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村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
色彩を持たない….jpg
村上春樹さんの新作が、
書下ろしで発売されベストセラーになっています。

これは個人的な感想としては、
思ったより悪くない作品で、
前作の「1Q84」より僕好みです。
ただ、村上さんの作品を、
これまであまり読んだことのない方には、
あまりお勧め出来ません。
他の作品を幾つか読んで、
「ああ、こんな感じのものなのね」
と思ってからでないと、
作品の世界に浸る前に、
描写や設定の不自然さの方が、
気になってしまう可能性が高いからです。

最近の村上春樹さんの作品を貶す人は、
黒沢明の「影武者」以降の作品を、
以前より劣化して見るに堪えない、
と貶す人によく似ていますが、
人間は誰でも「加齢」という名の劣化は仕方のないことですし、
誰にでも黄金時代はあるので、
それと現在を単純に比較するのは、
フェアではない思うのです。

以下ネタバレを含む感想です。

作品は多崎つくるという名の、
団塊ジュニアの30代の男性が主人公で、
彼は高校時代に他の4人のクラスメートと、
奇跡的で調和の取れた集団を形成していたのですが、
20歳の時に何故か他の4人から絶交を言い渡されます。
それから16年後に、
2歳年上の恋人から、
過去の理不尽な絶交の原因を追求するように命じられ、
4人のクラスメートを訪ねる旅に出ることになります。

これは僕の私見では、
尖閣問題とか慰安婦問題とかが、
ちょっこっと入った内容になっていて、
勿論正面切ってそうした話題を取り上げているのではないのですが、
「歴史」とか「憲法」という言葉が、
小説のテーマとは不似合な感じで挿入されていて、
当然それは意図的なのです。

かつての「ダンス・ダンス・ダンス」で、
「高度資本主義社会」という言葉が、
執拗にリフレインされたように、
あれは要するにバブル批判ということだったのだと思いますが、
今回も非常に微妙な感じで、
「虚構のレイプ」という枠組みの中に、
そうしたスパイスが忍ばされている、
という微妙な作品です。

こういう紛らわしい感じで、
物凄く分かり難く控えめにしか、
社会問題を作品中に表現しないというのは、
嫌いな人には腰が引けて卑怯な感じに思えるのでしょうし、
そうした意見も否定はしませんが、
僕はこの「腰の引けた感じ」が人間的で、
小説の素晴らしさと限界とを、
同時に感じさせるので、
個人的にはとても好きです。

これまでの村上さんの作品傾向としては、
「ノルウェイの森」に似ています。

「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」以降の、
村上さんの作品は、
現実世界とそれに部分的に対立する仮想世界とが、
せめぎ合いながら共存している、
という内容が主流になっていました。

その明確な例外が「ノルウェイの森」で、
作者自ら「純粋な恋愛小説」と銘打ったように、
主人公達は現実世界から一切出ることなく、
苦悩し、愛し、死んでゆきます。
「純粋」という言葉の意味は、
要するに向こう側の世界が登場しない、
ということなのです。

今回の作品も同じように、
「死神に魅入られたジャズピアニスト」のような、
ファンタジーの挿話や、
幽体離脱を思わせる夢の話などが挿入はされていますが、
それはあくまで「夢」の話に留まっていて、
基本的なストーリーの枠組みの中に、
超現実性は全くありません。

後半で主人公は、
ノルウェイの森ならぬ、
フィンランドの森を彷徨いますが、
「悪いこびとたちにつかまらないように」
という台詞は出て来るものの、
邪悪なこびとは出て来ません。
村上春樹さんの物語としては、
「スプートニクの恋人」のように、
ここで超現実的世界に、
不意に入り込んでもおかしくはありませんし、
「海辺のカフカ」のように、
そこにもう1つの世界への入り口が開いていても、
何らおかしくはないのですが、
意図的に今回はそうした世界からは、
距離を置いているのです。

主人公の年上の恋人は、
「羊をめぐる冒険」の、
耳の完璧なモデルに似ていますし、
悪霊に魅入られて無残に死ぬ、
主人公の初恋の女性は、
いつもの「予め失われたヒロイン」です。
大学時代の唯一の友達が、
謎めいた物語を残して、
忽然と姿を消すのも、
「ノルウェイの森」に似ています。

そんな訳でこの作品は、
結構懐かしい村上春樹さんのクロニクル的世界なのですが、
例によって幸運な癖に苦悩している主人公は、
作者の分身としての時代を離れて、
団塊ジュニアの世代に設定され、
バブルの頃に喪失した、
絆の意味を総括しようとしているのですから、
作者自身新しい世界に、
踏み出そうとしているところでもあるのです。

仮想世界を出現させれば、
小説的には主人公の問題は解決されるのです。
「虚構のレイプ」の真実も、
2つの世界のレトリックの中では、
解決され浄化されるのです。
しかし、団塊ジュニアで恵まれた立場の主人公に、
その道を選ばせず、
かつての自分の「ノルウェイの森」の苦悩を、
同じように味あわせることで、
新たな解決の道を探って欲しい、
という作者の意図が、
そこにはあるように思います。

作品のラストは例によって、
主人公が逢わなければいけない誰かと、
逢うことを決意した時点で終わり、
その再会自体は描かれませんが、
その希望の意味は、
そう甘くはないものなのかも知れません。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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