医療の変遷と医師患者関係という医療資源について [身辺雑記]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は朝から臨時の出動があり、
それから今PCに向かっています。
今日は雑談です。
先日、過換気症候群の発作時の対処として、
ペーパーバッグ再呼吸が最近はあまり推奨されていない、
という話題を取り上げました。
このように、
かつては正しいとされていた医療上の処置や治療の考え方が、
時代と共に変遷するというのは、
医療の歴史の中では枚挙に暇のないことです。
こうした時に、
新しい考え方を知った人は、
それが専門家でもそうではない一般の方でも、
概ね新しい考え方が100%正しいものとして、
古い考え方を誤りとして強く攻撃することが、
しばしばあります。
ただ、
ペーパーバッグ再呼吸を例に取れば、
過換気症候群の診断が明確でないのに、
それと決め付けて、
その処置を行なうことが、
致命的な誤りなのであって、
不安による過呼吸の診断が明確なものであって、
一種の自己対処法としてその処置を行なっている場合には、
確かにその効果は実証されたものではありませんが、
特に実害はなく、
目を吊り上げて糾弾するような性質のものではないように、
僕には思えます。
実際に今でも多くの方が、
その方法で不安から来る発作の症状を、
緩和することが出来ているのです。
ある日急にペーパーバッグ再呼吸は危険だから、
今度からはそれはやらないで我慢しなさいと言われれば、
発作が悪化する可能性もありますし、
その代りに、
具合の悪い時には安定剤を飲んで下さい、
というようなことになれば、
どちらがその患者さんにとって、
その後の人生のためにメリットのあることなのか、
疑問に感じます。
ペーパーバッグ再呼吸は殺人的、
のようにNHKの今年の夏の番組では、
扇情的に放送されましたが、
その内容を紹介したネットのページでは、
担当のディレクターが匿名で、
「紙袋による対処法は役に立つものだと思っていたが、
海外の文献で危険があると知り、
驚いてその内容を伝える使命を感じた」
のようなコメントが書かれています。
僕がこのディレクターの方に、
1つだけお聞きしたいことは、
この番組を作る際に、
心療内科などにおいて、
ペーパーバッグ再呼吸を指導されている、
多くの患者さんがいるという事実を、
どの程度真剣にお考えになったのでしょうか、
ということです。
もう1つ同じような話をします。
慢性うつ病や非定型うつ病、
新型うつ病などという曖昧模糊とした概念があり、
そうした病気の患者さんが増えている、
という考え方があります。
古典的うつ病というのは、
責任感の強い生真面目な方に多い病気で、
全てを自分のせいにして苦しむような、
自責の念が強いのですが、
所謂新型うつ病というのは、
他罰的な傾向が強く、
仕事には行けないけれど遊びには行ける、
というように、
その状態に苦しんでいる人以外には、
あまり病気のように見えない、
という特徴があります。
これはただの「怠け病」に過ぎない、
という考え方があり、
NHKはそうした番組も放送しました。
ネットなどでは複数の医療関係者の方が、
これは病気ではなく、
医療の関わるような問題ではない、
というようなコメントを、
されていました。
総じて精神科領域のご専門ではない方々です。
僕は2008年頃に、
同じような内容の記事を書きましたが、
今は削除しています。
それは主に産業医の現場において、
実際にそうした症状に苦しんでいる、
多くの方のお話しを実際に聞いたからです。
その人達は、
確かに自分の境遇を、
全て他人のせいにする傾向がありますが、
それでも自分をコントロールすることが出来ずに苦しみ、
どうすれば自分が社会に貢献することが出来るのかを、
必死で考えて悩んでいます。
自分の境遇を他人のせいにするからいけませんか?
でも、
政治家は全員、
日本がダメになったのは、
他人のせいだと言う人種ではないですか?
他罰的な人が悪いのなら、
全ての政治家もまた悪いのです。
僕が言いたいことは、
他罰的かどうかというようなことは、
ただの性格傾向に過ぎないのではないか、
ということです。
問題の本質はそこにはないのです。
あなたが今辛いのは、
決してあなたのせいではないんだよ、
これは病気なんだから、
一緒に治してゆきましょうね、
というようなことを言われて治療をされている方が、
現実に大勢いるのです。
新しい見解に拠れば、
そんな病名は存在せず、
それは病気ではないのかも知れません。
しかし、
そんなことをいきなり言われたらどうでしょうか?
少なくとも患者さんと治療者との信頼関係は破壊され、
それが元に戻ることは永久にないのではないかと思います。
僕が最近思うことは、
患者さんと治療者との間に、
人間同士としての信頼関係が構築されることは、
そう簡単に出来ることではなく、
それがある意味最大の医療資源ではないか、
ということです。
1人の医者が1人の患者さんの、
全てを診ることが、
出来る訳ではありません。
適切な個別の専門医との連携は、
患者さんの治療のために、
必要不可欠なものです。
ただ、複数の治療者と、
同じように信頼関係が構築出来るかと言えば、
それは困難ではないかと思いますし、
人間の心理から考えて、
あまり合理的ではないと思います。
メインの治療者は1人であり、
患者さんとの間に人間同士としての信頼関係のあることが、
矢張り何より重要なことなのです。
治療法も病気の概念も、
確かに時代と共に変わってゆくものです。
ただ、
それは必ずしも、
ある日を境に急に逆転する、
というような性質のものばかりではありません。
上記の事例で言えば、
ペーパーバッグ再呼吸は、
元々さほど根拠のある治療ではなかったのですが、
一般に流布された経緯があり、
その有効性が心理的なものを含めれば、
完全に否定されたものではありませんし、
過換気症候群の診断が間違いなく、
必要に応じての使用であれば、
それでも病態悪化のリスクがある、
ということの証明はありません。
要はペーパーバッグ再呼吸をすると、
一般の方でも一時的な低酸素状態を誘発するリスクがあるので、
基礎疾患の有無を確認することなく、
安易に行なったり指示したりしては危険だ、
ということなのです。
過換気症候群における発作のコントロールにも、
別箇の方法が望ましい、
ということは事実と思いますが、
この病気の持つ微妙さと、
実際に多くの患者さんが、
「大きな危険はないやり方で」
この方法を用いている現状がある以上、
NHKの番組のような手法は、
誤りだと強く思います。
また、新型うつ病に関しては、
これも定義があやふやな段階で、
こうした病名が患者さんに告知され、
説明されるという状況は、
本来望ましいものではありませんが、
そうしたことが実際にあることも事実であり、
病名の妥当性はともかくとして、
言われるような症状で、
実際に苦しんでいる、
多くの患者さんがいらっしゃることも事実です。
それが病気ではない、というような言い方は、
少なくとも軽率にはするべきではないと、
これも強く思います。
医者にも色々な方がいますし、
色々な意見があります。
このような時代ですから、
自分なりの意見のある多くの方が、
そうした意見を、
一般の方の目にも触れる場所で、
つぶやいたり叫んだりしています。
NHKの番組を制作されるような方は、
おそらくそうした発言をまず読み、
そこから資料を集めたり取材をして、
扇情的な番組に仕立てて行くのだと思います。
ただ、
僕が1つだけ言いたいことは、
世の中には多くの医者がいて、
多くの患者さんがいるのですから、
より大きな視点で、
この意見により傷付く患者さんがいたり、
破壊されるような医者と患者さんとの人間関係がないかどうかを、
もう一度考えてみてから、
専門家はつぶやいたり叫んだりしてはもらえないだろうか、
ということであり、
NHKの番組を制作される方は、
それが専門家の意見であっても、
それ以外の意見もある筈であり、
意見自体が変遷してゆくものなのですから、
もう少し広い視野で周囲を見まわして、
世の中に「悪」を作るような、
そうした番組は作らないで頂きたい、
ということです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は朝から臨時の出動があり、
それから今PCに向かっています。
今日は雑談です。
先日、過換気症候群の発作時の対処として、
ペーパーバッグ再呼吸が最近はあまり推奨されていない、
という話題を取り上げました。
このように、
かつては正しいとされていた医療上の処置や治療の考え方が、
時代と共に変遷するというのは、
医療の歴史の中では枚挙に暇のないことです。
こうした時に、
新しい考え方を知った人は、
それが専門家でもそうではない一般の方でも、
概ね新しい考え方が100%正しいものとして、
古い考え方を誤りとして強く攻撃することが、
しばしばあります。
ただ、
ペーパーバッグ再呼吸を例に取れば、
過換気症候群の診断が明確でないのに、
それと決め付けて、
その処置を行なうことが、
致命的な誤りなのであって、
不安による過呼吸の診断が明確なものであって、
一種の自己対処法としてその処置を行なっている場合には、
確かにその効果は実証されたものではありませんが、
特に実害はなく、
目を吊り上げて糾弾するような性質のものではないように、
僕には思えます。
実際に今でも多くの方が、
その方法で不安から来る発作の症状を、
緩和することが出来ているのです。
ある日急にペーパーバッグ再呼吸は危険だから、
今度からはそれはやらないで我慢しなさいと言われれば、
発作が悪化する可能性もありますし、
その代りに、
具合の悪い時には安定剤を飲んで下さい、
というようなことになれば、
どちらがその患者さんにとって、
その後の人生のためにメリットのあることなのか、
疑問に感じます。
ペーパーバッグ再呼吸は殺人的、
のようにNHKの今年の夏の番組では、
扇情的に放送されましたが、
その内容を紹介したネットのページでは、
担当のディレクターが匿名で、
「紙袋による対処法は役に立つものだと思っていたが、
海外の文献で危険があると知り、
驚いてその内容を伝える使命を感じた」
のようなコメントが書かれています。
僕がこのディレクターの方に、
1つだけお聞きしたいことは、
この番組を作る際に、
心療内科などにおいて、
ペーパーバッグ再呼吸を指導されている、
多くの患者さんがいるという事実を、
どの程度真剣にお考えになったのでしょうか、
ということです。
もう1つ同じような話をします。
慢性うつ病や非定型うつ病、
新型うつ病などという曖昧模糊とした概念があり、
そうした病気の患者さんが増えている、
という考え方があります。
古典的うつ病というのは、
責任感の強い生真面目な方に多い病気で、
全てを自分のせいにして苦しむような、
自責の念が強いのですが、
所謂新型うつ病というのは、
他罰的な傾向が強く、
仕事には行けないけれど遊びには行ける、
というように、
その状態に苦しんでいる人以外には、
あまり病気のように見えない、
という特徴があります。
これはただの「怠け病」に過ぎない、
という考え方があり、
NHKはそうした番組も放送しました。
ネットなどでは複数の医療関係者の方が、
これは病気ではなく、
医療の関わるような問題ではない、
というようなコメントを、
されていました。
総じて精神科領域のご専門ではない方々です。
僕は2008年頃に、
同じような内容の記事を書きましたが、
今は削除しています。
それは主に産業医の現場において、
実際にそうした症状に苦しんでいる、
多くの方のお話しを実際に聞いたからです。
その人達は、
確かに自分の境遇を、
全て他人のせいにする傾向がありますが、
それでも自分をコントロールすることが出来ずに苦しみ、
どうすれば自分が社会に貢献することが出来るのかを、
必死で考えて悩んでいます。
自分の境遇を他人のせいにするからいけませんか?
でも、
政治家は全員、
日本がダメになったのは、
他人のせいだと言う人種ではないですか?
他罰的な人が悪いのなら、
全ての政治家もまた悪いのです。
僕が言いたいことは、
他罰的かどうかというようなことは、
ただの性格傾向に過ぎないのではないか、
ということです。
問題の本質はそこにはないのです。
あなたが今辛いのは、
決してあなたのせいではないんだよ、
これは病気なんだから、
一緒に治してゆきましょうね、
というようなことを言われて治療をされている方が、
現実に大勢いるのです。
新しい見解に拠れば、
そんな病名は存在せず、
それは病気ではないのかも知れません。
しかし、
そんなことをいきなり言われたらどうでしょうか?
少なくとも患者さんと治療者との信頼関係は破壊され、
それが元に戻ることは永久にないのではないかと思います。
僕が最近思うことは、
患者さんと治療者との間に、
人間同士としての信頼関係が構築されることは、
そう簡単に出来ることではなく、
それがある意味最大の医療資源ではないか、
ということです。
1人の医者が1人の患者さんの、
全てを診ることが、
出来る訳ではありません。
適切な個別の専門医との連携は、
患者さんの治療のために、
必要不可欠なものです。
ただ、複数の治療者と、
同じように信頼関係が構築出来るかと言えば、
それは困難ではないかと思いますし、
人間の心理から考えて、
あまり合理的ではないと思います。
メインの治療者は1人であり、
患者さんとの間に人間同士としての信頼関係のあることが、
矢張り何より重要なことなのです。
治療法も病気の概念も、
確かに時代と共に変わってゆくものです。
ただ、
それは必ずしも、
ある日を境に急に逆転する、
というような性質のものばかりではありません。
上記の事例で言えば、
ペーパーバッグ再呼吸は、
元々さほど根拠のある治療ではなかったのですが、
一般に流布された経緯があり、
その有効性が心理的なものを含めれば、
完全に否定されたものではありませんし、
過換気症候群の診断が間違いなく、
必要に応じての使用であれば、
それでも病態悪化のリスクがある、
ということの証明はありません。
要はペーパーバッグ再呼吸をすると、
一般の方でも一時的な低酸素状態を誘発するリスクがあるので、
基礎疾患の有無を確認することなく、
安易に行なったり指示したりしては危険だ、
ということなのです。
過換気症候群における発作のコントロールにも、
別箇の方法が望ましい、
ということは事実と思いますが、
この病気の持つ微妙さと、
実際に多くの患者さんが、
「大きな危険はないやり方で」
この方法を用いている現状がある以上、
NHKの番組のような手法は、
誤りだと強く思います。
また、新型うつ病に関しては、
これも定義があやふやな段階で、
こうした病名が患者さんに告知され、
説明されるという状況は、
本来望ましいものではありませんが、
そうしたことが実際にあることも事実であり、
病名の妥当性はともかくとして、
言われるような症状で、
実際に苦しんでいる、
多くの患者さんがいらっしゃることも事実です。
それが病気ではない、というような言い方は、
少なくとも軽率にはするべきではないと、
これも強く思います。
医者にも色々な方がいますし、
色々な意見があります。
このような時代ですから、
自分なりの意見のある多くの方が、
そうした意見を、
一般の方の目にも触れる場所で、
つぶやいたり叫んだりしています。
NHKの番組を制作されるような方は、
おそらくそうした発言をまず読み、
そこから資料を集めたり取材をして、
扇情的な番組に仕立てて行くのだと思います。
ただ、
僕が1つだけ言いたいことは、
世の中には多くの医者がいて、
多くの患者さんがいるのですから、
より大きな視点で、
この意見により傷付く患者さんがいたり、
破壊されるような医者と患者さんとの人間関係がないかどうかを、
もう一度考えてみてから、
専門家はつぶやいたり叫んだりしてはもらえないだろうか、
ということであり、
NHKの番組を制作される方は、
それが専門家の意見であっても、
それ以外の意見もある筈であり、
意見自体が変遷してゆくものなのですから、
もう少し広い視野で周囲を見まわして、
世の中に「悪」を作るような、
そうした番組は作らないで頂きたい、
ということです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2012-12-15 08:36
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私も3年前の元旦に生れて初めて過呼吸を経験しました。
今から思うと馬鹿げた話ですが、その時は体が硬直してきて意識が遠のき、このまま死ぬのかとさえ思い、色々の事が頭を過ぎり益々パニック状態になりました。
元旦早々救急車で運ばれ周りの人達に迷惑を掛けた次第です。
このような失態をした原因は私の過呼吸に対する正しい知識のなさがパニックを起こし、自分をコントロール出来ない状態を作り出している事でした。
全ての病とは言いませんが、一般の人でもある程度の医療に対する知識は絶対必要かと思います。
医療に対する過度な要求や意味の無い治療を少なくする為にも、私達は正しい医療を学ぶ必要があるとつくづく思います。
先生のブログを読ませてもらうようになって、本当に助かっております。
by 今野祥山 (2012-12-15 11:32)
こんばんは。
わたしのそのままがどんななのか、とにかくわかってほしい、
ずっとそんな思いでいます。
治そうということをもうやめ、同じ症状の人の理解者になり、
ありのままを社会全体で受け止めてもらえるように、出会った
ひとりひとりに働きかけています。
そこで見えてきたのは、「普通」や「標準」の幅の狭さでした。
人は皆、自分が基準であるべきだと思います。日本で統一された
何か人間の基準があるのだとすれば、全国民の人数分の基準を
集めたものでなくてはならないはずです。
無理やり狭い基準に押し込められた反発が、現代の心の病を
作り出しているのではないかと考えています。
by あい。 (2012-12-16 02:58)
今野祥山さんへ
いつもお読み頂きありがとうございます。
また京都にも伺えればと思います。
これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2012-12-17 08:12)
あいさんへ
コメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2012-12-17 08:13)