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専門家フィルター論 [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は水曜日なので、
診療は午前中で終わり、
午後は産業医の面談に廻る予定です。

今日は雑談です。

昨日記事にしましたように、
人間ドック学会が自分達の研究の中間報告に過ぎないものを、
わざわざ報道機関にのみ公表し、
その思惑の通り、
あたかも既成事実であるかのように報道されたことで、
毎日のように診療中にその説明をする状況が続いています。

それが、
血圧の正常値が147に引き上げられた、
という内容のものです。

多くの患者さんはこの結果がただの中間報告で、
しかも単年の結果に過ぎず、
今後の議論の叩き台の1つに過ぎない、
という説明で一応理解はして頂けるのですが、
絶対駄目で説得などお手上げのケースもあります。

あるAさんという患者さんは、
高血圧のお薬を継続的に飲まれていて、
診察室での血圧は130/76にコントロールされていました。

定期的に血液の検査も行なっていたのですが、
ある時近藤誠という人の本で、
全ての健診は無駄なので止めた方が健康に良い、
という内容を読んだので、
今後一切血液検査はしたくない、
と診察の時に言われました。
無駄に長生きはしたくない、と言うのです。

それは確かに無駄な検査もありますし、
厳密な検証をすれば、
多くの健診に生命予後の改善効果などの認められないことは、
それは事実ではあるけれど、
高血圧の薬を継続的に飲んでいる以上、
薬の弊害や高血圧の予後に関わる検査を、
定期的にすることに意味がないとは言えない、
という意味合いのことを、
多分30分くらい掛けて説明したのですが、
近藤先生がこう言っていたからの一点張りで、
僕が何を言おうと聞き入れてくれる様子はありません。

そもそも本に書いてあることは、
その多くが癌検診の話で、
定期的な診察時に適宜行なう検査についての話ではないのですが、
そんなことを言っても、
所詮は聞いてはもらえないのです。

それでカルテにはその旨記載して、
検査は行わないことにしました。

長生きはしたくない、ということであれば、
血圧の薬を飲むこと自体も、
そう厳密な意味で意義のあることとは言えず、
飲む必要もないのではないかしら、
と思いましたが、
Aさんの頭の中では、
血圧の薬を定期的に飲むこと自体は、
一定の意味のある行為であるようでした。

そして、
今回の人間ドック学会の報道があってから受診したAさんは、
「血圧の基準値が上がったそうですね」
と言いました。
「新しい基準値なら薬を飲む必要はないと思うので、
もう薬を飲むのは止めることにしました」
と続けます。

一応少し話はしました。
でも、無駄だと言うことはほぼ分かっていたので、
それほどしつこくは言いませんでした。

Aさんはこうした人で、
僕の説明が通じるような人ではないことが、
前回のやり取りで分かっていたからです。

本来医者と患者さんとは、
ある治療や検査をすることに対して、
同じ目標と認識とを持ち、
一種の契約をした上で、
診断や治療を続けるのがあるべき姿だと思います。

しかし、実際には意思の疎通が困難なケースもありますし、
一見スムースに廻っているように見えても、
医者の認識と患者さんのそれとは、
乖離しているケースも多く存在していると思います。

僕はこれまでの経験から、
人間同士は分かり合えないことの方がずっと多く、
そうした場合に議論をするのは無駄なことが多い、
という考え方なので、
たとえばAさんのような方を、
説得する愚を犯すことは、
極力控えるようにしています。

一般の方は「病気」ということについては非常に敏感です。

「健康」と「病気」とは常に対立概念として認識され、
病気は何か禍々しいものとして、
忌むべきものとして、
科学としての医学などからは離れたところで、
人間の心の中に1つの大きな位置を占めています。

従って、病気と病気ではない状態との境目は、
明確なものでないといけません。

それが曖昧であることは、
頭の中の善悪を区別するという回路を不明瞭にするので、
人はその不安に耐えることが出来ないからです。

一方で科学としての医学においては、
病気の概念はむしろあやふやなものになり、
その境界も明確なものではなくなっているのがトレンドです。

高血圧などもその代表で、
正常と異常との明確な区分けはなく、
「動脈硬化の病気の予防のためには、
これこれの血圧を目指すことが望ましい」
というようなボーダーラインを重視した診断基準になっています。

しかし、一般の方の感覚はそうでないことが多く、
テレビなどで130を越えたら血圧に注意、
というようなCMが流れれば、
130を越えると「高血圧」という病気になって、
薬による治療が必要になる、
というように判断しがちですし、
今回のように人間ドック学会の新しい基準値では、
147までが正常と判定される、
というような報道を見れば、
今まで俺の血圧は140だったので、
高血圧という病気で治療を受けていたけれど、
今回147までが正常に変わったので、
俺は病気でなくなったのだから、
もう医者に行く必要はない、
というような理解になりがちなのです。

その意味で、
基準値の発表や報道というものは、
一般の方に大きな影響を与えるものなので、
それを報道したり発表する場合には、
本当に慎重な配慮が必要なのですが、
今回の人間ドック学会の一件では、
学会にも報道機関にも、
その意識が欠如していたことが、
僕は大きな問題だと思います。

僕の尊敬している新潟大学の疫学の先生は、
日本人のデータを元にして、
脳卒中の発症リスクを簡便に計算可能なソフトを完成された際に、
それを一般の人の簡単に目に触れる形では公開せず、
その代わり臨床に携わる医療従事者には、
広く使用可能なように発表されました。

それは、
決して情報を隠したということではなく、
この計算ソフトを一般の患者さんが使用すると、
たとえばそのまま喫煙した場合のリスクと、
今禁煙した場合のリスクとを計算して、
何だこの程度しか下がらないなら、
禁煙は止めよう、というような、
自分に甘い安易な言い訳のツールに、
使用されることを危惧されたためです。

こうした配慮こそが見識であり、
疫学の専門家とはこうした方であるべきだと、
僕は思います。

専門家はフィルターの働きを果たすことこそが使命なのです。

多くの情報をそのまま垂れ流すのは、
その一般の方への影響を考慮する想像力のない、
素人のすることで、
専門家はその情報のうち、
一般の方に誤解を与えるようなものをすくい取り、
濾過して、
適切な情報を一般の方に送り、
誤解を与える情報については、
それをより誤解なく伝わるように修正したり、
それを伝えても問題のない時期に、
改めて公表するような処置を取るのです。

恣意的ではなく、
それでいて不用意に隠匿するのでもない、
適切で便利な情報フィルターの役割こそが、
一般の方にとっての専門家の最大の意義であるように、
僕は思います。

人間ドック学会の責任者の方は、
自分達の研究による基準値の意味が、
誤って報道機関で誤解を招く記事にされた、
というような説明をされているようですが、
それはあまりに無責任な見解のように思います。

報道機関は誤解するのです。
誤解するのが彼らの仕事だからです。
そんなことは当たり前のことで、
そもそも基準値というものは、
病気と健康を二元論で考えている多くの人にとっては、
非常に大きな意味を持つものなのであり、
卑しくも疫学の専門家を名乗るなら、
そのことを肝に銘じる必要があるのです。
そして、そうした見識を持っていれば、
中間報告の段階で、
まだ単年の検査の段階で、
その数値を報道機関に発表するような愚は、
決して犯すことはないのです。

僕はですから今回の発表を絶対に許しません。

報道で誤解されたと説明すればそれで済むのでしょうか?

今回の発表で混乱されたり、
治療を取りやめたりした多くの患者さんに対して、
どう責任を取ってくれるのでしょうか?
僕の無駄な説明の労力と、
臨床の現場の混乱に、
どう責任を取ってくれるのでしょうか?

せめてAさんに個別に連絡を取って説明して頂けませんか?

少なくとも、
150万人のメガスタディなどと浮かれて、
個々の人間を数字として見ているあなた方に、
基準値などは永久に決めて欲しくはない、
というのが僕の言いたいことの全てです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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コメント 4

テツ

元医学雑誌編集者として、また一人の人間として、先生の考え方に同意します。
by テツ (2014-04-16 14:24) 

普段はROM

血圧は低いですがコレステロールが高い者です。
自分も基準値が上がったと誤解して、正常になってうれしいような気分になっていましたが、こちらを拝見して誤解を解消できて良かったです。
トンでもない報道があれば、良識のあるブログが警告してくれる。ネットがある時代でよかったです。

by 普段はROM (2014-04-16 17:24) 

fujiki

テツさんへ
コメントありがとうございます。
専門家と報道機関に、
共にこうしたデータに関しては、
慎重な姿勢が望まれますね。
by fujiki (2014-04-17 08:05) 

fujiki

普段はROMさんへ
コメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2014-04-17 08:05) 

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