に失い、
ケガレと性交渉をして女児を生むと、
最後はケガレをかばって、
賞味期限切れのグロテスクで腐敗した姿で、
その生を終えます。

松尾スズキは、
その初期にはヴォネガット趣味の、
近未来年代記的な作品を作りましたが、
その後サイコロジカルで残酷な家庭劇的な世界に、
その舵を切ります。
1995年前後は、
他の多くの劇作家と同様、
オウム事件の影響が顕著で、
その現実の毒気に負けた感もありました。

2000年初演のこの作品では、
オウム事件は洗脳による監禁、
という形で咀嚼され、
かなり整理された印象があります。

主人公は監禁された地下室から、
物語の最初で外へ出るのですが、
実際には外での年月こそが、
幻想であったかのようにも思えます。
一方で宇宙の果てへと旅立った元バカの弟は、
最後に再びバカに戻って、
宇宙の果てを目にします。
おそらくその光景は地下室に繋がっていて、
全てはメビウスの輪のように同じところに戻って来るのです。
隠し味の地下室のカニバリズムが、
大豆の兵士と共鳴しているなど、
趣向はそれぞれに凝っていて、
精妙な綾をなしています。

トータルな構成はブレヒト劇の影響の元に成立していて、
ブレヒトのような歌芝居が想定されています。

コクーンも初めてで、
ミュージカルも本格的なものは初めてで、
多くの外部キャストと仕事をするのも初めて、
ということで、
松尾さんとしてはエポックメイキングな仕事だったのだと思いますし、
その斬新で混沌とした面白さは、
今も鮮烈に脳裏に焼き付いています。

さて、それで今回の再演ですが、
枝葉の部分はかなり刈り込まれ、
無意味なギャグなどが減って、
かなりすっきりした印象になっています。

初演は本当に「インチキ歌芝居」という感じであったのが、
今回はアンサンブルには、
実際に歌って踊れるメンバーを入れている上に、
初演は数人のバンド演奏だったものが、
今回は11人編成のミュージカル用オーケストラの演奏なので、
本格的なミュージカル、
という雰囲気になっています。

そうした本格仕様が、
成功した点もあると思うのですが、
キャスト自体は素人のような歌が殆どなので、
トータルなバランスは、
いささか悪い感じが否めません。

元々ブレヒトの歌芝居のような感じがオリジナルなので、
小編成のバンドの方が、
作品世界には見合っていたように思いました。

幕の終わりの盛り上げも、
却って物語の静かな余韻の、
妨げとなっていたように感じました。

キャストは概ね好演でしたが、
偽善を信条とするお嬢様は、
初演2演目と秋山菜津子の当たり役だったので、
年齢的に厳しいと思いますが、
今回の田畑智子さんは迫力不足でした。
秋山菜津子のお嬢様と、
ボンボンの将校の2人がデュエットする、
「ここにいないあなたが好き」は、
この作品随一の名曲で、
意外に美声の村杉蝉之助との相性も抜群でしたが、
今回のリニューアルキャストでは、
あの名曲がそれほどのインパクトを持たなかったのが、
「キレイ」マニアとしては非常に残念でした。
また、自分で目を閉じて盲目になる兄貴は、
初演のクドカンへの当て書きなので、
クドカン以外では矢張り今一つの感じが残ります。

総じて期待が大きかっただけに、
今回の再演は個人的にはやや落胆するものになりました。

ただ、質の高い舞台ではありましたし、
これはこれで1つの形なのだと思います。

松尾さんの芝居はおそらくこの路線が主軸になり、
かつてのアナーキーでインモラルでテキトウな愛すべき世界は、
仮に過去作の再演をするとしても、
もう再現されることはないように思いました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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