クリスティーネ・シェーファーの世界 [コロラトゥーラ]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は診療は通常通りですが、
土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
ドイツのソプラノ、クリスティーナ・シェーファーが、
8年ぶりに来日して、
日本でリート(ドイツ歌曲)のリサイタルを行ないました。
シェーファーは非常に知的なソプラノで、
コロラトゥーラも得意です。
何度か来日はしていますが、
僕の知る限りは、
オペラでの来日はなく、
いつもリートのリサイタルだったと思います。
最近僕はドイツのコロラトゥーラが好きで、
ドイツ歌曲も好きです。
同じ装飾歌唱でも、
イタリアとフランスとドイツでは、
まるで味わいが違います。
どちらが良いと一概には言えませんが、
たとえばモーツァルトがドイツ語で書いた、
「魔笛」の夜の女王のアリアは、
矢張りドイツ的に歌わないと冴えた感じになりません。
イタリア的に歌うと、
何か能天気な歌になります。
そして、
シュトラウスのアリアは、
ゲルマンの血で歌わないと、
まるで駄目で本物にはなりません。
ドイツのソプラノは、
概ねあまり日本には来てくれません。
特にオペラに関しては、
歌劇場の引っ越し公演のようなもの以外では、
どうしてかは分かりませんが、
殆ど来日はしてくれないのが実状です。
シェーファーもマリス・ペーターゼンも、
ドロテア・レッシュマンも、
あまり来てはくれませんし、
ディアナ・ダムラウはメトロポリタンで昨年来日しましたが、
次はいつになるやら分かりません。
若手のモイツァ・エルトマンも素敵でしたが、
もう少し売れれば来なくなりそうです。
シェーファーはリートも定評がありますが、
オペラの舞台も多くこなしていて、
ベルクの「ルル」のように、
極め付けの役柄も幾つかあります。
「リゴレット」のジルダなども歌っていますが、
これはあまり似合っている感じではありませんでした。
是非日本でも聴きたいなあ、
とは思いますが、
おそらく無理だと思います。
前回の8年前はデセイ様と同じ年に来日したのですが、
うっかり聴き逃したので、
今回のリサイタルは本当に楽しみにしていました。
実際に舞台姿を拝見すると、
映像で見るイメージよりは、
結構お太りになって、いかつい感じになっていて、
お年も大分召してはいるのですが、
かつてのシャープな感じを期待していると、
やや裏切られた気分になります。
でも、クール・ビューティーの面影は残っています。
衣装がまた、
上が黒いタンクトップみたいになっていて、
下はバレリーナみたいなスカートなのですが、
上半身がパツパツで、
ええっ、どうしてこんな衣装のセレクションなんだろう、
もっと似合う物を着ればいいのに、
と知的なソプラノなのに、
その知性は衣装センスには及ばないのね、
とやや悲しい気分になります。
ただ、歌は本物でした。
前半はモーツァルトから始まって、
その後がウェーべルンとベルクという、
現代に近い歌曲になり、
それから休憩後の後半は、
オール・シューベルト・プログラムで、
アンコールは3曲ありましたが、
最初がシューベルトで、
残りの2曲はシュトラウスです。
非常に硬質の声で、
それでいて微妙なニュアンスを、
繊細に奏でて行きます。
あまり無理な発声はしないのですが、
音域も高低とも安定していますし、
ピアニシモも綺麗です。
変に感情を前面に出さないのが、
如何にもドイツという感じです。
伴奏のピアニストがまた滅法上手くて、
シェーファーの声の世界を見事に盛り立てます。
モーツァルトとシューベルトの唯一の有名曲であった、
「アヴェ・マリア」は、
意外に凡庸な気がして、おや、と思いましたが、
後は文句なく超一流の歌唱でした。
最後のシュトラウスがまた素晴らしくて、
コロラトゥーラソプラノがよく歌う「アモーレ」を披露したのですが、
これは絶品で、
彼女のツェルビネッタが聴きたくなりました。
僕はシュトラウスのコロラトゥーラアリアが、
これまで誰の歌を聴いても、
どうも本物という感じがしなかったのです。
今回初めてシェーファーの歌を聴いて、
ああ、これはこういうものなのだ、
と得心した思いがしました。
シュトラウスのアリアは、
宝石箱の中から、
珠玉の宝石が、
ポロポロと零れ落ちるような感覚のもので、
その転がり落ちる宝石の耀きが、
コロラトゥーラで表現されているのですが、
本筋は宝石箱そのものにあり、
堅牢で中に耀きを湛えた、
その宝石箱を表現出来るかどうかが重要なのです。
凡百の歌手であると、
零れ落ちる宝石を歌うことで手一杯になるのですが、
シェーファーの歌は、
美しいパッセージで技巧的な旋律を紡ぎながら、
その背後にある宝石箱自体、
要するにそれは歌手そのものの存在感、
ということになるのですが、
それがしっかりと感じられるという点で、
シュトラウスの本質を、
見事に体現していたのです。
ご本人も今回はまずまずご機嫌のご様子でしたから、
次回はそれほどの間隔はなく、
来日してくれることを期待したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は診療は通常通りですが、
土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
ドイツのソプラノ、クリスティーナ・シェーファーが、
8年ぶりに来日して、
日本でリート(ドイツ歌曲)のリサイタルを行ないました。
シェーファーは非常に知的なソプラノで、
コロラトゥーラも得意です。
何度か来日はしていますが、
僕の知る限りは、
オペラでの来日はなく、
いつもリートのリサイタルだったと思います。
最近僕はドイツのコロラトゥーラが好きで、
ドイツ歌曲も好きです。
同じ装飾歌唱でも、
イタリアとフランスとドイツでは、
まるで味わいが違います。
どちらが良いと一概には言えませんが、
たとえばモーツァルトがドイツ語で書いた、
「魔笛」の夜の女王のアリアは、
矢張りドイツ的に歌わないと冴えた感じになりません。
イタリア的に歌うと、
何か能天気な歌になります。
そして、
シュトラウスのアリアは、
ゲルマンの血で歌わないと、
まるで駄目で本物にはなりません。
ドイツのソプラノは、
概ねあまり日本には来てくれません。
特にオペラに関しては、
歌劇場の引っ越し公演のようなもの以外では、
どうしてかは分かりませんが、
殆ど来日はしてくれないのが実状です。
シェーファーもマリス・ペーターゼンも、
ドロテア・レッシュマンも、
あまり来てはくれませんし、
ディアナ・ダムラウはメトロポリタンで昨年来日しましたが、
次はいつになるやら分かりません。
若手のモイツァ・エルトマンも素敵でしたが、
もう少し売れれば来なくなりそうです。
シェーファーはリートも定評がありますが、
オペラの舞台も多くこなしていて、
ベルクの「ルル」のように、
極め付けの役柄も幾つかあります。
「リゴレット」のジルダなども歌っていますが、
これはあまり似合っている感じではありませんでした。
是非日本でも聴きたいなあ、
とは思いますが、
おそらく無理だと思います。
前回の8年前はデセイ様と同じ年に来日したのですが、
うっかり聴き逃したので、
今回のリサイタルは本当に楽しみにしていました。
実際に舞台姿を拝見すると、
映像で見るイメージよりは、
結構お太りになって、いかつい感じになっていて、
お年も大分召してはいるのですが、
かつてのシャープな感じを期待していると、
やや裏切られた気分になります。
でも、クール・ビューティーの面影は残っています。
衣装がまた、
上が黒いタンクトップみたいになっていて、
下はバレリーナみたいなスカートなのですが、
上半身がパツパツで、
ええっ、どうしてこんな衣装のセレクションなんだろう、
もっと似合う物を着ればいいのに、
と知的なソプラノなのに、
その知性は衣装センスには及ばないのね、
とやや悲しい気分になります。
ただ、歌は本物でした。
前半はモーツァルトから始まって、
その後がウェーべルンとベルクという、
現代に近い歌曲になり、
それから休憩後の後半は、
オール・シューベルト・プログラムで、
アンコールは3曲ありましたが、
最初がシューベルトで、
残りの2曲はシュトラウスです。
非常に硬質の声で、
それでいて微妙なニュアンスを、
繊細に奏でて行きます。
あまり無理な発声はしないのですが、
音域も高低とも安定していますし、
ピアニシモも綺麗です。
変に感情を前面に出さないのが、
如何にもドイツという感じです。
伴奏のピアニストがまた滅法上手くて、
シェーファーの声の世界を見事に盛り立てます。
モーツァルトとシューベルトの唯一の有名曲であった、
「アヴェ・マリア」は、
意外に凡庸な気がして、おや、と思いましたが、
後は文句なく超一流の歌唱でした。
最後のシュトラウスがまた素晴らしくて、
コロラトゥーラソプラノがよく歌う「アモーレ」を披露したのですが、
これは絶品で、
彼女のツェルビネッタが聴きたくなりました。
僕はシュトラウスのコロラトゥーラアリアが、
これまで誰の歌を聴いても、
どうも本物という感じがしなかったのです。
今回初めてシェーファーの歌を聴いて、
ああ、これはこういうものなのだ、
と得心した思いがしました。
シュトラウスのアリアは、
宝石箱の中から、
珠玉の宝石が、
ポロポロと零れ落ちるような感覚のもので、
その転がり落ちる宝石の耀きが、
コロラトゥーラで表現されているのですが、
本筋は宝石箱そのものにあり、
堅牢で中に耀きを湛えた、
その宝石箱を表現出来るかどうかが重要なのです。
凡百の歌手であると、
零れ落ちる宝石を歌うことで手一杯になるのですが、
シェーファーの歌は、
美しいパッセージで技巧的な旋律を紡ぎながら、
その背後にある宝石箱自体、
要するにそれは歌手そのものの存在感、
ということになるのですが、
それがしっかりと感じられるという点で、
シュトラウスの本質を、
見事に体現していたのです。
ご本人も今回はまずまずご機嫌のご様子でしたから、
次回はそれほどの間隔はなく、
来日してくれることを期待したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2012-07-07 08:01
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コメント(5)
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クリスティーナ・シェーファーはこちらのブログで知りました。
エリザベート・シュバルツコプフのようなイメージなのでしょうか。
by 青竹 (2012-07-07 13:57)
青竹さんへ
コメントありがとうございます。
知的な解釈は似たところがありますが、
元帥夫人を歌うようなタイプではなく、
矢張り「ルル」がピッタリ、
という感じです。
by fujiki (2012-07-08 07:16)
fujiki様
アンコールの順序を拝見致しますと、fujiki様は王子ホールにて絶品のご鑑賞経験をなさられたのですね。私は、東京文化会館へ行って参りましたが、彼女の声量に関して知識があれば間違いなく前者を選びました。が、勢い良く完売しました演奏会だったと思います。
私も、アンコールで披露されたR.シュトラウスのアモールに感動しました。これに関しては、歌い方や発声に変化をつけるべきと彼女が感じたのか、感情が篭ったのか、慣れたレパートリーだったのか随分声が前に突き出してくる声の圧力を感じました。
語るようなウェーベルンの詩とアモールのギャップについてしか主に学べませんでしたが、非常に私自身鍛えられた一夜となりました。初めて、声楽は難しく奥が深いと感じました。明るいイタリア・オペラに甘やかされ、勉強不足が祟ったのだと思います。
アヴェ・マリアは、私たち日本人が良く知っている作品だった為、東京文化会館の空気が「シン」としました。じっと黙って聴いています、と言う空気が彼女に伝わり、何か科学的なことが起きた結果、私もあら?と正直思いました。緊張って、プロにもあるのかもしれません。
by michelangelo (2012-07-23 23:59)
michelangelo さんへ
コメントありがとうございます。
シェーファー良かったですよね。
オペラでも是非来日して欲しいな、
と思います。
東京文化会館はあの内容には大き過ぎますね。
by fujiki (2012-07-24 09:04)
シェーファー出演の『ばらの騎士』をサンフランシスコのオペラハウスで観ることが出来ました...
http://archive.sfopera.com/reports/rptOpera-id337.pdf
by サンフランシスコ人 (2016-01-29 07:32)