ねずみの三銃士「万獣こわい」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は祝日で診療所は休診です。
いつものように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
官藤官九郎作、河原雅彦演出、
生瀬勝久、池田成志、古田新太出演による企画公演、
ネズミの三銃士の第3回の公演が、
これまでと同じパルコ劇場で上演中です。
今回は、
小池栄子、夏帆、小松和重の3人が、
ゲストとして加わっています。
2004年の「鈍獣」は観ましたが、
かなりドロドロした男女の殺し合いのような話で、
今回の作品もその路線はより純化した方向で、
継承されています。
官藤官九郎より河原雅彦の趣味が、
強く出ているような感じです。
長塚圭史の初期の暴力的なドラマに、
近いような世界観です。
官藤官九郎の戯曲は、
映像とは一線を画する救いのない暴力的な世界ですが、
それでもこういう一方向に走るだけ、
という感じにはあまりならないので、
このシリーズは河原さんが主体のように思います。
殺伐としているので、
正直あまり好きではありません。
ただ、今回は特に前半が軽快なタッチで進み、
キャストも手練が揃っていて、
見応えのある作品には仕上がっていたと思います。
以下ネタばれがあります。
これは北九州連続監禁殺人事件と称された、
7人の家族を監禁して殺し合いをさせた事件を下敷きにしています。
山崎という男に監禁され、
互いに殺し合いをさせられた7人の家族が殺され、
唯一生き残った夏帆扮する1人の少女が、
生瀬勝久が開店した喫茶店に、
逃げて来るところから物語は始まります。
少女は助かり山崎は捕まって死刑を求刑されますが、
実は少女自身が山崎以上の怪物に成長していて、
喫茶店の生瀬勝久と小池栄子の夫婦に取り入ると、
喫茶店の支配者となって、
そこでの殺し合いが再現されることになります。
生瀬の前妻の弟で刑事に小松和重、
山崎の取材をしつつ、
常連客として秘かに少女を監視するジャーナリストに池田成志、
少女の里親となった狂暴な男に古田新太という布陣で、
まず小松和重が殺され、
それから池田成志が、
そして生瀬が古田を返り討ちにします。
結局少女は裁かれず、
また別の犠牲者が選ばれたところで物語は終わります。
乾いた笑いを交えながら、
物語はひたすらドライに進行します。
現実の事件が下敷きにはされていますが、
それを追求する、という感じではなく、
物語の中で格別新たな事実が明らかになる、
ということもありません。
そのために、
少女の正体が何なのかを含めて、
軽快にドラマが展開する前半は良いのですが、
後半は殺し合いの経過だけが続くので、
短調になったことは否めません。
ラストが円環構造のようになるのも、
如何にもの良くある趣向で、
個人的にはあまり好みではありません。
キャストはある種鉄板で、
主軸の3人は言うまでもなく小劇場を支える面々ですから、
安心して観ていられますし、
小松和重さんはこうした気弱な役では、
今多分右に出る者のいないレベルですし、
小池栄子さんも、
本当に最近は良い舞台役者になった、
という印象で、抜群の安定感です。
ただ、個人的には安定し過ぎて詰らない感じはあります。
大人計画でかつて池津祥子さんがやっていたような役を、
数段上のレベルで演じているのですが、
彼女がそうした芝居をすることは、
必ずしも彼女にとって良いこととは、
思えないような気がするからです。
唯一キャリア的に危うさのあった夏帆さんですが、
なかなかの小悪魔ぶりで悪くありませんでした。
ただ、彼女の使い方には、
作者も演出家もちょっと迷いがあったように感じました。
もっと目茶苦茶でも充分成立したと思うのですが、
前半の期待の割に、
後半は活躍の場が少なく、
おじさん同士の殺し合いの中で、
印象の薄れてしまったような感があったからです。
こうした救いのない殺し合いを、
官藤さんは昔から割と平然と舞台に載せるのですが、
それが娯楽として成立していると理解しているのか、
それともこうした殺し合いが、
もうこの社会の一般的な風景に過ぎない、
というように理解しているのか、
その辺りにはいつも興味があります。
こうした現象に対して、
及び腰ではなく、それほどの恐怖や動揺も感じていない、
という感触に、ある種の恐怖を感じるからです。
松尾スズキさんの劇作は、
同じような世界を描きながらも、
地獄に足を踏み入れるのに、
躊躇しているような揺らぎがありますし、
かつての長塚圭史さんの作劇では、
救いようのない惨劇を突き抜けたところに、
ある種の新たな情緒を、
感じさせるような肌触りがあったからです。
そのどちらも、
今回の芝居には感じられません。
ただ、考えてみれば、
江戸時代の文楽や歌舞伎も、
こうした現実の事件を取り入れた、
「残酷見世物」の側面があった訳で、
現代の「残酷見世物」として、
理解すればそれで良いのかも知れません。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は祝日で診療所は休診です。
いつものように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
官藤官九郎作、河原雅彦演出、
生瀬勝久、池田成志、古田新太出演による企画公演、
ネズミの三銃士の第3回の公演が、
これまでと同じパルコ劇場で上演中です。
今回は、
小池栄子、夏帆、小松和重の3人が、
ゲストとして加わっています。
2004年の「鈍獣」は観ましたが、
かなりドロドロした男女の殺し合いのような話で、
今回の作品もその路線はより純化した方向で、
継承されています。
官藤官九郎より河原雅彦の趣味が、
強く出ているような感じです。
長塚圭史の初期の暴力的なドラマに、
近いような世界観です。
官藤官九郎の戯曲は、
映像とは一線を画する救いのない暴力的な世界ですが、
それでもこういう一方向に走るだけ、
という感じにはあまりならないので、
このシリーズは河原さんが主体のように思います。
殺伐としているので、
正直あまり好きではありません。
ただ、今回は特に前半が軽快なタッチで進み、
キャストも手練が揃っていて、
見応えのある作品には仕上がっていたと思います。
以下ネタばれがあります。
これは北九州連続監禁殺人事件と称された、
7人の家族を監禁して殺し合いをさせた事件を下敷きにしています。
山崎という男に監禁され、
互いに殺し合いをさせられた7人の家族が殺され、
唯一生き残った夏帆扮する1人の少女が、
生瀬勝久が開店した喫茶店に、
逃げて来るところから物語は始まります。
少女は助かり山崎は捕まって死刑を求刑されますが、
実は少女自身が山崎以上の怪物に成長していて、
喫茶店の生瀬勝久と小池栄子の夫婦に取り入ると、
喫茶店の支配者となって、
そこでの殺し合いが再現されることになります。
生瀬の前妻の弟で刑事に小松和重、
山崎の取材をしつつ、
常連客として秘かに少女を監視するジャーナリストに池田成志、
少女の里親となった狂暴な男に古田新太という布陣で、
まず小松和重が殺され、
それから池田成志が、
そして生瀬が古田を返り討ちにします。
結局少女は裁かれず、
また別の犠牲者が選ばれたところで物語は終わります。
乾いた笑いを交えながら、
物語はひたすらドライに進行します。
現実の事件が下敷きにはされていますが、
それを追求する、という感じではなく、
物語の中で格別新たな事実が明らかになる、
ということもありません。
そのために、
少女の正体が何なのかを含めて、
軽快にドラマが展開する前半は良いのですが、
後半は殺し合いの経過だけが続くので、
短調になったことは否めません。
ラストが円環構造のようになるのも、
如何にもの良くある趣向で、
個人的にはあまり好みではありません。
キャストはある種鉄板で、
主軸の3人は言うまでもなく小劇場を支える面々ですから、
安心して観ていられますし、
小松和重さんはこうした気弱な役では、
今多分右に出る者のいないレベルですし、
小池栄子さんも、
本当に最近は良い舞台役者になった、
という印象で、抜群の安定感です。
ただ、個人的には安定し過ぎて詰らない感じはあります。
大人計画でかつて池津祥子さんがやっていたような役を、
数段上のレベルで演じているのですが、
彼女がそうした芝居をすることは、
必ずしも彼女にとって良いこととは、
思えないような気がするからです。
唯一キャリア的に危うさのあった夏帆さんですが、
なかなかの小悪魔ぶりで悪くありませんでした。
ただ、彼女の使い方には、
作者も演出家もちょっと迷いがあったように感じました。
もっと目茶苦茶でも充分成立したと思うのですが、
前半の期待の割に、
後半は活躍の場が少なく、
おじさん同士の殺し合いの中で、
印象の薄れてしまったような感があったからです。
こうした救いのない殺し合いを、
官藤さんは昔から割と平然と舞台に載せるのですが、
それが娯楽として成立していると理解しているのか、
それともこうした殺し合いが、
もうこの社会の一般的な風景に過ぎない、
というように理解しているのか、
その辺りにはいつも興味があります。
こうした現象に対して、
及び腰ではなく、それほどの恐怖や動揺も感じていない、
という感触に、ある種の恐怖を感じるからです。
松尾スズキさんの劇作は、
同じような世界を描きながらも、
地獄に足を踏み入れるのに、
躊躇しているような揺らぎがありますし、
かつての長塚圭史さんの作劇では、
救いようのない惨劇を突き抜けたところに、
ある種の新たな情緒を、
感じさせるような肌触りがあったからです。
そのどちらも、
今回の芝居には感じられません。
ただ、考えてみれば、
江戸時代の文楽や歌舞伎も、
こうした現実の事件を取り入れた、
「残酷見世物」の側面があった訳で、
現代の「残酷見世物」として、
理解すればそれで良いのかも知れません。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2014-03-21 12:52
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