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「老婆心ながら…」その他 [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

今日は言葉にまつわる雑談です。

「老婆心ながら…」という言い方があります。

辞書を引くと、
世話焼きの老婆のように、
しなくても良いおせっかいを焼くこと、
のような説明になっています。
転じて概ねこの言葉を使う人は、
相手のことをお馬鹿さんだと思ったり、
相手の言っていることが、
誤りや誤解であると思ったりした時に、
ちょっとした謙遜の意味合いを含めて、
「老婆心ながら、
こうした発言をされる際には、
せめて専門書の1冊くらいは読破してから、
されることをお勧めします」
のように、使われていることが多いように思います。

こうした使い方をする人は、
相手がどういう立場の人であっても、
同じ表現を使っています。
相手が年長者であれ、年下であれ、区別はありません。
一方で、この言い方は、
あくまで明らかな年長者や上の立場の人が、
年下や目下の人に向かって使用する時のみ、
使うべきだ、という見解があります。
その通りだ、という意見がある反面、
そうした人間関係には関わりはない、
という意見もあります。

皆さんはどうお考えになりますか?

これはあくまで僕の私見ですが、
「老婆心ながら」という特殊な言葉は、
明らかな年長者が、遥かに年下の相手に対する時のみ、
使用が可能な言葉だと思います。
辞書にはそうした記載はありませんが、
老婆のように、という表現自体が、
既にそうした意味合いなのです。

この言葉は20~30年前くらいに、
文筆業の特に若手の方が、
相手を批判したりする時に、
おそらくはあえて厭味の意味を含めて使用したので、
それがその後の世代に伝わって、
相手をへこませる議論の際の1つのレトリックとなり、
そうした方を中心に普及したものだと思います。

通常の会話などに使うのは不適切で、
語感も悪く、僕は大嫌いです。
こうした言葉を濫用する方は、
そうした品性をお持ちの方であることが多いので、
僕は絶対に近付かないようにしています。

これは僕の尊敬する年長者から、
「老婆心ながら…」と教わりました。

それから…

「檄(げき)を飛ばす」という言い方があります。
これは辞書を引くと、
自分の考えをひろく世間に伝えること、
のように、書かれていて、
「後援会の席上、後援会長は絶対勝利を勝ち取ると、檄を飛ばした」
のように、使われることがよくあります。
作家の有川浩さんは、
自衛隊ものの作品などで、
この表現を盛んに用いています。
訓練の際に、「上官が檄を飛ばした」のような使い方です。

しかし、檄というのは、
元々は言葉を書いた木札のようなもののことで、
それを遠くにいる自分の味方に、
自分に呼応して戦うように促す中国の故事です。
転じて自分の考えを知らしめるために、
多くの人に文書を送り付けたりすることを意味しています。
 
つまり、その場にいない人に伝える意味なので、
会議や講演会などで、
その場にいる人に伝える時には、
使わない言葉なのです。
有川さんの使い方は、その意味では明確に誤用です。

これはどうもスポーツ新聞などで、
野球部の監督が選手を前にして発破を掛けるために、
「今日は死ぬ気でやれ!」
などと怒鳴ることを、
「監督は檄を飛ばした」
のように、誤用したことが始まりと考えられています。

「檄」という言葉が、
「激」に似ているので、
何となく複数の相手に向けて怒鳴ることを、
「檄を飛ばす」と錯覚したのです。

現在ではたとえばツィッターで拡散を呼び掛けたり、
メールを不特定多数に送りつけたりする行為は、
「檄を飛ばす」の正しい使用事例であるように思います。

これは高島俊男先生の、
「お言葉ですが…」の第3集に記載があります。

先日駒場アゴラ劇場で、
鈴木忠志さんの最近のエッセイ集を読みましたが、
矢張り「檄を飛ばす」を誤用していて、
「これこそ檄というべきものである」
というように、確か三島由紀夫をおちょくる文脈だったと思いますが、
死を覚悟したような文章のことを、
「檄」として理解しているようだったので、
非常に滑稽に感じました。
それも、物凄く偉そうに書いているので、
微苦笑を誘うのです。

それから…

「乖離」と言う言葉と、
「解離」という言葉があります。
いずれも読み方は「かいり」です。

これは両方とも「離れること」ですが、
乖離の方は「理想と現実の乖離」のように使い、
解離の方は「家族が解離する」のように使います。

何が違うのかと言うと、
解離というのはある1つのものが2つに割れることで、
乖離というのは元々別個のものに、
同一の関連性や同一の方向への傾向があり、
それが失われることを示しています。

1つであった家族が2つに割かれたり、
1つの人格が2つに分かれて多重人格になるのは、
従って解離ですが、
理想と現実というのは、
その物の持つ傾向のようなものが一致していて、
それがバラバラになるので、
乖離なのです。
乖離はまた「袂を分かつ」のような意味でも、
使用されることがあります。

宮部みゆきさんの「誰か」には、
家族の関係性がバラバラになることを、
乖離と表現していて、
さすがに現代口語文のお手本なので正確なのですが、
同じ作者ばかり出して失礼ですが、
有川浩さんの「県庁おもてなし課」では、
1つであった家族がバラバラになることを、
「乖離」と表現していて、
これは間違いなのです。

これも「乖離」という字が何となく格好良く見えるのと、
広辞苑などの説明が、
「そむきはなれること。はなればなれになること。」
と意味不明なので、
よく誤用されるようです。

これは大学の研究室時代の論文のタイトルに、
乖離という字を使って、
その時の指導医の先生から教わりました。

今日は言葉についてのあれこれでした。

それでは今日はこれくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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テツ

とても勉強になりました。
僕は44歳ですが、もっと年齢を重ねたときに、「きょうびの若いもんは・・・」って言葉を絶対に使わないようにしようと思っています。
だって、僕にも若いころがあったわけで、そのころ、この言葉を年長者に言われていつも不愉快に感じてたからです。
この言葉も他人を上から目線で物を言うことになる、というのは考えすぎでしょうか・・・。

昨日の記事ですが、僕はノドが腫れたら最終的に抗生物質(セフェム系ですが)を飲まないと、いつまでもノドの調子が良くならないのですが、これって一種のプラセボ効果なんでしょうか。
そもそも風邪に(ウイルス感染がほとんだだから)抗生物質は効かないし・・・。
by テツ (2013-10-10 09:33) 

オレンジ

自分で辞書で調べてその言葉の意味を確認してから正しく使う・・・ということを怠っている結果、自分の経験から「こういう意味に違いない」と思い込んで使っている言葉が大半です。

だから、「この言葉の本来の意味はこうですよ」と指摘されて初めて、正しい意味を知るということがたびたび起こります。

例えば、「失笑する」 (以下、引用) 

[名](スル)思わず笑い出してしまうこと。おかしさのあまり噴き出すこと。「場違いな発言に―する」

[補説]文化庁が発表した平成23年度「国語に関する世論調査」では、本来の意味である「こらえ切れず吹き出して笑う」で使う人が27.7パーセント、間違った意味「笑いも出ないくらいあきれる」で使う人が60.4パーセントという逆転した結果が出ている。

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/98471/m0u/

私自身も間違った意味で使っていました。

このように、間違った意味を示すことばとして使用している人数のほうが多い場合(市民権を得ている場合)、本来の意味合いを持たせてこの言葉を使い続けるべきかどうか、考えてしまいます。

時代によって言葉の意味は変わると解釈すればいいのでしょうか。
それとも厳密に本来の意味合いにて使用するべきなのでしょうか。

by オレンジ (2013-10-10 13:21) 

アミナカ

たいへん勉強になりました。なんとなく使用していてふと正確にわかっていない表現など私は教養なしで沢山ありますが、目上の方が親切で注意してくださるのは同じ恥をまたかかないですむので有難いですが、間違いの伝え方で、よかれと思ってか、明らかに小馬鹿にしているかはその方の人間性なのかなと感じる時は、自分が直接関係ない会話、表記でも感じる事はあります。
作家の方は出版前に校正の方がチェックしているのかと思っていましたが違うのですかね。
最近は私でさえ生意気を承知で言いますが、稚拙な文章だなと感じたり、間違った表現じゃない?と戸惑う新聞記事やテレビのアナウンサーが間違った言葉の使い方をしていて気になる事が多々あります。
だからきちんとした知識のある方々はさらにそんな機会が多いのかと思います。辞書も不親切な説明しかないものもありますし、日本国は難しいなと改めて思いました。
by アミナカ (2013-10-10 13:42) 

fujiki

テツさんへ
コメントありがとうございます。
純粋にプラセボとは言い切れないように思います。
そうした場合に、
抗生物質が効くケースもあるからです。
あくまでルーチンに使用することの問題、
と私自身は理解しています。
by fujiki (2013-10-12 08:20) 

fujiki

オレンジさんへ
コメントありがとうございます。
言葉の意味が時代と共に変化するのは、
ある意味必然と思いますが、
その言葉の真の意味にこだわる、
という意見があっても良いように思います。
個人的には最近の言葉の変化は、
メディアを通して、
意図的に改変されたり、
ある特定の人が誤用して広がる、
というようなケースが多く、
そんなことで言葉の意味が変わることについては、
納得のいかない思いがあります。
by fujiki (2013-10-12 08:23) 

fujiki

アミナカさんへ
コメントありがとうございます。
最近の辞書の記載は酷いですね。
小説などの記述は最近のものはめちゃくちゃです。
もう少し言葉を大切にする姿勢が、
あっても良いように思いますね。
by fujiki (2013-10-12 08:25) 

ゆみこ

いつも興味深く読ませていただいています。

乖離、解離、ややこしい単語ですね。
老婆心ながらは、音の響きも含め私も好きではありません。

歌舞伎の批評を楽しみにしています。
by ゆみこ (2013-10-16 09:55) 

fujiki

ゆみこさんへ
コメントありがとうございます。
今月の義経千本桜も評判は良いようですが、
時間的に行くのは厳しいです。
by fujiki (2013-10-17 08:24) 

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