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人生は物語である、ということ [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は祝日で診療所は休診ですが、
横浜の方で糖尿病の勉強会があるので、
そこに出掛ける予定です。

今日は雑談です。

山口猛さんが、
唐先生の状況劇場に入団した当時のことを書いた、
「紅テント青春録」は、
僕が折に触れて再読する愛読書ですが、
その中にこんな件があります。

唐先生は1975年に、
「任侠外伝・玄界灘」という映画を監督したのですが、
その時に主役の安藤昇が、
ショー用の背広を、
その時安藤さんの運転手をしていた、
若手の唐先生の劇団員が、
忘れてしまったと誤解して激怒し、
その劇団員を叱責しました。

安藤さんの叱責というのは、
それはそれは怖ろしいもので、
その劇団員は飛び降り自殺を考えるほどに落ち込んだのですが、
実はそれはその劇団員のミスではなく、
安藤さんのマネージャーのミスであったので、
安藤さんはすぐに自分の非を恥じ、
高級な洋酒2本に「さっきは怒ってごめんなさい」
という手紙を添えて送ったというのです。

劇団員は安藤さんの男気に感動しました。

僕はこの話がとても好きです。

この話のポイントは、
安藤さんが、
劇団員が主人公の物語に、
ハッピーエンドをプレゼントした、
ということにあります。

安藤さんくらいになると、
自分が主人公の物語で、
自分が活躍するのは当然のことで、
自分が関わった人物に対しては、
その人物が主人公の物語に、
脇役として登場することを厭わず、
そこにその物語なりの、
ハッピーエンドを用意しているのです。

凡人は自分の物語の主人公になることには、
概ね非常に熱心ですが、
他人の物語の脇役に廻ることには、
あまり興味を示さないもののように思います。

こんな話がありました。

僕が非常に尊敬している、
在宅医療の先生がいたのですが、
ある時僕が外来で診ていた患者さんが、
総合病院で癌と診断され、
治療が困難という判断になり、
病院の主治医は、
その在宅医療の先生に患者さんを紹介しました。

僕はその先生に在宅で診て頂けるのなら、
それに勝るものはないと思いながら、
これまでの経緯もあり、
自分も何らかの形で、
患者さんに関わらして頂きたい、
という思いがありました。

勿論病院にご紹介した時点で、
進行癌であったのなら、
こちらの落ち度でもあり、
そうしたことは考えないのですが、
その患者さんは最初の検査値の異常があった段階で、
癌の可能性を疑ってご紹介をしたのですが、
それから診断が確定しないまま、
ただ様子を見るだけで2年余が過ぎ、
最終的に転移の兆候があってから初めて、
診断が確定した、
という正直納得のいかない経緯があったのです。

それでその旨を、
尊敬する在宅医療の先生にメールでお伝えすると、
すぐにご返事が来て、
これは先生(僕のことです)が主治医で担当するのが最善で、
そのように病院側にも話をしますし、
私も全面的にバックアップします、
という内容でした。

僕はその先生の男気に本当に感動しました。

ところが…

何の連絡もなく2週間ほどが過ぎ、
それから診療所に1枚のファックスが送られて来ました。

そこには、
その在宅医療の先生のクリニックの他のドクターの名前で、
当該の患者さんの在宅診療を開始した、
という趣旨のことが書かれていました。

勿論僕が主治医になる、
というような話は何処にもありませんでした。

僕は患者さんご本人とご家族の意向も聞いた上で、
僕自身も患者さんのお宅に定期的に伺い、
その経過を見守りました。

患者さんの最後は、
僕が午後の診療中のことでしたが、
診察室に電話が入り、
その先生の声で、
今亡くなったと、
これも素っ気なく連絡が入りました。

僕がその後で先生のクリニックに研修に伺いたいと、
メールを出しましたが、
ご返事は来ませんでした。

その先生は最初はそのメールの通りに、
僕をサポートするおつもりでいたのだと思いますが、
病院との話し合いの中で、
何か事情が変わり、
お考えを変えて、
僕との約束はないものとしたのだと思います。

僕は一言の説明が欲しかったのです。

先生が変節に至った経緯を、
先生の言葉で、
別に二言三言でもいいのです。

しかし、
先生はそうする代わりに、
その後の僕からのアプローチを、
一切無視し、
最初のメールの内容が実際には存在しなかったかのように、
抹消してしまわれたのです。

僕は先生の「在宅医療一代記」の、
ごく小さな1つの挿話に登場する脇役でしたが、
その挿話は先生の物語からは、
なかったものとして削除されたのです。

また、こんなこともありました。

医師の属する団体があり、
その会合である時近隣の先生から、
団体の役職をやって欲しい、
という話がありました。

その先生自身が、
その時その役職に就いていたのですが、
途中で降りたいという意向があり、
その後任を僕にやれ、
という半ば命令に近いお話でした。

僕は別に役職に就きたいという気持ちはありませんでしたし、
時間的にもきついので気は進みませんでしたが、
どうしてもということなら、
止むを得ないことかな、
と思いました。

その数日後に近隣の先生が集まる会合があり、
その席で正式に議題としてその話が上がり、
僕が役職に就くことが決まりました。

ところが…

それから2カ月ほどが経ち、
役職の候補者が推薦されたという文書が届くと、
そこに僕の名前はありませんでした。

これもまた何か事情があって、
僕が役職に就く話が立ち消えになったのだと思いますが、
非常に強圧的に僕に「お前がやれ」と言われた、
その近隣の先生からは、
たった1本の電話も、
1行の手紙も、
何もありませんでした。

あたかも、
そんな話は最初から存在しなかったかのように、
その先生の「地域の社会派ドクターここにあり」
の物語の1つの挿話からも、
僕という脇役の存在は、
抹消されたのです。

僕の人生は思い返すといつもそんな感じで、
起承転結の結を欠く未完の物語が、
積み重なって構成されているような気がします。

同じようなことが何度もあるのは、
多分僕の方にも原因があって、
それに気付くことが出来ないだけなのかも知れません。

最初の安藤昇さんの挿話が素晴らしいのは、
劇団員に襲い掛かる理不尽な危機、
という短編小説に、
その危機が終結したタイミングに合わせて、
安藤さんの心遣いがあるのがポイントなのです。

僕が同じように謝ってお酒を送ったって、
とても感動は呼びませんが、
安藤さんがすれば感動を呼ぶのです。

これが人徳というか、
人間の格とでも言うべきもので、
映画やドラマのキャスティングと同じように、
現実の世界にも、
矢張り適切な立場と役割というのはあるものです。

僕は物語を愛していて、
今は殆ど時間がありませんが、
小説を書いている時が、
人生で一番楽しい、
というタイプの人間なので、
そう思うのかも知れませんが、
人間は人生を「物語」として生きていて、
それが人間の特性のような気がします。

それは長編小説でもありますが、
その人の感覚の中では、
短編小説の繋がりのようなものでもあり、
その自分が主人公の物語が、
1つ1つ結末を迎えていれば、
その人の人生は幸せですが、
それが宙ぶらりんのままで、
ハッピーエンドでもアンハッピーエンドでもなく、
他者によって放置されると、
それは本人にとっては非常にしんどいことで、
それが要するに人生のつらさや生き難さの、
本質のような気がします。

結婚式に意味があるのは、
それが2人にとって、
その出逢いから幾つかの危機を経て、
結婚という1つの結末を迎えるという意味で、
物語のハッピーエンドとして機能しているからです。

結婚する2人は、
その場で互いに自分が主人公であり、
それが自分が主人公の短編小説のハッピーエンドであることを、
意識していますし、
そこに列席している全ての人にとっては、
自分はこの物語の脇役であることを認識し、
結婚する2人が主役の物語を、
盛り立てる役割を果たすことに、
何の疑問も持ってはいません。

結婚式が素晴らしいのは、
つまりはそのように、
人間にとって理想的な物語空間が、
実現する場であるからなのです。

僕が今思うことは、
僕自身の物語は、
まあこの程度のもので、
結末の付かないモヤモヤした物語の連鎖なのですが、
こんな僕でも、
日々触れ合う他人の物語の中に、
脇役として登場しているので、
そうした他人の物語を、
ハッピーエンドにするために、
自分の分をわきまえながら、
ささやかな貢献が出来るように、
少しでも努力をしたい、
ということなのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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コメント 10

あい。

ips細胞研究のために、皮膚を提供してほしいと言われ、承諾書にサインまでしたのにその後数年何のおとさたもなし・・・あるんですね、似たような話って。
by あい。 (2013-02-11 15:32) 

末尾ルコ(アルベール)

多くの人が「他人の物語」をもっと意識できれば、社会は成熟するのでしょうね。

                       RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2013-02-11 17:00) 

のりこ丸

結婚式で、仲人さんが、ウエディングドレスを着た私を、エスコートするのを忘れて、ひとりで歩いて行きました。主人公は仲人さんで、私は、影の薄い笑い者の脇役のようでした。主役になりたいのに、なりきれない私のせいでもあるかと、今、思いました。

たいていの人は、ハッピーエンドの邪魔をしているように思えます。私自身も、貢献してるつもりでも、邪魔をしていることが多いです。
他人の物語の中で、脇役として貢献できる人は、すばらしい。
by のりこ丸 (2013-02-11 17:06) 

田鶴

初めまして。先生の、ご自身あるいは社会との向き合い方、「体勢」が何ともいえず好きです。どこかしら病んだときは駆けつけることと思います。
by 田鶴 (2013-02-11 21:16) 

fujiki

あいさんへ
コメントありがとうございます。
えらくなるということは、
都合の悪いことは忘れてないことにしてしまう、
という技能が、
必要となることが多いようですね。
by fujiki (2013-02-11 22:33) 

fujiki

RUKOさんへ
コメントありがとうございます。
月並みな話を、
ちょっと表現を変えてみました。
by fujiki (2013-02-11 22:34) 

fujiki

のりこ丸さんへ
コメントありがとうございます。
難しいのですが、
他人の物語を考える余裕は、
持つようにしたいですね。
これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2013-02-11 22:36) 

fujiki

田鶴さんへ
初めまして。
コメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2013-02-11 22:37) 

さき

先生がなぜ連絡もなく、話が立ち消えになったりメールを無視されるのだろう?と、怒り、さびしいような気持ちになられたのは、当然ではないでしょうか?

医師の世界のことは分かりませんけれども、一般の常識で言うなら、
実は他に候補者が挙がったので、先生にお願いしていて本当に申し訳ないけれども、お話はなかったことにして下さい…。
と、説明なさると思います。

by さき (2015-03-27 17:47) 

fujiki

さきさんへ
なかなかプライドの高い方は、
そうした対応はされないことが多いようです。
by fujiki (2015-03-27 23:10) 

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