三浦大輔版「ストリッパー物語」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
つかこうへいの「ストリッパー物語」を、
ポツドールの鬼才三浦大輔が、
再構成した舞台が、
明日28日まで池袋で上演中です。
これは場末のストリッパーとヒモの話ですが、
つかこうへい事務所の初演は、
ストリッパーに根岸とし江で、
ヒモに三浦洋一です。
意地悪な叔母さんのイメージしかない根岸とし江ですが、
当時は華々しくデビューを遂げたのです。
つかこうへいの舞台は、
1980年の活動中止までと、
1989年以降とでは全く別物、
というのが僕の意見ですが、
僕が1980年以前に観たのは、
「いつも心に太陽を」と「熱海殺人事件」だけで、
この「ストリッパー物語」は観ていません。
つかこうへいの芝居というと、
矢張り一定のイメージがあるのです。
台詞は口立てで定まった台本がなく、
舞台装置はなく、役者はジャージ姿かタキシードか裸で、
たたみ掛けるような独特の長台詞が、
平田満や風間杜夫のエネルギッシュな口跡で爆笑を誘うと、
次の瞬間にはギターの弾き語りの音効と共に、
訳もなく切ない台詞が、
観客の涙を誘います。
これを全然別個のイメージで演出し、
それなりのレベルの舞台にすることは、
そう容易いことではありません。
大学時代に「熱海殺人事件」の学生劇団の舞台を、
一度演出したことがありましたが、
たたみかける台詞を、
わざわざ静かにしんみりとしゃべってもらったり、
色々なことを試してはみたのですが、
矢張りあまり上手くはいかないのです。
ポツドールの三浦大輔は、
僕の大好きな劇作家で演出家ですが、
劇作家としては最近やや行き詰った感があり、
その独特のひりつくような感性で、
つかこうへいの難物の戯曲を、
どのように料理してくれるのかに、
とても興味がありました。
おまけにヒモ役は、
僕の当面の人生の目標である、
リリー・フランキーなので見逃せません。
その出来は…
正直ちょっと微妙なところですが、
かなり頑張って前衛的な舞台に仕上げたな、
というところです。
成功とはあまり言えないのですが、
さすが三浦大輔というところは随所にありましたし、
役者陣の踏ん張りも魅力でした。
わざわざ観客に苦痛を強いるようなところも健在です。
万人向けではありませんが、
ポツドールの舞台が嫌いではない人と、
つかこうへいやその子分が演出したつかの舞台を観て、
勿論これはこれでいいのは分かるけど、
何もいつもいつもこんな感じにしなくてもな、
初日から全員の声が嗄れているのはどうなのよ、
何で女優さんは小声でいいのに、
男優さんは絶叫しないといけないの、
飛び散る唾が汚すぎるぞ、
何かもっと他のやり方はないのかしら、
という感想をお持ちの方には、
お薦めは出来る舞台です。
以下ネタばれがあります。
オープニング、でんでんが扮するヤクザ上がりの座長が、
緞帳の前に現れて、
マイクで前説を下手糞に演じます。
そして、渡辺真起子演じるストリッパーの明美さんが、
素敵に格好良く、
舞台中央にせり出したステージ上で踊ります。
原色の感じが、
つかの舞台とは明らかに違うのですが、
それでいてつか芝居という雰囲気は守っています。
その後幕が開くと、
今度は楽屋風景になります。
セットはリアリズムで出来ていて、
そこで数人のストリッパーと、
そのヒモとの人間模様が、
ボソボソという力の入らない台詞廻しと、
暴力的なアクセントを持って、
ヒリヒリした感じで描かれます。
この部分は間違いなくポツドールタッチです。
はっきりとは分かりませんが、
台詞はかなりアレンジされていると思います。
その後明美の登場とそのヒモである、
リリー・フランキー演じるシゲの登場があり、
シゲの手引きで明美はその土地の代議士に、
抱かれに行きます。
それをまた、
ヒモ仲間を引き連れたシゲが、
オペラグラスで覗いて喜ぶという、
倒錯的な風景です。
その後明美の帰りを待ちながら、
薄暗い深夜の楽屋で、
シゲが自分と明美とのセックスの光景を、
面白おかしく語ります。
本来はつかの独壇場の長台詞で、
場内は爆笑の渦となるところですが、
それを三浦大輔はリアルな舞台で、
ボソボソと何の盛り上がりもなく語らせます。
とても成功とは言えませんが、
絶対に同じような演出はしない、
という三浦大輔の意地を感じるような場面です。
その後で明美が帰って来て、
シゲは明美の陰部を優しく洗い、
愛を確かめ合います。
そこで休憩が入り、
第二部はある舞台で本番を客が強要し、
明美が他のストリッパーの窮地を救うエピソードが、
これもほぼポツドールタッチで、
しかし前半と比べるとかなりベタに描かれ、
その後、原作の肝の部分でもある、
シゲの娘が父を訪ねる場面になります。
このつかの天才が如実に感じられる名シーンは、
つか演出とそうは変わらないタッチで描かれ、
その後は明美の転落と、
その悲壮な最期で幕を閉じます。
総じて抽象的なつかの舞台を、
ストリッパーの踊りや楽屋のディテールを含めて、
リアルに表現しているのが1つの特徴です。
たとえば「熱海殺人事件」を同じような演出にしたら、
とても観てはいられないと思いますが、
この「ストリッパー物語」は、
生活感のディテールが、
割とリアルに積み重ねられているので、
こうした演出でも違和感はありません。
元々定番の台本のないことを逆手にとって、
名台詞は残しながらも、
かなり自由に台詞も再構成しています。
ただ、全てがリアルではなく、
ラストにバレリーナ姿のシゲの娘が、
仰々しい音効と共に姿を現す場面のシュールさや、
部分的にはベタな軽喜劇風にしたり、
シゲの娘と明美が出逢う場面はつかタッチを守るなど、
色々な趣向がないまぜになっていて、
やや統一感のない感じもありますし、
ともかく何でもやってやれ、
と言わんばかりの、
三浦大輔のある種の開き直りを、
見るような思いもします。
役者は概ね好演で、
リリー・フランキーの胡散臭さも良いですし、
渡辺真起子の格好良さも魅力でした。
素人すれすれの役者を上手く活かすのは、
三浦大輔の独壇場です。
渡辺真起子の女ぶりを見るだけでも、
元は取ったような気分になります。
本当はもっと過激であっても良いですし、
ストリップの場面はヌードになっっても良かったと思いますが、
おそらくは今回の企画と、
東京芸術劇場という会場が、
それは許さなかったのではないか、
というように思います。
総じて、
結果としては、
矢張りつかの芝居は下手に変えても仕方がないな、
という思いもありましたが、
三浦大輔の演出の才は感じましたし、
娯楽の塊のような台本から、
娯楽を絞り取って切り捨てて、
平然としているような三浦大輔の悪意にも、
ある種の共感を覚える思いがしたのです。
この作品自体、
かつての娯楽であって、
現代の娯楽ではないからです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
つかこうへいの「ストリッパー物語」を、
ポツドールの鬼才三浦大輔が、
再構成した舞台が、
明日28日まで池袋で上演中です。
これは場末のストリッパーとヒモの話ですが、
つかこうへい事務所の初演は、
ストリッパーに根岸とし江で、
ヒモに三浦洋一です。
意地悪な叔母さんのイメージしかない根岸とし江ですが、
当時は華々しくデビューを遂げたのです。
つかこうへいの舞台は、
1980年の活動中止までと、
1989年以降とでは全く別物、
というのが僕の意見ですが、
僕が1980年以前に観たのは、
「いつも心に太陽を」と「熱海殺人事件」だけで、
この「ストリッパー物語」は観ていません。
つかこうへいの芝居というと、
矢張り一定のイメージがあるのです。
台詞は口立てで定まった台本がなく、
舞台装置はなく、役者はジャージ姿かタキシードか裸で、
たたみ掛けるような独特の長台詞が、
平田満や風間杜夫のエネルギッシュな口跡で爆笑を誘うと、
次の瞬間にはギターの弾き語りの音効と共に、
訳もなく切ない台詞が、
観客の涙を誘います。
これを全然別個のイメージで演出し、
それなりのレベルの舞台にすることは、
そう容易いことではありません。
大学時代に「熱海殺人事件」の学生劇団の舞台を、
一度演出したことがありましたが、
たたみかける台詞を、
わざわざ静かにしんみりとしゃべってもらったり、
色々なことを試してはみたのですが、
矢張りあまり上手くはいかないのです。
ポツドールの三浦大輔は、
僕の大好きな劇作家で演出家ですが、
劇作家としては最近やや行き詰った感があり、
その独特のひりつくような感性で、
つかこうへいの難物の戯曲を、
どのように料理してくれるのかに、
とても興味がありました。
おまけにヒモ役は、
僕の当面の人生の目標である、
リリー・フランキーなので見逃せません。
その出来は…
正直ちょっと微妙なところですが、
かなり頑張って前衛的な舞台に仕上げたな、
というところです。
成功とはあまり言えないのですが、
さすが三浦大輔というところは随所にありましたし、
役者陣の踏ん張りも魅力でした。
わざわざ観客に苦痛を強いるようなところも健在です。
万人向けではありませんが、
ポツドールの舞台が嫌いではない人と、
つかこうへいやその子分が演出したつかの舞台を観て、
勿論これはこれでいいのは分かるけど、
何もいつもいつもこんな感じにしなくてもな、
初日から全員の声が嗄れているのはどうなのよ、
何で女優さんは小声でいいのに、
男優さんは絶叫しないといけないの、
飛び散る唾が汚すぎるぞ、
何かもっと他のやり方はないのかしら、
という感想をお持ちの方には、
お薦めは出来る舞台です。
以下ネタばれがあります。
オープニング、でんでんが扮するヤクザ上がりの座長が、
緞帳の前に現れて、
マイクで前説を下手糞に演じます。
そして、渡辺真起子演じるストリッパーの明美さんが、
素敵に格好良く、
舞台中央にせり出したステージ上で踊ります。
原色の感じが、
つかの舞台とは明らかに違うのですが、
それでいてつか芝居という雰囲気は守っています。
その後幕が開くと、
今度は楽屋風景になります。
セットはリアリズムで出来ていて、
そこで数人のストリッパーと、
そのヒモとの人間模様が、
ボソボソという力の入らない台詞廻しと、
暴力的なアクセントを持って、
ヒリヒリした感じで描かれます。
この部分は間違いなくポツドールタッチです。
はっきりとは分かりませんが、
台詞はかなりアレンジされていると思います。
その後明美の登場とそのヒモである、
リリー・フランキー演じるシゲの登場があり、
シゲの手引きで明美はその土地の代議士に、
抱かれに行きます。
それをまた、
ヒモ仲間を引き連れたシゲが、
オペラグラスで覗いて喜ぶという、
倒錯的な風景です。
その後明美の帰りを待ちながら、
薄暗い深夜の楽屋で、
シゲが自分と明美とのセックスの光景を、
面白おかしく語ります。
本来はつかの独壇場の長台詞で、
場内は爆笑の渦となるところですが、
それを三浦大輔はリアルな舞台で、
ボソボソと何の盛り上がりもなく語らせます。
とても成功とは言えませんが、
絶対に同じような演出はしない、
という三浦大輔の意地を感じるような場面です。
その後で明美が帰って来て、
シゲは明美の陰部を優しく洗い、
愛を確かめ合います。
そこで休憩が入り、
第二部はある舞台で本番を客が強要し、
明美が他のストリッパーの窮地を救うエピソードが、
これもほぼポツドールタッチで、
しかし前半と比べるとかなりベタに描かれ、
その後、原作の肝の部分でもある、
シゲの娘が父を訪ねる場面になります。
このつかの天才が如実に感じられる名シーンは、
つか演出とそうは変わらないタッチで描かれ、
その後は明美の転落と、
その悲壮な最期で幕を閉じます。
総じて抽象的なつかの舞台を、
ストリッパーの踊りや楽屋のディテールを含めて、
リアルに表現しているのが1つの特徴です。
たとえば「熱海殺人事件」を同じような演出にしたら、
とても観てはいられないと思いますが、
この「ストリッパー物語」は、
生活感のディテールが、
割とリアルに積み重ねられているので、
こうした演出でも違和感はありません。
元々定番の台本のないことを逆手にとって、
名台詞は残しながらも、
かなり自由に台詞も再構成しています。
ただ、全てがリアルではなく、
ラストにバレリーナ姿のシゲの娘が、
仰々しい音効と共に姿を現す場面のシュールさや、
部分的にはベタな軽喜劇風にしたり、
シゲの娘と明美が出逢う場面はつかタッチを守るなど、
色々な趣向がないまぜになっていて、
やや統一感のない感じもありますし、
ともかく何でもやってやれ、
と言わんばかりの、
三浦大輔のある種の開き直りを、
見るような思いもします。
役者は概ね好演で、
リリー・フランキーの胡散臭さも良いですし、
渡辺真起子の格好良さも魅力でした。
素人すれすれの役者を上手く活かすのは、
三浦大輔の独壇場です。
渡辺真起子の女ぶりを見るだけでも、
元は取ったような気分になります。
本当はもっと過激であっても良いですし、
ストリップの場面はヌードになっっても良かったと思いますが、
おそらくは今回の企画と、
東京芸術劇場という会場が、
それは許さなかったのではないか、
というように思います。
総じて、
結果としては、
矢張りつかの芝居は下手に変えても仕方がないな、
という思いもありましたが、
三浦大輔の演出の才は感じましたし、
娯楽の塊のような台本から、
娯楽を絞り取って切り捨てて、
平然としているような三浦大輔の悪意にも、
ある種の共感を覚える思いがしたのです。
この作品自体、
かつての娯楽であって、
現代の娯楽ではないからです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2013-07-27 08:20
nice!(34)
コメント(4)
トラックバック(0)
当面の人生の目標…リリーさんが…(遠い目)。
私は、今は藤山さん+はいりさんを勉強中で、
ゆくゆくは希林さんの境地を目指せれば…。
by midori (2013-07-27 11:54)
midoriさんへ
お互いにあまり枯れ過ぎないでいたいですね。
by fujiki (2013-07-29 08:18)
WOWOWで放送されたのをみて、ここにたどり着きました。
解釈は色々だと思いますが、ラストのシゲの娘をみてるのは明美だけで、必死に養ってきたシゲの娘さえ客と間違えてしまう、と切なくなりました。
by わう (2013-11-25 14:09)
わうさんへ
コメントありがとうございました。
つかこうへい作品を別箇のスタイルで演出するのは、
矢張り難しいな、という印象でした。
by fujiki (2013-11-30 08:23)