頭塔 [仏像]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日まで診療所は休診です。
色々とやることがあるので、
今日は朝から事務作業の予定です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
奈良市内にある、
非常に風変わりな史跡「頭塔(ずとう)」を拝観して来ました。
これは方形7段の土の塔で、
その1辺は32メートルあり、
高さは10メートルになります。
ピラミッドのようにも見えますね。
奈良時代の僧侶の頭を埋めたとの伝説から、
頭塔と呼ばれましたが、
実際には仏舎利を納める仏塔の特殊な様式のようです。
ただ、いずれにしても、
現存するこうした史跡の中では、
類例のないものであることは確かです。
こちらをご覧下さい。
頭塔の全景です。
どのような角度から写真を撮っても、
それほど変わりがありません。
面白い形状ですよね。
ただ、部分的に瓦が付いていますが、
これは後から付けられたもので、
一種の雨避けです。
当初も屋根のようなものが付いていた可能性はありますが、
その形状ははっきりしません。
部分的な屋根の下には、
規則的な配列の元に、
石仏が安置されています。
発掘調査の結果、
28基の石仏が確認されていて、
当初は44基の石仏があったと、
推測されています。
失われた石仏のうちの一基は、
郡山城の石垣の石に転用されていたことが、
後に判明しています。
ある種の魔除けでしょうか?
非常に奇妙なことに、
こうした転用が、
かつては行なわれていたようです。
こちらをご覧下さい。
これは頂上にある五輪塔を見上げたものです。
それでは次を。
これは頭塔の東側で、
画像の左側にはこんもりとした樹木が見えますが、
そちらはまだ手付かずの森になっています。
土の中から、
何基かの石仏が覗いている状態です。
赤い矢印の先に、
石仏が見えます。
それでは次を。
赤い矢印の部分を拡大すると、
このようになります。
如来の3尊が刻まれています。
如来様、
ぶしつけにカメラなど向ける失礼をお許し下さい。
これは奈良後期の時代に刻まれたことが、
ほぼ明確に分かっていて、
時代の確定した、
これだけ古い石仏というのは、
実際には殆ど現存していないので、
その意味で非常に貴重なものです。
この石仏単独で、
重要文化財に指定されています。
奈良時代の石仏とは、
このようなものかとその描線を辿ると、
ちょっと神秘的なものすら感じます。
以前芳山の石仏をご紹介しましたが、
その描線は頭塔の石仏に近いもので、
矢張りかなり時代の古いものだと、
今回そんなことも感じました。
今日は奈良市内の特徴的な史跡を見て頂きました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日まで診療所は休診です。
色々とやることがあるので、
今日は朝から事務作業の予定です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
奈良市内にある、
非常に風変わりな史跡「頭塔(ずとう)」を拝観して来ました。
これは方形7段の土の塔で、
その1辺は32メートルあり、
高さは10メートルになります。
ピラミッドのようにも見えますね。
奈良時代の僧侶の頭を埋めたとの伝説から、
頭塔と呼ばれましたが、
実際には仏舎利を納める仏塔の特殊な様式のようです。
ただ、いずれにしても、
現存するこうした史跡の中では、
類例のないものであることは確かです。
こちらをご覧下さい。
頭塔の全景です。
どのような角度から写真を撮っても、
それほど変わりがありません。
面白い形状ですよね。
ただ、部分的に瓦が付いていますが、
これは後から付けられたもので、
一種の雨避けです。
当初も屋根のようなものが付いていた可能性はありますが、
その形状ははっきりしません。
部分的な屋根の下には、
規則的な配列の元に、
石仏が安置されています。
発掘調査の結果、
28基の石仏が確認されていて、
当初は44基の石仏があったと、
推測されています。
失われた石仏のうちの一基は、
郡山城の石垣の石に転用されていたことが、
後に判明しています。
ある種の魔除けでしょうか?
非常に奇妙なことに、
こうした転用が、
かつては行なわれていたようです。
こちらをご覧下さい。
これは頂上にある五輪塔を見上げたものです。
それでは次を。
これは頭塔の東側で、
画像の左側にはこんもりとした樹木が見えますが、
そちらはまだ手付かずの森になっています。
土の中から、
何基かの石仏が覗いている状態です。
赤い矢印の先に、
石仏が見えます。
それでは次を。
赤い矢印の部分を拡大すると、
このようになります。
如来の3尊が刻まれています。
如来様、
ぶしつけにカメラなど向ける失礼をお許し下さい。
これは奈良後期の時代に刻まれたことが、
ほぼ明確に分かっていて、
時代の確定した、
これだけ古い石仏というのは、
実際には殆ど現存していないので、
その意味で非常に貴重なものです。
この石仏単独で、
重要文化財に指定されています。
奈良時代の石仏とは、
このようなものかとその描線を辿ると、
ちょっと神秘的なものすら感じます。
以前芳山の石仏をご紹介しましたが、
その描線は頭塔の石仏に近いもので、
矢張りかなり時代の古いものだと、
今回そんなことも感じました。
今日は奈良市内の特徴的な史跡を見て頂きました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2012-05-06 08:07
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コメント(4)
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奈良市へお越しでしたか。我が町へようこそでした(^-^)/
頭塔、とてもユニークですよね。
もっと知られても良い史跡ですが、
地元でもあまり知名度がないのが残念です。
by マチャ (2012-05-06 09:50)
マチャさんへ
コメントありがとうございます。
かなりの人混みでしたが、
興福寺の北円堂も初回で非常に良かったです。
ただ、興福寺は薬師寺みたいになるのかな、
と思うとちょっと憂鬱です。
寂れた美というものもある筈で、
妙に真新しいお堂を建てまくるのは、
仏教寺院として興隆しているのなら別ですが、
観光施設としては、
もっと別の方向性を考えた方が良いのではないか、
と思います。
北円堂も、
昔の周辺が林だった方が、
趣があって良かったですね。
回廊なんて造らないで欲しいな、
と思います。
救世観音も、
以前厨子からお出になった時には参拝しましたが、
厨子が開いたのを参拝したのも初めてでした。
吉野の蔵王権現様も拝観しました。
by fujiki (2012-05-06 16:39)
上空からの写真を一度みた事がありましたが、「頭塔」(・・?)
日本版ピラミッドかあ。ぐらいの認識でしかなく、お恥ずかしい話ですが、そこに石仏が安置されていることも知りませんでした。
こんな感じだったんですね。いつかみて見たいなあ・・・
これはなかなか・・・素敵な如来様
最近、日々の生活に流されて、大好きな仏像様にお会いしてないなあ。。。あ~ダメダメ、ジーンときちゃった(涙)
by yuuri37 (2012-05-07 23:54)
yuuri37 さんへ
コメントありがとうございます。
こじんまりとした史跡なので、
期待し過ぎるとガッカリしますが、
一見の価値はあると思います。
by fujiki (2012-05-08 06:33)