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作・唐十郎 演出・蜷川幸雄「盲導犬」 [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから選挙に行って、
在宅診療に出掛け、
その後老人ホームに診察に行って、
戻って来てから今PCに向かっています。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
盲導犬.jpg
唐先生が初めて蜷川幸雄に書き下ろした戯曲である、
「盲導犬」の再演の舞台が、
今渋谷のシアターコクーンで上演中です。

この作品は蜷川幸雄自身の演出で過去に2回、
それ以外に唐ゼミや新宿梁山泊、
唐先生自身の演出による、
唐組での上演もあります。

唐先生の芝居の中では、
非常に上演機会の多い作品ですが、
その理由は同じく上演機会の多い「少女仮面」と同じように、
上演時間が短く(「盲導犬」は1時間35分程度)、
キャストの数もそう多くはなく、
それでいて奥の深い、
かなりスケールの大きな戯曲で、
唐芝居のエッセンスが、
そこに濃縮されている、
という点にあるのではないかと思います。

また、
唐先生が状況劇場や唐組に書いた戯曲は、
基本的に誰がその役を演じるのかを、
予め想定した所謂当て書きなので、
他のキャストで上演すること自体に、
ハードルが高いのですが、
「盲導犬」も「少女仮面」も、
外部への書下ろしなので、
そうした制約が少ない、
と言う点も、
上演機会の多い原因ではないかと思います。

僕はこの作品はそれほど観ていなくて、
実際の舞台は2009年の唐組に続いて、
今回が2度目です。

台詞の1つ1つが矢張り冴えに冴えていて、
特に前半は本当に浮き浮きする気分で、
舞台を注視していました。

「カナダの夕陽」がドーンと掛かると、
それだけで何かが変わるような思いがするのです。

ただ、
最後まで観ると、
何となく「これでは違う」
という思いが残りました。

以下ネタばれを含む感想です。

舞台は新宿駅のコインロッカーの前です。

盲導犬を引き連れた盲導犬学校の生徒が、
先生に引率されて現れ、
盲導犬にとって最も必要なことは、
人間に服従させることだ、
という言説を述べます。

しかし、
唯一ファキイルという名の、
伝説の盲導犬がいて、
このファキイルは盲導犬でありながら、
主人である人間に服従しない、
不服従の犬なのだ、
と語ります。

と、そこにファキイルの遠吠えが響き、
ファキイルを探しているという、
盲人の影破里夫という謎の男が現れます。

破里夫はファキイルが自分から離れてしまったので、
それを追っているところだと言います。
フーテン少年が現れ、
破里夫と行動を共にします。

「伝説の不服従の犬」という発想がいいでしょ。

犬というのは要するに「権力の犬」のことなのです。

多くの人間は盲人となって、
自分の行く場所を、
盲導犬に頼るように劣化しているのです。
つまり、自由を奪われているのです。

それでいながら、
犬に対しては自分が主人である、
という幻想を信じ、
それによって自由を奪われていることを、
正当化して脆弱な生を生きているのです。

盲人というのはレトリックで、
実際の視覚障害という意味ではありません。

しかし、
そこに完全な自由を生きている、
伝説の不服従の犬がいて、
その犬に導かれた人間だけが、
権力のくびきを脱して、
真の生に目覚めることが出来るのです。

ただ、
問題はその伝説の犬は、
人間を簡単に食い殺すことの出来る猛犬だと言うことで、
人間の側がその猛犬に拮抗する、
人間としての誇りを持たないと、
簡単に食い殺されてしまう、
と言う点にあるのです。

登場した破里夫は、
本当にファキイルの主人なのでしょうか?

その辺りはどうも胡散臭いのです。

破里夫はシンナーを持っていて、
それでファキイルの毛を磨き、
黒い毛を狼の銀色に変えているのだ、
と言います。

この言い方では、
ファキイルはただの黒犬で、
それをまがいものの狼に、
変装させているだけのようにも思えます。

と、
そこに今度は銀杏という謎の女性が現れ、
開かずのコインロッカーを、
その鍵穴に詰まった人間の爪を燃やして、
開けようとしてるのだと言います。

彼女は怪物のような夫と結婚していたのですが、
その夫が、
女の結婚前に付き合っていた、
初恋の男性とのラブレターを、
コインロッカーに封印して、
バンコクへと旅立ち、
その地でキャバレーのホステスに撃たれて死にます。

女は夫が撃たれた瞬間、
実は幻の弾丸で自分も夫を日本から撃ったので、
ホステスが撃った弾丸と、
自分が撃った弾丸とが、
2つの国の真ん中でぶつかり合い、
そこで燃えるのが犬の毛だ、
と言います。

初恋の恋人との思いは、
新宿のコインロッカーの中に、
夫の妄執と共に封印され、
それを開けるためには、
バンコクの死んだ夫との間で、
死の勝負に勝たなければなりません。

その覚悟に、
破里夫は魅せられるのですが、
盲導犬学校の実習生として、
かつての初恋の人が姿を現すと、
女はその「権力」に屈服し、
自らが犬になって胴輪に繋がれます。

破里夫も彼に従うフーテンも、
実際の警官らが人間犬となって襲い掛かり、
散々に虐待を受けます。
その時に剥がれた破里夫の爪が、
コインロッカーの鍵となって、
開かずのロッカーが開くと、
その向こうにはバンコクに繋がる海があり、
その瞬間いずこからともなく出現したファキイルが、
女の首を切り裂いて姿を消します。

戯曲には明確にそうは書かれていませんが、
要するに破里夫が、
ファキイルに変身して、
女を処刑したように、
僕には思えます。

何故そう思うかと言うと、
かつての「吸血姫」という芝居で、
浩三という謎の男は、
2幕のラストで巨大なコウモリに姿を変える、
という件があり、
その部分と同じように、
怪物は「客の頭を飛び越えて去る!」
と書かれているからです。
破里夫の剥がれた爪が、
「まっくろく大きい」という台詞も、
破里夫こそファキイルである、
ということを暗示しています。

破里夫の中にあるファキイルの魂は、
死んだ怪物である夫と、
対決をするという銀杏の心意気に惚れるのですが、
銀杏は結局は初恋の人の胴輪に繋がれることを、
受け入れてしまうので、
怒ったファキイルは、
女を食い殺してしまうのですが、
その死の瞬間に、
コインロッカーの向こうに広がる、
「永遠の海」を女に見せるのです。

「永遠の海」を見て、
人間が本当は自由であることを知ってしまった人間は、
死ぬしかない、
という三島由紀夫的な観念が、
潜んでいるようにも思えます。

さて、
今回の蜷川演出再演版では、
コインロッカーはラストに真ん中から割れるように開くと、
背後のホリゾントに、
巨大な赤い夕陽が浮かび、
それがぐしゃっと潰れるのと同時に、
獣の咆哮が響き、
女は首から血を流して、
ファキイルと叫びます。

つまり、
犬は可視化はされませんし、
犬自身彼方の世界から、
飛び込んできたようなイメージに取れます。

概ね他の演出でも、
批評の文章などを読む限りは、
同様の演出がされているようです。

唯一僕の観た唐組の上演では、
黒い不出来な毛むくじゃらの着ぐるみが現れて、
ヒロインに襲い掛かる、
という不思議な趣向で、
正直間抜けに見えてガッカリしたのですが、
改めて考えると、
勿論唐先生自身が演出に関わっているので、
当然とも言えるのですが、
本来はこれが正統で、
単純に破里夫が現れて襲い掛かり、
それがファキイルのように見える、
という状況が理想である訳です。

ファキイルとは要するにそうしたもの、
誰の心の中にもある、
「自由で獰猛な獣」のことだからです。

今回の上演ではメインの破里夫の古田新太が、
大変素晴らしくて、
最近は映像での活躍の多い反面、
舞台での演技は生彩を欠くことが多かったのですが、
今回は謎の男を、
非常にそれらしく凄みを持って演じていて、
それでいてしっかり笑いも取り
男の情けなさ、要するにファキイルに成り切れない部分も、
同時に表現していたのはさすがでした。

フーテン役の小出恵介も、
好演だったと思います。

銀杏役の宮沢りえも、
一般的な意味では頑張っていたと思いますが、
幻の弾丸で死んだ男と勝負するような、
無意味な情念のようなものや、
獣のように恋人と愛し合い、
犬の胴輪に繋がれる切なさのようなものが、
全く感じられない点は、
唐先生のヒロインとしては落第で、
もっと切ないパッションに溢れた作品の筈なのに、
淡白に流れてしまったことは非常に残念に思いました。

ただ、それは宮沢りえさんの罪ではなく、
彼女の藝質は唐先生の芝居には向いていない上、
最近は野田秀樹的な芝居が染み付いていて、
会話を軽く流してしまうので、
こうした濃密な芝居には向かないのです。

作品自体も、
もっと小さな舞台で濃密に演じないと、
その真価が問えないタイプのものなので、
今回の上演は非常に小奇麗に作品世界を示しはしましたが、
唐先生の芝居に特徴的な、
切なくグッと来る感じや、
突然の暴力的な衝撃の余韻を、
感じさせるものにはならなかったことは非常に残念です。
空間を大きく処理してしまうと、
場末のコインロッカーの扉の向こうに何かが見える、
というような世界観が、
大きく後退してしまう結果になるからです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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コメント 2

月子

古田新太さんは近年では「たいこどんどん」と「ロッキーホラーショー」で観ました。
たいこどんどんの太鼓持ちはとっても良かったと思いました。
宮沢りえさんは「下谷万年町物語」で観ましたが、美しすぎてやはり・・・好きな女優さんなんですが。

いつも本当に鋭い劇評には感心いたします。ありがとうございます。
by 月子 (2013-07-21 23:01) 

fujiki

月子さんへ
コメントありがとうございます。
「ロッキーホラーショー」は、
映画は好きですが、
日本で上演するのはなかなか難しいですね。
以前ローリー版を見ましたが、
ちょっと萎えてしまう感じでした。
宮沢りえさんは線が細くて、
唐先生のヒロインには向いていないと思います。
あと、台詞の強調するポイントが、
違いますよね。
by fujiki (2013-07-22 08:29) 

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