SSブログ

ケラ「祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~」 [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。
朝一で投票を済ませて、
それから今PCに向かっています。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
祈りと怪物表絵.jpg
ケラリーノ・サンドロヴィッチの作・演出による、
新作の舞台が渋谷のコクーンで上演中です。
同じ戯曲を今月はケラ本人が演出し、
来年1月には蜷川幸雄が演出する、
というコラボの企画です。

蜷川幸雄はこれまでにも、
新人の戯曲を他の演出家と連続で上演したり、
野田秀樹の新作戯曲「パンドラの鐘」を、
今回と同じように連続で上演したことがありました。
「パンドラの鐘」は両ヴァージョンを観ましたが、
矢張り野田本人の演出版が、
無理のない感じがありました。

蜷川演出は、
戯曲の本質を分り易く解体して絵解きしてくれるので、
その意味では親切で面白いのですが、
蜷川組と言われるいつもの役者さん達の芝居が、
暗くて重いのでうんざりするのと、
絶叫の連続が多いので、
演出家が意図するほど、
台詞が客席に届かない恨みがあるのです。

そんな訳で今回はケラ版のみを観るつもりでしたが、
実際に観てみると、
何となく蜷川版も観たくなるのが不思議です。

ケラはもう20年以上、
年に4~5本くらいという、
驚異的なペースで演劇作品を上演し続けていて、
その精力的な仕事ぶりには頭が下がります。

もう10年くらいこのペースで仕事を続ければ、
戯曲作家としては、
ギネスに載るレベルだと思います。

その作品の傾向は大雑把に言えば3つのパターンに分かれ、
健康時代からのナンセンスコメディと、
私小説的な内容を含む、
主に1980年代に回帰する、
ノスタルジックな傾向のもの、
そして今回の作品のような、
架空の世界の年代記です。

まあ、
フィクションとノンフィクションとコメディです。

このうち、
ナンセンスコメディは、
初期から完成度が高く、
1995年の「ウチハソバヤジャナイ」くらいで、
ほぼ完成形に至っており、
私小説的な内容のものは、
試行錯誤はありながら、
2000年の「ナイスエイジ」辺りで、
これもほぼ完成形に近い形に至ります。
ただ、架空年代記的な作品は、
おそらく1995年の「フリドニア」が最初と思いますが、
その後非常に多くの作例がありながら、
決定打には至っていない、
という気がします。

その原因を僕なりに分析すると、
架空年代記でありながら、
部分的にはナンセンスコメディの要素が含まれていて、
コメディ担当のような役柄が登場し、
結構それが全体の流れを邪魔していたように思います。
つまり、コメディとの分離が、
不充分であったのです。
更には時制を交錯させるなど、
長い上に殊更に構成を複雑にし過ぎて、
多くの観客が途中で置き去りにされるきらいがありました。

しかし、
今回の作品はかなり純度が高く、
構成もシンプルで分り難いところがないので、
個人的な意見としては、
ケラの架空年代記として、
完成型にかなり近付いたもののように、
感じられました。

上演時間は、
2回の10分の休憩を含み、
何と4時間10分という長尺です。

しかし、
その時の体調もあるのでしょうが、
僕は今回は退屈はしませんでしたし、
間延びした場面や、
なくもがなの場面などはなく、
4時間の長さがこの物語を十全に語るには、
必要にして充分であると感じました。
ただ、終了後の客席からは、
「もう辛くて殆ど寝ていたわ」
というような声もありましたから、
そうした方も多くいらっしゃったことは事実と思います。

以下ネタバレがあります。

作品は植民地時代の新興国という雰囲気の、
架空の国を舞台にしています。
その国にある小さな町の名が、
ウィルヴィルです。

町を暴力と恐怖とで牛耳る、
大金持ちの独裁者がいて、
その3人の娘がウィルヴィルの三姉妹です。

物語はその独裁者の全盛時代から始まり、
町に奇病が蔓延することから、
急激な没落に至り、
路頭に迷う独裁者の姿が描かれて終わります。

ケラの頭にはガルシア・マルケスの
「百年の孤独」があったようで、
それに似たマジックリアリズムの物語です。

つまり、
現実を表現するのに、
現実そのものを描くのではなく、
御伽噺的なギミックに置換して描く、
という手法です。

今回の作品に関しては、
町に蔓延する奇病の原因は、
町を訪れた錬金術師の弟子の道化が、
一種の超能力を持っていて、
魔法を掛けたライ麦粉を、
願いの叶う薬として、
住民が挙って飲むのですが、
肥大した欲望を制御出来なくなり、
怪物化してゆくためとなっています。

自分の境遇に恨みを持つ老女が、
その粉を飲むと、
幾ら食べても満腹を感じなくなり、
その孫は盗みを繰り返して、
母の欲望を満たそうとします。

独裁者の家の住み込みの召使の夫婦は、
1人息子を亡くしたのですが、
道化の魔法で死んだ息子の姿が、
生きているように見えるようになります。
しかし、
見えない息子の子育てに失敗し、
透明な息子は凶暴な怪物と化して、
両親に襲い掛かります。

海の彼方から来た謎の男は、
長身の美青年で、
女性に奉仕することを厭わないので、
独裁者の母親と次女はその虜になりますが、
実はその男は、
町の人間全てを憎んでいて、
邪教の呪術を使い、
残虐な殺戮を繰り返しているのです。

このように、
何とは言いませんが、
女性を虜にする残虐な恨みを持つ青年も、
自分の孫の資産を食い尽くし、
盗みまで強要する老人も、
自分の存在しない子供に、
復讐される夫婦も、
僕達に非常に身近な、
何かを表現していることに気付きます。

日本の絶望と破滅を、
マジックリアリズムの意匠で描く、
ケラの筆は今回は非常に冴えていると、
僕は思います。

充実したキャストがこちら。
祈りと怪物キャスト.jpg
町の独裁者を演じるのが生瀬勝久で、
僕はこの人は以前は嫌いだったのですが、
つくづく良い役者になったと思いますし、
今回は本当に惚れ惚れする悪党ぶりで、
彼の演技だけで、
充分元は取った気分になります。

小出恵介は前回の出演では、
出番も少なく精彩も欠いて、
ケラとは合わないのかな、
と思ったのですが、
今回は複雑な青年の悲劇を、
ナルシスティックに演じてなかなかでした。

見えない子供に慄く、
召使の夫婦はマギーと犬山イヌコで、
ある意味この作品の肝なのですが、
いつもの小ネタや笑いを封印した芝居で、
小市民の悲劇を陰影深く描いて、
これもなかなかでした。

演出も意外性はないのですが、
非常に完成度が高く、
蜷川演出を意識したかのような、
コロスの群唱はどうかと思いますが、
それ以外は洗練された完成度を示していました。
映像の使い方も、
舞台転換のスムースさも、
いつもながら鮮やかです。

蜷川版は何となくどぎつさが予想されて、
辛そうな気もするのですが、
見えない子供が怪物化する時の処理や、
呪術により身体から煙を上げて苦しむ、
独裁者の処理など、
どう演出するつもりか気になります。

配役も、
森田剛は小出恵介の役で決まりで、
石井愃一の執事長辺りは決まりだろう、
と思いますが、
古谷一行を司祭にすると、
独裁者はどうするのかしら、
勝村政信に何をやらせるつもりかな、
とか結構気になります。

そんな訳で、
ケラの現時点での1つの到達点を見る意味で、
今回の公演は長いのですがお勧めです。
体力のある時にお出掛け下さい。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

明日少しは新しい展望が、
見えるようだといいですね。

石原がお送りしました。
nice!(18)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 18

コメント 2

まれすけ

昔、ケラさんのバンドの有頂天が好きでCDを集めたりしていました。
劇団健康の『出鱈目的』というCDをレンタルで借りてきてダビングして、よく聴いていました。

でも、恥ずかしながらそれ以上は殆どケラさんの事はよく知らなかったのですが、現在でも活躍されているんですね。
初めて知って驚きました。
by まれすけ (2012-12-17 19:27) 

fujiki

まれすけさんへ
コメントありがとうございます。
ケラさんは音楽がスタートで、
今も音楽活動は続けられていますが、
メインは演劇になっているようです。
by fujiki (2012-12-18 08:30) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0