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ヘキストララスチノンの消滅を悼む [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は水曜日なので診療は午前中で終わり、
午後は産業医の面談に廻る予定です。

それでは今日の話題です。

ヘキストララスチノン(一般名トルブタミド)
という飲み薬の糖尿病治療薬があります。

これはSU剤というタイプの薬ですが、
現行使用されている他のSU剤と比較すると、
その効果が弱く効きが長いことがその特徴です。

僕が大学の内分泌の医局に入った時の、
糖尿病の治療薬と言えば、
飲み薬はラスチノンとオイグルコン(グリベンクラミド)だけで、
後はインスリンの注射薬でした。
その後の数年に、
αGIと呼ばれる食後のブドウ糖の吸収を抑える薬と、
糖尿病の合併症の進行を抑えると言われた、
キネダック(エパレルスタット)が加わりました。
ビグアナイトはありましたが、
使う医者は「変態」だけでした。

医局の助教授の先生の説明は感銘にして要を得たもので、
「糖尿病の飲み薬には大きな粒と小さな粒の2種類があって、
大きな粒は弱くて、小さな粒は強い」
というものでした。

この先生は他にも名言を残しています。
抗生物質については、
「一番古い薬が一番良く効く」
という言い方でした。

さて、この場合の大きな粒というのが、
ラスチノンのことです。

当時の糖尿病の医者の心得は、
飲み薬ではラスチノンとオイグルコンを上手く使い分ける、
ということに尽きます。

つまり、軽症で低血糖にならないように、
血糖をコントロールしたい時には、
ラスチノンを1から2分の1錠くらいで使用して、
経過を見ます。

それで不充分な場合には、
オイグルコンの少量へと切り替えるのです。

その後グリニドというSU剤の一種で、
食後の短時間しか効かない、
というタイプの薬が開発され、
それからDPP-4阻害剤という、
SU剤とは別箇のメカニズムで、
インスリンを刺激する薬が開発されると、
ラスチノンを使用していた患者さんの多くは、
そちらへと変更されて、
あまりラスチノンは使用されなくなりました。

しかし、薬の値段という観点で言えば、
先発品で1錠13円程度で、
ジェネリックは10円弱ですから、
間違いなくラスチノンの方が安い薬なのです。

僕はつい最近まで、
2名の糖尿病の患者さんに、
このラスチノンを使用して来ました。
その使用は前医から計算すれば、
20年以上の長きに渡ります。

お2人とも今もお元気で網膜症のような合併症はなく、
心筋梗塞や脳梗塞も起こしていません。
糖尿病のコントロールの指標である、
HbA1cの値は6.5以下をキープしています。
五月蠅い先生が言われるように、
無症候性に深夜帯などに、
低血糖を起こしている可能性は完全に否定は出来ませんが、
少なくともはっきりとした低血糖の既往はありません。

ですから、このお2人の患者さんに対しては、
極めて古いSU剤であるラスチノンの使用は、
適切なものではないかと考えています。

SU剤を長期間使用していると、
二次無効になったり膵臓が疲弊すると、
多くの専門医の方が言われていますが、
勿論そうした事例もあり、
そうでない事例もあるのです。

ところが、このラスチノンが使えなくなりました。

薬価は消えてはいないのです。
今年の改定でも薬価基準は掲載されています。

しかし、実際には製薬会社はもう数年前から製造を中止しているのです。

まだ在庫のあるうちは処方を継続していたのですが、
とうとう4月の後半になって、
完全に流通がストップしました。
ヘキストララスチノンは死んだのです。

本来は先発品があり、
ジェネリック薬品があるのですから、
先発品は製造を中止しても、
ジェネリックは継続されるのが筋だと思います。

しかし、実際にはそうではないのです。

ある種の談合なのだと思いますが、
前述の薬価でもお分かりの通り、
うんと安い薬になると、
先発品の値段もジェネリックの値段も、
実際には大きな開きはありません。

先発メーカーにとって利潤の少ない薬は、
ジェネリックメーカーにとっても、
お荷物であることに変わりはないのです。

そんな訳で、
先発のメーカーがラスチノンの製造の中止を決めると、
ジェネリックのメーカーも右に倣えで全て中止を決め、
かくして僕には何の断りもなく、
患者さんへのラスチノンの処方は、
強制的に打ち切りの憂き目に遭うのです。

僕は患者さんに説明の上、
「仕方なく断腸の思いで」
1錠188円のトラゼンタを処方しました。

アマリールやオイグルコンは強過ぎますし、
メトホルミンは病態からして適応ではなく、
グリニドはコンプライアンスの面で問題があるからです。

このようにして、医療費は膨らんでゆきます。

資本主義の世の中において、
現行の薬剤の流通システムは、
新しい薬は古い薬より優れていて、
新しい薬にスイッチすることが正しいことである、
という考えの下に運用されています。
そして間違いなく、
新しい薬は古い薬より高いのです。

一種の進歩史観であり、
景気が限りなく拡大して行くという、
幻想に支配された考え方です。

その顕著な特徴は「過去の否定」です。

糖尿病の治療薬をトータルに考えた時、
アマリールがあればオイグルコンはなくても良く、
グリミクロンもなくても良く、
DPP-4阻害剤が糞のように沢山の種類がある必要はなく、
グリニドもαGIも1種類あればそれで充分ですが、
ラスチノンはないと困ります。
それは、病態にインスリンの分泌不全が関わっていて、
1日1回という利便性があって、
初期の軽症の糖尿病に使用出来る安価な薬が、
それ以外にはあまりないからです。

しかし、そんなことは多くの医者も考えず、
先発品のメーカーも考えず、
その尻馬に乗るジェネリックメーカーも考えず、
製造中止の申請を審査する厚労省の担当者も考えないのです。

せめて、ジェネリックメーカーが1社でも、
この薬を細々と製造してくれていれば、
それで何の問題もないのですが、
実際にはそうしたことが許されないのが、
現行の薬のシステムなのです。

僕の手元に1989年の「今日の治療薬」がありますが、
そこには現在では製造が中止された多くの薬が掲載されています。

しかし、
たとえば降圧剤のグアンファシンは、
軽度の認知症への効果が期待されている薬剤ですが、
発売は以前に中止され使用することが出来ません。
耐性菌への有用性で見直されている複数の抗菌薬も、
今ではその使用に疑問が投げかけられている、
第3世代のセフェム系の新薬の登場により、
製造が中止されました。
静脈注射の鉄剤は、
当時は4種類が使えましたが、
現在は2種類しか使用出来ません。
しかし、現在最も広く使用されているフェジンには、
高率に低リン血症が発症します。
しかし、そうした副作用の少ない薬の、
選択肢が殆どない状態になっているのです。
ああ、こんなにも多くのかけがえのない愛すべき薬が、
無雑作に葬り去られているのかと思うと、
暗澹たる思いがします。

このように、
有用性のある「安い」薬が、
薬価を急激に下げる厚労省の方針により、
「利益が少ない薬」として製造中止になっているのです。
それでも医者が多く使っていれば、
おいそれと中止には出来ないのでしょうが、
新薬の宣伝に踊らされる医療者は、
有用な「古薬」を簡単に見限ってしまうのです。

これが正しいあり方でしょうか?

本当に医療費の抑制を考えるなら、
高価な新薬を何種類も採用するようなことはせず、
使用を限定して古い薬の有用性を見直すべきです。
ラスチノンで何ら問題のない患者さんに、
薬価が10倍以上の新薬を使うべきではありません。
それと共に、
古い薬の薬価を際限なく下げ、
結果として製薬会社が販売の継続を困難にさせるような、
厚労省の薬価の決め方もまた誤っています。

しかし、糖尿病治療薬の今の状況はどうでしょうか?

ラスチノンは使用出来なくなる一方で、
SGLT2阻害剤という新薬が、
5種類以上も次々と販売されるのです。

そんなもの1種類で沢山じゃん。

それより古くからある良い薬で、
きちんと商売の出来るような、
製薬業界を作ることこそが必要なのではないでしょうか?

皆さんはどうお考えになりますか?

臨床医はね、皆好きな薬があるのです。

自分の経験から信頼を寄せている薬、
それによって危機が回避されたり、
患者さんの状態が改善したりして、
「ありがとう、お前なかなかやるじゃん」
と思ったことが必ずあるのです。

患者さんへの向き合い方と共に、
診療器具や薬などへのフェティッシュな愛が、
臨床医の1つの特性でもあるんだよね。

僕にとってラスチノンはそうした薬の1つでもあったので、
今回のその消滅を、
心の底から悼む思いが強いのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

いつもの追伸です。
今日からamazonは発売予定です。
よろしくお願いします。

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コメント 9

テツ

おはようございます。
直接、多くの患者さんと接している開業医の先生方が一番薬の効果や感染症の発生動向の状況を知っていると思います。
製薬会社の持つデータが100%正しいとなると・・・?という思いがあります。
by テツ (2014-05-14 08:16) 

taniyan

石原先生、今日は、何時も有意義な記事、分かり易く解説下さり感謝申し上げます。

早速先生執筆の書籍、amzonへ注文、この歳で今更どうなるわけではないのですが拝読したいと存じます。

古い薬の消滅、向精神薬なんかも定型薬が消えて行くようですね、最近は新規向精神薬効能、定型薬と大差なし、なんて記事観ますが製薬会社の戦略でどうにもならない状況ですね。
by taniyan (2014-05-14 16:13) 

fujiki

テツさんへ
コメントありがとうございます。
古い薬でも良い薬であれば、
それで製薬会社がやっていけるような、
システムであると良いのですが…
by fujiki (2014-05-14 21:04) 

fujiki

taniyanさんへ
ありがとうございます!
基本的には厚労省の方針だと思うのです。
抗うつ剤も古い薬の利点は大きいと思います。
by fujiki (2014-05-14 21:09) 

きたおか

今回の内容に、とても感慨深い思いになりました。薬剤師となり、はや20年余りになりますが消えていった薬達にここまで想いを馳せた事が無かったからです。メーカーが持ってくる新薬のデータやパンフレットに踊らされていた自分を身につまされました。
ありがとうございました。
by きたおか (2014-05-16 22:17) 

fujiki

きたおかさんへ
コメントありがとうございます。
治療薬はトータルに必要性を検証することと、
構造やメカニズムが他剤と異なるものは、
病名上での代替薬があっても、
安易に製造中止にはしない方が良いのでは、
と考えています。
多くの薬がなくなる一方で、
肝炎の病名でのプラセンタなど、
殆ど科学的根拠のない保険適応が、
継続されているのもおかしな話だと思います。
by fujiki (2014-05-17 06:35) 

にゃん一郎

市中病院の糖尿病専門医です。以前からブログ拝見しております。
ヘキストラスチノンが販売中止になったとのこと初めて知りました。確かに歴史に名を刻む薬ではありますが、先生がその代わりにトラゼンタを処方されたというのは、ほかの選択肢もあったのではないかと思いました。
アマリールも確かに作用が強い薬ですが0.5mgから慎重に使えば決してラスチノンの作用よりも強すぎるということもないでしょうし、グリクラジド20mgから開始というのもよく使います。これらはジェネリックがあり、DPP4阻害薬よりははるかに安価です。
SUについては他にも年代物のお薬がいっぱいありますが、やはり新しい薬のほうが利点が大きい(低血糖が少ない)ということであれば、ある程度SUを淘汰してゆくのも自然の流れかなとも思ったりしています。
大変失礼ながら思ったことを書かせていただきました。今後ともよろしくお願いいたします。

by にゃん一郎 (2017-02-08 19:46) 

fujiki

にゃん一郎先生
拙いブログをお読み頂きありがとうございます。
大学院に入ったころが丁度SU剤が次々と発売された時期で、
日本人には短期作用型のSU剤が合っている、
というような話がありました。
そのころを考えると隔世の感があります。
私も今はグリメピリド以外はSU剤はあまり使っていません。
貴重なご指摘ありがとうございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
by fujiki (2017-02-08 22:39) 

sachiko

河盛先生が糖尿病協会の記事で名著として勧めておられるインシュリン物語をAmazonで取り寄せて今頃読み始めている内科医です。
一番初めの写真にトルブタマイドとインシュリンの分子模型があり、トルブタマイド?あ、ラスチノンてどうなっているんだっけと思ったら販売中止になっていることを知り、愕然としてネットで調べましたら、先生のブログを拝見させていただくこととなりました。
感銘を受け大きく頷きながら拝読しました。
ほかのページもゆっくり拝見させていただきます。
ありがとうございます。

by sachiko (2019-01-25 12:14) 

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