松尾スズキ「ふくすけ」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診ですが、
産業医の研修に出掛けます。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
松尾スズキが1991年に「悪人会議」として、
下北沢のスズナリで上演し、
1998年には「日本総合悲劇協会」として、
今度は三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで再演された、
彼の代表作の1つが、
渋谷のシアターコクーンで、
装いも新たに再演されています。
僕はこの作品は、
初演は未見で、
98年の再演は観ていますが、
大人計画が上昇気流に乗っている時期の公演としては、
やや期待外れの出来でした。
原因は色々ありますが、
非常に緻密で、
めまぐるしく情景が変わる戯曲の世界が、
中途半端に広い世田谷パブリックシアターの舞台では、
かなりスカスカで水増しされて感じられたことと、
キャストに松尾戯曲には不慣れなメンバーがいて、
群衆に演劇ゼミの学生を使うなど、
演技レベルが戯曲の本来の水準に、
達していなかったことが、
主な原因と思われます。
松尾スズキの演出も、
それまでの意図的な見世物小屋的悪趣味さを、
より心理劇的なウェルメイドなものに、
変えつつある時期で、
本来はもっと扇情的で退廃的でグロテスクであるべき原作が、
中途半端に毒を抜かれて演出されている、
という感じがありました。
そんな訳で、
僕はあまり今回の上演には期待はしていませんでした。
シアターコクーンへの松尾スズキの初登場は、
2000年の「キレイ」です。
これは本当に素晴らしい舞台で、
それまでの松尾スズキの総決算的な作品であると共に、
松尾戯曲が初めて、
高いレベルで演出された作品でもありました。
その後、
「キレイ」の再演を含めて、
松尾作品は何度かコクーンで上演されましたが、
「キレイ」を超える舞台成果はありませんでした。
足元にも及ばない、と言った方が正確かも知れません。
しかし、
今回の「ふくすけ」の再演は、
色々な意味でかなり頑張っていて、
最近の松尾スズキ作・演出の舞台としては、
文句なく最良の出来でしたし、
1998年の再演を遥かに凌ぐ舞台成果だったと思います。
以下、ネタバレがあります。
物語は複雑な群像劇で、
簡単に説明をすることは難しいのですが、
バットマンの出て来ない、
バットマンの映画の、
ゴッサムシティの群像劇みたいな話です。
主軸になるのは、
2組の夫婦で、
エスダヒデイチとその妻のマスと、
コオロギという名の男と、
その妻のサカエです。
北九州の田舎でメッキ工場を営む、
冴えない中年男のヒデイチは、
吃音のために幼少期から12人の同級生にいじめられ、
その妻のマスは、
ミスミ製薬の薬害のために、
ヒデイチとの子供を、
重度の障害児として出産すると狂気に陥り、
欝状態となると、
夫を昔いじめた12人の同級生と、
毎年代わりばんこにセックスをして、
生まれた12人の子供を殺して土に埋め、
躁転して失踪します。
病院の警備員をしている、
おそらくは出生に謎のあるコオロギは、
刹那的で暴力的な男で、
その妻のサカエは盲目の捨て子で、
コオロギに純愛を捧げていますが、
コオロギはその愛に、
暴力と裏切りで報いることしかせず、
それでいてサカエには、
自分への「盲目的」な愛情を求めています。
失踪したマスは、
東京の歌舞伎町で、
その町の暗部を牛耳る、
性倒錯の三姉妹に取り入り、
「輪廻転生プレイ」という、
新しい性風俗を考案して、
莫大な富を得ます。
マスを探して東京に出た夫のヒデイチは、
得体の知れないジャーナリストと、
自傷を繰り返す風俗嬢の少女と共に、
マスを探し続けます。
同じ東京では、
薬害のミスミ製薬の御曹司の男爵が、
薬害による重度の障害児を、
死産と偽って自邸の地下室に、
閉じ込めて愛玩していたことが発覚し、
その障害児の1人である異相の「ふくすけ」が、
コオロギの勤める病院に運ばれます。
コオロギは、
ふくすけが精神的な障害を詐病していることを見抜き、
病院からふくすけを誘拐すると、
最初は見世物小屋で芸人として働かせますが、
コオロギからふくすけとの仲を疑われて、
狂気に陥ったサカエが、
神の言葉を話し出すので、
ふくすけを教祖とした、
新興宗教を興して成功させ、
その宗教が、
不浄なものとして、
歌舞伎町の三姉妹と敵対するところから、
2組の夫婦とそれを取り巻く2つの集団は、
否応なく対立することになり、
そして松尾戯曲でも屈指の、
スケールの大きなクライマックスを迎えるのです。
作品のテーマは「人生のリセット」です。
この作品の登場人物の殆どは、
自分の生き様に不満を持ち、
自分が不幸で満たされないことの責任を、
自分の出自や自分の容姿、
身体や精神の障害、
家庭環境や性格などのせいにして、
それが無になるような、
人生のリセットを求めています。
ダークヒロインのマスは、
毎年夫をかつていじめた男と寝て、
生まれた子供を殺すことで、
人生のリセットを図り、
それでも満たされないと、
躁転して自分自身から逃走します。
盲目のサカエは、
コオロギへの純愛の成立が危うくなると、
狂気の世界でリセットして、
神がかりになります。
しかし、それでも現実は彼女達の逃避を許さず、
マスもサカエも再び元の自分に戻り、
最後にマスは自分の息子であったふくすけと寝て、
その最中に不発弾で吹き飛び、
サカエは自分とふくすけとの情事を告白して、
コオロギに殺されます。
この作品の天才的な点は、
その2人の悲劇的な死を、
同時に描き、
かつ、イメージの中でのマス一家の幸福な生活と、
コオロギによるサカエ殺しを、
死後の2人が殺しの光景の8ミリフィルムを、
幸福そうに並んで見ている、
という静謐で感動的な情景に昇華させていることです。
ラストの落ちとして、
マスの夫のヒデイチが、
自分をかつていじめた12人の同級生を呼んで、
毒殺するというカタストロフがあり、
僕は前回の上演時にはその意味がピンと来なかったのですが、
今回再見して、
これは要するにヒデイチの人生最初のリセットだったのだ、
と思い至りました。
このように、
この作品は、
表面的な悪趣味さと扇情的な印象とは裏腹に、
際めて緻密かつ繊細に出来ています。
ラストにチェホフが引用され、
歌舞伎町の倒錯3人姉妹が、
多くの部分でチェホフを下敷きにしていたり、
埋められる子供は、
サム・シェパードだったりと、
過去の演劇作品からの引用も多彩です。
今回の上演の成功は、
まずはキャストの充実で、
端役には関係の深い「はえぎわ」のメンバーを配して、
小さな役も、
非常に密度が高く、
適度に過剰で猥雑で、
エロスのパートは「毛皮族」の面々を配するなど、
小劇場的には、
非常に豪華で充実した布陣です。
メインのキャストも、
スエに大竹しのぶで、
サカエに平岩紙ですから申し分はなく、
コオロギのオクイシュージはやや弱いのですが、
この役は前回まで松尾自身が演じていて、
それはそれで悪くなかったのですが、
どうしても遊んでしまうので、
今回の変更は理解出来ますし、
よりコオロギ夫婦の悲劇は、
今回陰影が深まったと思います。
ヒデイチの古田新太は意外な感じで、
ちょっと違和感はありましたが、
悪くはありませんでした。
薄幸のホテトル嬢の多部未華子というのも、
ちょっと勿体ないくらいの豪華さで、
僕は舞台の彼女は抜群に素敵だと思いますが、
今回も見事な艶姿を見せてくれました。
演出は基本的に「キレイ」と同じ路線で、
一時より過激のツボも押さえていて、
好ましく感じましたし、
クライマックスは真の意味で、
アングラ的感動がありました。
悪趣味でグロテスクな芝居ですから、
全ての方にお勧め出来るものではありませんが、
最近の松尾スズキはちょっとなあ…
という向きには、
絶対のお勧め品です。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診ですが、
産業医の研修に出掛けます。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
松尾スズキが1991年に「悪人会議」として、
下北沢のスズナリで上演し、
1998年には「日本総合悲劇協会」として、
今度は三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで再演された、
彼の代表作の1つが、
渋谷のシアターコクーンで、
装いも新たに再演されています。
僕はこの作品は、
初演は未見で、
98年の再演は観ていますが、
大人計画が上昇気流に乗っている時期の公演としては、
やや期待外れの出来でした。
原因は色々ありますが、
非常に緻密で、
めまぐるしく情景が変わる戯曲の世界が、
中途半端に広い世田谷パブリックシアターの舞台では、
かなりスカスカで水増しされて感じられたことと、
キャストに松尾戯曲には不慣れなメンバーがいて、
群衆に演劇ゼミの学生を使うなど、
演技レベルが戯曲の本来の水準に、
達していなかったことが、
主な原因と思われます。
松尾スズキの演出も、
それまでの意図的な見世物小屋的悪趣味さを、
より心理劇的なウェルメイドなものに、
変えつつある時期で、
本来はもっと扇情的で退廃的でグロテスクであるべき原作が、
中途半端に毒を抜かれて演出されている、
という感じがありました。
そんな訳で、
僕はあまり今回の上演には期待はしていませんでした。
シアターコクーンへの松尾スズキの初登場は、
2000年の「キレイ」です。
これは本当に素晴らしい舞台で、
それまでの松尾スズキの総決算的な作品であると共に、
松尾戯曲が初めて、
高いレベルで演出された作品でもありました。
その後、
「キレイ」の再演を含めて、
松尾作品は何度かコクーンで上演されましたが、
「キレイ」を超える舞台成果はありませんでした。
足元にも及ばない、と言った方が正確かも知れません。
しかし、
今回の「ふくすけ」の再演は、
色々な意味でかなり頑張っていて、
最近の松尾スズキ作・演出の舞台としては、
文句なく最良の出来でしたし、
1998年の再演を遥かに凌ぐ舞台成果だったと思います。
以下、ネタバレがあります。
物語は複雑な群像劇で、
簡単に説明をすることは難しいのですが、
バットマンの出て来ない、
バットマンの映画の、
ゴッサムシティの群像劇みたいな話です。
主軸になるのは、
2組の夫婦で、
エスダヒデイチとその妻のマスと、
コオロギという名の男と、
その妻のサカエです。
北九州の田舎でメッキ工場を営む、
冴えない中年男のヒデイチは、
吃音のために幼少期から12人の同級生にいじめられ、
その妻のマスは、
ミスミ製薬の薬害のために、
ヒデイチとの子供を、
重度の障害児として出産すると狂気に陥り、
欝状態となると、
夫を昔いじめた12人の同級生と、
毎年代わりばんこにセックスをして、
生まれた12人の子供を殺して土に埋め、
躁転して失踪します。
病院の警備員をしている、
おそらくは出生に謎のあるコオロギは、
刹那的で暴力的な男で、
その妻のサカエは盲目の捨て子で、
コオロギに純愛を捧げていますが、
コオロギはその愛に、
暴力と裏切りで報いることしかせず、
それでいてサカエには、
自分への「盲目的」な愛情を求めています。
失踪したマスは、
東京の歌舞伎町で、
その町の暗部を牛耳る、
性倒錯の三姉妹に取り入り、
「輪廻転生プレイ」という、
新しい性風俗を考案して、
莫大な富を得ます。
マスを探して東京に出た夫のヒデイチは、
得体の知れないジャーナリストと、
自傷を繰り返す風俗嬢の少女と共に、
マスを探し続けます。
同じ東京では、
薬害のミスミ製薬の御曹司の男爵が、
薬害による重度の障害児を、
死産と偽って自邸の地下室に、
閉じ込めて愛玩していたことが発覚し、
その障害児の1人である異相の「ふくすけ」が、
コオロギの勤める病院に運ばれます。
コオロギは、
ふくすけが精神的な障害を詐病していることを見抜き、
病院からふくすけを誘拐すると、
最初は見世物小屋で芸人として働かせますが、
コオロギからふくすけとの仲を疑われて、
狂気に陥ったサカエが、
神の言葉を話し出すので、
ふくすけを教祖とした、
新興宗教を興して成功させ、
その宗教が、
不浄なものとして、
歌舞伎町の三姉妹と敵対するところから、
2組の夫婦とそれを取り巻く2つの集団は、
否応なく対立することになり、
そして松尾戯曲でも屈指の、
スケールの大きなクライマックスを迎えるのです。
作品のテーマは「人生のリセット」です。
この作品の登場人物の殆どは、
自分の生き様に不満を持ち、
自分が不幸で満たされないことの責任を、
自分の出自や自分の容姿、
身体や精神の障害、
家庭環境や性格などのせいにして、
それが無になるような、
人生のリセットを求めています。
ダークヒロインのマスは、
毎年夫をかつていじめた男と寝て、
生まれた子供を殺すことで、
人生のリセットを図り、
それでも満たされないと、
躁転して自分自身から逃走します。
盲目のサカエは、
コオロギへの純愛の成立が危うくなると、
狂気の世界でリセットして、
神がかりになります。
しかし、それでも現実は彼女達の逃避を許さず、
マスもサカエも再び元の自分に戻り、
最後にマスは自分の息子であったふくすけと寝て、
その最中に不発弾で吹き飛び、
サカエは自分とふくすけとの情事を告白して、
コオロギに殺されます。
この作品の天才的な点は、
その2人の悲劇的な死を、
同時に描き、
かつ、イメージの中でのマス一家の幸福な生活と、
コオロギによるサカエ殺しを、
死後の2人が殺しの光景の8ミリフィルムを、
幸福そうに並んで見ている、
という静謐で感動的な情景に昇華させていることです。
ラストの落ちとして、
マスの夫のヒデイチが、
自分をかつていじめた12人の同級生を呼んで、
毒殺するというカタストロフがあり、
僕は前回の上演時にはその意味がピンと来なかったのですが、
今回再見して、
これは要するにヒデイチの人生最初のリセットだったのだ、
と思い至りました。
このように、
この作品は、
表面的な悪趣味さと扇情的な印象とは裏腹に、
際めて緻密かつ繊細に出来ています。
ラストにチェホフが引用され、
歌舞伎町の倒錯3人姉妹が、
多くの部分でチェホフを下敷きにしていたり、
埋められる子供は、
サム・シェパードだったりと、
過去の演劇作品からの引用も多彩です。
今回の上演の成功は、
まずはキャストの充実で、
端役には関係の深い「はえぎわ」のメンバーを配して、
小さな役も、
非常に密度が高く、
適度に過剰で猥雑で、
エロスのパートは「毛皮族」の面々を配するなど、
小劇場的には、
非常に豪華で充実した布陣です。
メインのキャストも、
スエに大竹しのぶで、
サカエに平岩紙ですから申し分はなく、
コオロギのオクイシュージはやや弱いのですが、
この役は前回まで松尾自身が演じていて、
それはそれで悪くなかったのですが、
どうしても遊んでしまうので、
今回の変更は理解出来ますし、
よりコオロギ夫婦の悲劇は、
今回陰影が深まったと思います。
ヒデイチの古田新太は意外な感じで、
ちょっと違和感はありましたが、
悪くはありませんでした。
薄幸のホテトル嬢の多部未華子というのも、
ちょっと勿体ないくらいの豪華さで、
僕は舞台の彼女は抜群に素敵だと思いますが、
今回も見事な艶姿を見せてくれました。
演出は基本的に「キレイ」と同じ路線で、
一時より過激のツボも押さえていて、
好ましく感じましたし、
クライマックスは真の意味で、
アングラ的感動がありました。
悪趣味でグロテスクな芝居ですから、
全ての方にお勧め出来るものではありませんが、
最近の松尾スズキはちょっとなあ…
という向きには、
絶対のお勧め品です。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2012-08-26 11:35
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コメント(2)
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私、演劇の世界は白です。
そこで、先生に凄い質問です。(笑´∀`)
今、この記事を読んでいて、この作品にとっても興味をもってしまいました。演劇ではなく、話の内容をもっと知りたい味わってみたいと思っちゃったのです。
原作の小説のようなものってありますか?(自分で調べるべきですね)失礼しました。
でも、舞台じゃなければ意味のない作品なのでしょうか?
レベル低くってすみませーん^^; お許しを・・・
おっと、時間・・・
「さあ、出番だ!!頑張るぞー」 では^^v
by yuuri37 (2012-08-27 10:22)
yuuri37 さんへ
コメントありがとうございます。
小説版はないと思いますが、
戯曲は刊行されて読むことは可能だと思います。
by fujiki (2012-08-27 22:41)