西加奈子集成(その4) [小説]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから在宅診療などこなして、
今遅れてPCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日は西加奈子さんの作品を年代順にレビューする、
その4回目です。
大きなネタばれはありませんが、
個々の作品を先入観なくお読みになりたい方は、
作品の読後にお読み下さい。
いずれの作品も、
一読の価値は充分にあります。
まずこちらから。
⑬「円卓」
小学3年生のこっこという少女が主人公の、
短めの長編小説で、
幾つかの経験を経て、
怖い物知らずの少女が、
少しだけ世の中の怖さを知って、
すこしだけ大人になるまでの物語です。
西加奈子さんの作品としては、
かなりオーソドックスな作品で、
病気や不幸を羨ましがるこっこは、
風変わりではあるものの、
たとえば「きりこについて」のような、
過激さはありません。
こっこの変貌のきっかけとなる異様な人物の描写が、
かなりショッキングで、
面白い反面唐突でバランスを欠く感じがあり、
ラストがやや尻つぼみ気味になるのが残念ですが、
それ以外は非常に良く描けていて、
西さんとしては、
第二期絶好調に入った感があります。
来年には映画化も予定されていますし、
これはお薦めです。
⑭「漁港の肉子ちゃん」
小学5年生のキクりんが主人公で、
北陸の漁港で焼き肉屋のパートをしている、
通称「肉子ちゃん」という巨漢の母親との交流を描いた長篇です。
北陸の架空の漁港の話ですが、
実際には東北の漁港がモデルのようで、
連載の途中で東日本大震災が起きています。
これはなかなか見事な作品で、
破天荒なキャラクターもそれぞれ活きていますし、
最後にキクりんについての、
ちょっとした秘密が明らかになり、
それがふんわりとした感動に繋がって、
ラストはキクりんの初潮で締め括る辺りも、
しっかりと着地しています。
「きりこについて」以降の作品は、
どうしてもキャラが暴走するきらいがあり、
読者がちょっと引いてしまうようなところがあったからです。
自堕落に見える母としっかりものの娘、
という設定は、
初期の「さくら」に既に見られる、
西加奈子作品の一貫した構成ですが、
この作品の肉子ちゃんという母親は、
「きりこについて」のきりこを思わせて、
スケール感があり、
一読忘れ難い印象を残します。
中段に小学校のいじめの話が入るのですが、
傍観者を貫こうとしたキクりんが、
そのために却っていじめの標的になり、
その後旗色が変わると、
意識することなくいじめる側に廻るのですが、
その無意識の意志にはたと気付くあたりが、
僕には非常に斬新で胸を打つものがありました。
いじめの話というのは、
概ねいじめられる側の視点か、
意図的にいじめる側の視点から描かれて、
「無意識の他者に対する不寛容」が、
実はいじめという構造のエネルギーになっている、
という視点は忘れられがちになるので、
西さんの感覚の鋭さに感銘を受ける思いがあったのです。
西さんの最近の作品の中では、
一番のお薦めです。
⑮「地下の鳩」
2009年に書かれた短い長篇「地下の鳩」に、
2011年に発表された、
その脇筋的な中編「タイムカプセル」を一緒にして、
2011年の暮に刊行された1冊です。
「地下の鳩」が単独で本にするには短いので、
そうした処置が取られたものと思います。
個人的には「地下の鳩」と比較すると、
「タイムカプセル」はかなり出来が落ちるので、
テンションが下がって読了する感じになり、
納得がいかないのですが、
出版的には仕方がないのだと思います。
ミステリー好きとしては、
前半の世界観がひっくり返るような話を、
後半に期待したかったのですが、
出来あがったものは、
前半の単なる補足、
という感じのものになっているからです。
「地下の鳩」は、
大阪の歓楽街の底辺を生きる、
どうしようもないような男と女が、
束の間の絶望的な逃避行を繰り広げる物語で、
男の設定や男女を交互に描く手法は、
かつての「通天閣」によく似ているのですが、
ずっとダークで救いのない、
ディープな物語になっています。
僕はこれは嫌いではありません。
ニコラス・ケイジが若い頃に主演した、
「リービング・ラスベガス」という、
救いの欠片もないような暗い映画があって、
僕はこれは人生に絶望していた時期に観たので、
物凄く印象に残っているのですが、
この物語はこの映画に良く似ていて、
ひたすら死に向かう2人の姿に、
胸を刺されるような思いがします。
映画はニコラス・ケイジ扮する主人公が、
アルコール中毒のために会社を首になると、
「酒を思う存分飲み続けて死んでやる」
と心に決めてラスベガスに乗り込み、
こちらも絶望のどん底にある娼婦と出会って、
実際に酒を浴びるように飲んで、
死んでしまう話です。
こんな映画を作るなんて酷いよね。
でも、暗い気分の時に観ると、
とても甘美な気分になって、
自分でも同じことをしてやろう、
という気になる、
とても危険な映画でもあるのです
西さんの「地下の鳩」は、
いびつな顔をした水商売の女と、
キャバレーの呼び込みをしている、
昔は不良として鳴らした中年男が、
全てを放り出して自滅的に愛し合う話です。
摂食障害で過食と嘔吐を繰り返す女に、
毎日男が食事を貢ぎ、
遂にお金が尽きて、
「もう金がないんや」と切なく呟く辺りは、
読んでいて辛過ぎて、
どうしようもない暗い気分になります。
ただ、これだけ厳しい話なのに、
ラストは何となくハッピーエンドに近い感じになり、
それはそれで悪くないのかも知れませんが、
西さんが地獄の穴の際まで来たのに、
怖気づいて引き返したような気がして、
個人的には何となく釈然としませんでした。
僕は嫌いな作品ではありませんが、
読者を選ぶと思います。
読んで楽しい気分には絶対になりません。
⑯「ふくわらい」
2012年の8月に刊行された長篇で、
連載自体は2011年から2012年に掛けて書かれています。
奇行で有名な紀行作家であった鳴木戸栄蔵の1人娘の、
鳴木戸定が主人公で、
書籍編集者をしている25歳の女性ですが、
父と旅行中に人肉を食べ、
父がワニに身体を齧られて死亡すると、
その父の肉も食べたという、
かなりの設定です。
「ふくわらい」という題は、
その主人公が闇の中でふくわらいをするのが大好きで、
高じて全ての人間の顔を見ると、
そのパーツをふくわらいにように分解して、
再構成しないと気が済まない、
という性癖から来ています。
彼女は処女であるばかりか、
人間との交流を殆ど絶って生活していたのですが、
イタリア人の顔を持つ盲目でエッチな若者や、
異常な性癖を持つ高齢の男性作家、
異形の顔を持つエッセイストでプロレスラーの怪人など、
主人公に匹敵するキャラの濃い面々と交流するうちに、
人間社会との交流を少しずつ始める、
という物語です。
これはかなり読み応えがあり、
テーマも多岐に渡り複雑に構成されています。
いびつな顔や肉体に魅力を持つ、
というのは、西さんの作品の一貫したテーマでもありますが、
これまでは控え目に語られた部分を、
今回は主題に据え、
精神と肉体の問題として、
後半にかなり追及する姿勢を見せています。
更には主人公が編集者で、
作家をサポートして良い作品に昇華させる、
という一連の活動を通して、
西加奈子さん自身の作家としてのあり方や、
編集者や社会への関わり方についても、
テーマの1つとして取り上げられています。
ここまで特異なキャラの人物を主人公に据えると、
読者が作品についてこれない可能性があり、
実際最近の西さんの作品は、
そうした傾向があったのですが、
今回の作品に関しては、
主人公を一歩引いた感じで世界に対する姿勢にして、
その周囲とのバランスを、
巧みに取っているような気がします。
後半で真っ当な女子が登場して、
主人公の友達になり、
すこぶる普通で面白みのない意見を述べる辺りも、
西さんのバランス感覚が巧みに活きています。
これまでの西さんの作品の、
ある意味集大成的なものと、
言っても過言ではないと思います。
ただ、基本的にキャラ紹介に終わってしまい、
主人公達を越えた外界との関わりの中で、
時系列に大きく物語が動く、
という感じではないので、
物語を追う、と言う意味では物足りなさも感じます。
クライマックスのような盛り上がりや、
幾つかの筋や人物の動きが、
1つに収斂するというような感じがなく、
全ては並列に進んでゆきますし、
一部の方が絶賛されているラストも、
僕には「円卓」のラストなどにも似て、
何となく誤魔化したような感じがするのです。
第二期絶好調と言って良い、
筆の冴えを見せる西さんだけに、
もうひと押し、キャラの魅力だけではない、
骨太な物語の躍動感を、
そうかつての「さくら」にあったような世界観を、
今後是非期待したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから在宅診療などこなして、
今遅れてPCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日は西加奈子さんの作品を年代順にレビューする、
その4回目です。
大きなネタばれはありませんが、
個々の作品を先入観なくお読みになりたい方は、
作品の読後にお読み下さい。
いずれの作品も、
一読の価値は充分にあります。
まずこちらから。
⑬「円卓」
小学3年生のこっこという少女が主人公の、
短めの長編小説で、
幾つかの経験を経て、
怖い物知らずの少女が、
少しだけ世の中の怖さを知って、
すこしだけ大人になるまでの物語です。
西加奈子さんの作品としては、
かなりオーソドックスな作品で、
病気や不幸を羨ましがるこっこは、
風変わりではあるものの、
たとえば「きりこについて」のような、
過激さはありません。
こっこの変貌のきっかけとなる異様な人物の描写が、
かなりショッキングで、
面白い反面唐突でバランスを欠く感じがあり、
ラストがやや尻つぼみ気味になるのが残念ですが、
それ以外は非常に良く描けていて、
西さんとしては、
第二期絶好調に入った感があります。
来年には映画化も予定されていますし、
これはお薦めです。
⑭「漁港の肉子ちゃん」
小学5年生のキクりんが主人公で、
北陸の漁港で焼き肉屋のパートをしている、
通称「肉子ちゃん」という巨漢の母親との交流を描いた長篇です。
北陸の架空の漁港の話ですが、
実際には東北の漁港がモデルのようで、
連載の途中で東日本大震災が起きています。
これはなかなか見事な作品で、
破天荒なキャラクターもそれぞれ活きていますし、
最後にキクりんについての、
ちょっとした秘密が明らかになり、
それがふんわりとした感動に繋がって、
ラストはキクりんの初潮で締め括る辺りも、
しっかりと着地しています。
「きりこについて」以降の作品は、
どうしてもキャラが暴走するきらいがあり、
読者がちょっと引いてしまうようなところがあったからです。
自堕落に見える母としっかりものの娘、
という設定は、
初期の「さくら」に既に見られる、
西加奈子作品の一貫した構成ですが、
この作品の肉子ちゃんという母親は、
「きりこについて」のきりこを思わせて、
スケール感があり、
一読忘れ難い印象を残します。
中段に小学校のいじめの話が入るのですが、
傍観者を貫こうとしたキクりんが、
そのために却っていじめの標的になり、
その後旗色が変わると、
意識することなくいじめる側に廻るのですが、
その無意識の意志にはたと気付くあたりが、
僕には非常に斬新で胸を打つものがありました。
いじめの話というのは、
概ねいじめられる側の視点か、
意図的にいじめる側の視点から描かれて、
「無意識の他者に対する不寛容」が、
実はいじめという構造のエネルギーになっている、
という視点は忘れられがちになるので、
西さんの感覚の鋭さに感銘を受ける思いがあったのです。
西さんの最近の作品の中では、
一番のお薦めです。
⑮「地下の鳩」
2009年に書かれた短い長篇「地下の鳩」に、
2011年に発表された、
その脇筋的な中編「タイムカプセル」を一緒にして、
2011年の暮に刊行された1冊です。
「地下の鳩」が単独で本にするには短いので、
そうした処置が取られたものと思います。
個人的には「地下の鳩」と比較すると、
「タイムカプセル」はかなり出来が落ちるので、
テンションが下がって読了する感じになり、
納得がいかないのですが、
出版的には仕方がないのだと思います。
ミステリー好きとしては、
前半の世界観がひっくり返るような話を、
後半に期待したかったのですが、
出来あがったものは、
前半の単なる補足、
という感じのものになっているからです。
「地下の鳩」は、
大阪の歓楽街の底辺を生きる、
どうしようもないような男と女が、
束の間の絶望的な逃避行を繰り広げる物語で、
男の設定や男女を交互に描く手法は、
かつての「通天閣」によく似ているのですが、
ずっとダークで救いのない、
ディープな物語になっています。
僕はこれは嫌いではありません。
ニコラス・ケイジが若い頃に主演した、
「リービング・ラスベガス」という、
救いの欠片もないような暗い映画があって、
僕はこれは人生に絶望していた時期に観たので、
物凄く印象に残っているのですが、
この物語はこの映画に良く似ていて、
ひたすら死に向かう2人の姿に、
胸を刺されるような思いがします。
映画はニコラス・ケイジ扮する主人公が、
アルコール中毒のために会社を首になると、
「酒を思う存分飲み続けて死んでやる」
と心に決めてラスベガスに乗り込み、
こちらも絶望のどん底にある娼婦と出会って、
実際に酒を浴びるように飲んで、
死んでしまう話です。
こんな映画を作るなんて酷いよね。
でも、暗い気分の時に観ると、
とても甘美な気分になって、
自分でも同じことをしてやろう、
という気になる、
とても危険な映画でもあるのです
西さんの「地下の鳩」は、
いびつな顔をした水商売の女と、
キャバレーの呼び込みをしている、
昔は不良として鳴らした中年男が、
全てを放り出して自滅的に愛し合う話です。
摂食障害で過食と嘔吐を繰り返す女に、
毎日男が食事を貢ぎ、
遂にお金が尽きて、
「もう金がないんや」と切なく呟く辺りは、
読んでいて辛過ぎて、
どうしようもない暗い気分になります。
ただ、これだけ厳しい話なのに、
ラストは何となくハッピーエンドに近い感じになり、
それはそれで悪くないのかも知れませんが、
西さんが地獄の穴の際まで来たのに、
怖気づいて引き返したような気がして、
個人的には何となく釈然としませんでした。
僕は嫌いな作品ではありませんが、
読者を選ぶと思います。
読んで楽しい気分には絶対になりません。
⑯「ふくわらい」
2012年の8月に刊行された長篇で、
連載自体は2011年から2012年に掛けて書かれています。
奇行で有名な紀行作家であった鳴木戸栄蔵の1人娘の、
鳴木戸定が主人公で、
書籍編集者をしている25歳の女性ですが、
父と旅行中に人肉を食べ、
父がワニに身体を齧られて死亡すると、
その父の肉も食べたという、
かなりの設定です。
「ふくわらい」という題は、
その主人公が闇の中でふくわらいをするのが大好きで、
高じて全ての人間の顔を見ると、
そのパーツをふくわらいにように分解して、
再構成しないと気が済まない、
という性癖から来ています。
彼女は処女であるばかりか、
人間との交流を殆ど絶って生活していたのですが、
イタリア人の顔を持つ盲目でエッチな若者や、
異常な性癖を持つ高齢の男性作家、
異形の顔を持つエッセイストでプロレスラーの怪人など、
主人公に匹敵するキャラの濃い面々と交流するうちに、
人間社会との交流を少しずつ始める、
という物語です。
これはかなり読み応えがあり、
テーマも多岐に渡り複雑に構成されています。
いびつな顔や肉体に魅力を持つ、
というのは、西さんの作品の一貫したテーマでもありますが、
これまでは控え目に語られた部分を、
今回は主題に据え、
精神と肉体の問題として、
後半にかなり追及する姿勢を見せています。
更には主人公が編集者で、
作家をサポートして良い作品に昇華させる、
という一連の活動を通して、
西加奈子さん自身の作家としてのあり方や、
編集者や社会への関わり方についても、
テーマの1つとして取り上げられています。
ここまで特異なキャラの人物を主人公に据えると、
読者が作品についてこれない可能性があり、
実際最近の西さんの作品は、
そうした傾向があったのですが、
今回の作品に関しては、
主人公を一歩引いた感じで世界に対する姿勢にして、
その周囲とのバランスを、
巧みに取っているような気がします。
後半で真っ当な女子が登場して、
主人公の友達になり、
すこぶる普通で面白みのない意見を述べる辺りも、
西さんのバランス感覚が巧みに活きています。
これまでの西さんの作品の、
ある意味集大成的なものと、
言っても過言ではないと思います。
ただ、基本的にキャラ紹介に終わってしまい、
主人公達を越えた外界との関わりの中で、
時系列に大きく物語が動く、
という感じではないので、
物語を追う、と言う意味では物足りなさも感じます。
クライマックスのような盛り上がりや、
幾つかの筋や人物の動きが、
1つに収斂するというような感じがなく、
全ては並列に進んでゆきますし、
一部の方が絶賛されているラストも、
僕には「円卓」のラストなどにも似て、
何となく誤魔化したような感じがするのです。
第二期絶好調と言って良い、
筆の冴えを見せる西さんだけに、
もうひと押し、キャラの魅力だけではない、
骨太な物語の躍動感を、
そうかつての「さくら」にあったような世界観を、
今後是非期待したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2013-12-08 13:08
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