SSブログ

三浦大輔「失望のむこうがわ」 [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から色々と考え事をして、
紹介状を書いて、
それから今PCに向かっています。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
失望のむこうがわ.jpg
ポツドールの三浦大輔の2年半ぶりの新作が、
平田満と井上加奈子の夫婦ユニット、
アル☆カンパニーの第13回公演として上演中です。

「愛の渦」、「恋の渦」、「顔よ」と、
若者の自堕落な生態の中に仄見える人間の愚かしさと、
それゆえの愛おしさのようなものを、
扇情的かつ緻密な舞台に構成して、
1つの頂点に達したポツドールと三浦大輔は、
その後一種の停滞期に入ります。

しばらくぶりの新作だった2011年の「おしまいのとき」は、
過激な表現こそありましたが、
夫婦関係を主軸に据えた割には、
あまりリアルな肌触りがなく、
緻密さも後退して物足りなさが残りました。

その後、再演と「ストリッパー物語」の演出を挟んで、
三浦大輔の2年半ぶりの新作は、
かつてつかこうへい事務所で、
圧倒的な力押しの芝居を見せた、
平田満への書き下ろしです。

平田満と三浦大輔というのは、
とても想像の付かない組み合わせですから、
一体どんな芝居になるのかしら、
と期待と不安が半々で出掛けたのですが、
実際の舞台は極めて完成度の高い見事なもので、
非常な感銘を受けました。

三浦大輔の演劇が、
間違いなく新たなステージに達したことを、
本当にうれしく思いましたし、
次の作品も本当に楽しみになりました。

明日までの上演で、
これからご覧になれる方は多くはないと思いますが、
もし再演されれば必見です。

以下ネタばれがあります。

中央にテーブルがあり、
4脚の椅子があって、
テレビが1台脇にあるだけのシンプルなステージです。
そのステージを囲むように2方向の客席が置かれ、
席数も100はない小さな空間で、
本当に自分の鼻先で繰り広げられるミニマルな世界が展開されます。

平田満と井上加奈子が向かい合って座ると、
動かない2人の表情がクローズアップのように、
客席まで届くのです。

これ以上はないぜいたくな空間で繰り広げられるドラマは、
最初はただの浮気を巡る夫婦喧嘩のように見えます。

平田満と井上加奈子は、
実生活と同じ夫婦役で、
井上加奈子は特別な理由もなく、
パチンコ屋で知り合った、
自分の子供ほどの年のガソリンスタンドに勤める若者と、
ひょんなことから浮気をし、
それが夫の平田満に分かってしまって、
うじうじとした追及を受けます。

平田満はつかこうへい事務所時代には、
狂気を秘めた力押しの役者でしたが、
その後は煮え切らない中年男を、
ウェットに演じることが多くなりました。
単純に年齢のためとは言えないその変貌ぶりに、
落胆を感じたかつてのファンも多かったのではないかと思います。

今回もそうした煮え切らない中年男として、
平田満は登場します。
むしろ独特の声色を持つ井上加奈子さんのボソボソとしたしゃべりが、
その存在感で平田満を圧倒しています。
それが、話が堂々巡りを続ける中で、
少しずつその様相を変え始めます。

この子供のない夫婦は、
何となく30年を暮らして来てしまったのです。
その間に三浦大輔自身の言葉によれば、
2人の「空気感」が造成され、
何も言わなくても何となく安定した関係が、
2人の間に生じていました。

それが、一旦妻の浮気によって壊れてしまうと、
今度は2人の関係を再構築する必要が生じます。
しかし、実際にはそれは非常に困難で、
自分達の生き方を根源から問い直さないといけない、
という泥沼に嵌ってしまうのです。

芝居の前半はこの2人の殆どエンドレスに思える、
人生の問い直しの作業が、
時に滑稽に、時には残酷に、
如何にも三浦大輔らしい緻密な冷酷さを持って、
執拗に描かれます。

そのやり取りの中で、
平田満さんの中に長く眠っていたかつての狂気が、
次第に露になって来ます。

つかこうへい事務所時代の平田満を愛した多くの演出家が、
これまでに彼を起用して芝居を上演しましたが、
かつての狂気が舞台上に現れることはありませんでした。

それが今回おそらく初めて、
当時の熱情のようなものが、
中年男の仮面の下から、
幾度か顔をのぞかせていました。

最近殆ど見られなかった饒舌な畳み掛けもあり、
空間を切り裂くような胴間声の一喝もありました。

個人的には、
仮に今回の作品が芝居として失敗作であっても、
この平田さんの演技だけで、
僕は元は取った気分になれました。

後半は今度は平原テツ演じる、
浮気相手のガソリンスタンド従業員が登場し、
平田夫婦と3人での掛け合いになります。

最初は低姿勢で、
ひたすら寝取られ男の平田満に媚びる態度の若者ですが、
途中から平田満の屈折した挑発に乗って逆上し、
井上加奈子をババアと罵倒しつつ愛する心情を、
畳み掛けるように語り、
最後は最大限の愚弄の言葉と共に、
土下座をします。

最後はエピローグとして、
それから少し時間が経過した後の、
夫婦の会話が描かれ、
お互いの信頼や心情的な関連など、
何もない状態でありながら、
今更過去を反省しても無意味なので、
相手は自分の人生を締め括るためにのみ存在する、
ただの道具と割り切って、
軽い笑いに満ちた薄っぺらな会話で、
最初とは別種の「空気感」を、
醸し出すことに苦心する2人が描かれます。

夫婦という関係の複雑さと愚かしさと切なさとを、
ここまで深く掘り下げて演劇化した作品が、
これまでに存在したでしょうか?

何度も戦慄的な瞬間があり、
非常に感銘を受けましたし、
考えさせられました。

これだけの芝居はざらにはありません。

さて、この作品で最も素晴らしいのは、
矢張り三浦大輔の台本と演出です。

作品は1時間40分ほどで、
プロローグとエピローグに挟まれた、
2場の構成です。

上演中はテレビが常に付いていて、
2月9日の夜の番組が流されています。

最初は昼のTBSの「アッコにおまかせ」で、
そこで平田満が妻に電話をし、
次は夜の日本テレビの「笑点」から、
「バンキシャ!」、「ちびまる子ちゃん」に続く時間の中で、
夫婦のいざこざが描かれ、
間男を交えた3人の場面には、
夜の「ガキの使い…」が流れています。
そして、エピローグは深夜のテレビショッピングです。

テレビをつけっぱなしにした空間での芝居は、
言うまでもなくポツドールの得意技ですが、
今回は明確に演出の一部として機能しています。
時間経過を示す道具としても有効ですし、
実際の芝居が詰まらなければ、
どうしてもテレビの方に目が移動してしまいます。
従って、役者としては自分達を見てもらうために、
より努力をして自分達の演技を主張せざるを得ず、
それが舞台全体の緊張を高める役割を果たしています。

このテレビモニターは、
そうした意味でこの芝居の第4の登場人物となっているのです。

この芝居には3人の人物が登場しますが、
そのうちでガソリンスタンドの従業員の若者は、
優柔不断で何も実行しないくせに、
変に自信とナルシスティックなところのある、
要するにこれまで何度も三浦大輔が描いて来たキャラクターです。
そのガールフレンドは舞台には登場はしませんが、
男の意思は無視して、
勝手に井上加奈子に慰謝料をせがむ強欲さは、
これもポツドールのこれまでの舞台では、
お馴染みのキャラクターです。

対する平田満と井上加奈子の夫婦は、
「おしまいのとき」の夫婦が進化した姿ですが、
間違いなく前作より優れた造形になっているのに加えて、
つかこうへいイズムが、
そこここに彩りを添えています。

たとえば、摩周湖の霧が忽然と晴れた、
という奇跡を執拗に語る平田満の姿は、
間違いなくつかの筆法で、
それがこなれた形で作品に組み込まれている点に、
「ストリッパー物語」の演出も、
無駄ではなかったのだな、
と確認が出来た思いがしました。

うがち過ぎかも知れませんが、
この作品の構図自体に、
つかこうへいの「熱海殺人事件」を意識したようなところがあります。
ツナギで登場する平原テツには、
犯人の大山金太郎を彷彿とさせるものがあり、
平田満と井上加奈子は、
勿論「熱海殺人事件」で共演しています。
俺を愚弄することをしゃべれと、
平原テツに平田満が挑発する、という構図も、
その一場面を見るようです。

ただ、作品自体は完全に三浦大輔のオリジナルに昇華しています。
特に夫婦という関係性に対する、
執拗で根源的な追及の姿勢は、
ベルイマンの映画にも匹敵するような、
冷徹で峻厳なドラマを完成させていて、
間違いなく三浦大輔は、
この作品において、
これまでの作品とは一線を画する、
しかしより深化した世界へと足を踏み入れたという気がします。

小劇場の歴史に残る1本と言って過言ではなく、
是非同じキャストでの再演を期待したいと思います。

傑作です。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
nice!(22)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 22

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0