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故郷に向かって逃げるということ [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で、
診療所は休診ですが、
健康スポーツ医の講習会というものが、
埼玉であるので、
今からそこに出掛けます。
朝の9時から午後5時過ぎまでです。

申し込んでしまってから、
しんどいなあ、と思うのですが、
仕方がありません。

今日は雑談的な話です。

最初に誤解のないように言いますと、
僕はカダフィ大佐という人について、
あまり知識がありませんし、
どれだけの人をどのように苦しめ、
どのような悪行をしていたのか、
そうしたことも正確には分かりません。

従って、これから書くことは、
その悪行を知る人やその被害を受けた人にとって、
非常に失礼なことであるのかも知れません。
僕はあくまで断片的な報道や、
そしてショッキングな映像を見て、
その時に感じたことを、
率直にお話ししたいだけです。
もしご不快に思われる方がいらっしゃいましたら、
お申し出を頂ければ記事はお詫びの上削除したいと思います。

カダフィ大佐の死の状況というのは二転三転していて、
まだ定かでない部分があるのですが、
大佐の故郷である町で戦闘になり、
脱出しようとしたところで、
それも襲われて、
彼の周囲には殆ど護衛がいなくなり、
下水管の中に逃げ込んだところを、
対立する兵士に見付かり、
そこから護送される途中で、
無名の兵士や群衆の手によって、
殺害された、ということのようです。

その様子を収めたという、
映像が画像サイトなどに公開されていますが、
物凄く悲惨なもので、
何と言うか非常に切ない気分になります。

こういう比較は物凄く失礼なことかも知れませんが、
僕がこのニュースでまず連想したのは、
西郷隆盛の最後です。

西郷隆盛は西南の役で田原坂を撤退以降、
敗走に次ぐ敗走を繰り返し、
遂に故郷の鹿児島まで帰り着き、
桐野利秋らごく少数の部下と共に城山の洞窟に籠り、
そして最後の時を迎えます。

戦争というのは常にそうしたものなのかも知れませんが、
最初は数万規模の大軍勢が、
いつしか敗色濃厚となると、
1人欠け2人欠け、
いつしか数万人は数千人となり数百人になって、
大軍勢の司令官は、
途中まではまだ巻き返しの機会を窺っているのでしょうが、
そのうちに誰がどう考えても、
もう挽回の機会がない、
ということが部下の兵卒1人1人にも染み渡るようになり、
その「死」以外に目的を失った孤独な軍隊が、
必死に何処かを目指して逃げて行きます。

僕が非常に切なく思うのは、
その逃走の目的地が、
常に「故郷」である、ということです。

追う側ももう勝ちが決まってしまえば余裕がありますから、
おそらくは西郷さんの居場所など分かっていて、
それでいて見逃して故郷に帰らせるのだと思うのです。
それは温情ではなく、
その最後を何かに利用してやろうという、
ある種の計算が働くからです。

西郷さんもそんなことは百も承知でありながら、
敵の裏を掻くことなどせず、
ひたすらに故郷を目指します。

それはもう、人間として生まれた動物の、
本能に他ならないのだと思います。

僕は西郷さんが故郷を目指して逃げた時に感じたこと、
その死の数日前に感じたこと、
そして、死の当日、城山から出て見上げた空の色に、
西郷さんが何を見たのかに興味があります。

その死に至る最後の時間こそ、
人間にとって最も充実した時間、
最も人間が生死のくびきから離れ、
純粋で永遠な何かに近付く時間であるように、
僕には思えるからです。

それが体内回帰的な故郷への旅であり、
ある意味引き伸ばされた死に過ぎない、
というところに、
人間という生物の限界とその悲しさがあります。

僕がカダフィ大佐の最後から、
西郷さんのことを思い出したのは、
故郷の地で地下の下水管に逃れ、
そこから出た瞬間に大佐が見た空の色は、
おそらくは西郷さんが最後に見た空の色と、
同質のものではなかったかと、
そのことを感じたからです。

権力者はいつの時代にも、
多くの無垢な民を殺害し、
多くの無垢な民を不幸に陥れるのだと思いますが、
その無垢な民が逆に権力者を惨殺するようなことが続く限り、
無垢な民の不幸もまた、
去ることはないような気がします。

石油利権絡みでリビアに爆弾を落とし、
多くの人殺しをすることに、
日本の政府は早期に賛成したのですが、
震災からほどない時期に、
どうして他国の人殺しに賛成出来たのか、
僕は今でも信じられません。

「カダフィを懲らしめることには賛成だが、
その手段として武力を用いることには反対だ」
とどうして言えなかったのでしょうか?
喪に服したような状態であった日本が、
そう言ったとしても、
それで何か国家としての損失があったり、
非難されたりするとは、
僕には思えません。
そんな寝とぼけたような正論が言えるのは、
あの時の日本人だけではありませんか。

僕はその一事を持ってしても、
顔のない亡霊のような日本の総理大臣や、
オバマさんやサルコジさんやプーチンさんや、
胡さんや金さんよりも、
カダフィ大佐の方が悪党であるとは、
あまり信じることが出来ません。

こうした権力者の保持しているものは、
その上下などない、
同じ「悪」に過ぎないのではないでしょうか。

そしてそれは常に無垢で残酷で身勝手で無責任な、
権力者以外の全ての人間の、
鏡に映った幻に過ぎないのかも知れません。

地下道から引き摺り出された瞬間に、
カダフィ大佐が見た空の色は、
城山の洞窟から、
最後に出陣した西郷さんの見た空と、
同じ色をしていたと僕は思います。

その空を見た権力者が、
仮に殺されることなく許されて、
勿論民衆の監視のもとにですが、
もう一度権力の座に着いたとしたら、
おそらく世界から戦争はなくなり、
無垢の民が苦しむこともなくなるのではないでしょうか?

しかし、現実には、
権力者は無垢の民を許すことなく迫害し、
迫害された民が牙を剥くと、
今度は権力者が無残に殺害され、
そして荒廃した大地には、
ただ人間の血だけが吸い込まれ続けるのかも知れません。

この世界が良くならない1つの大きな理由は、
僕達1人1人が権力者の悪を、
常に憎み続けながら、
ギリギリの最後の瞬間には許す、という、
寛容さを持たないためではないかと、
密かに僕は思うのです。

つまり、常に試されているのは、
誰かに権力という名の「悪のバッチ」を渡されて、
それを付けて力を振りかざし、
時には無残に死んでゆく権力者ではなく、
その犠牲になり時にはそれを断罪する、
僕達の側なのです。

それではそろそろ出掛けます。

皆さんは良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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コメント 17

さりぃ

読んでいて、小田扉さんの漫画「江戸町」の中で、ある国の独裁者が捕まり、一家は息子以外は死刑になったのですが、息子は何故か異国の刑務所で暮らし、住民と仲良く暮らしてる話を思い出しました
慈悲や許しは、当事者だと難しかったりしますが、相手の為でなく、自分の為に必要な行為なんだと思います
そして、マリー・アントワネットやアナスタシアを思い出しました
by さりぃ (2011-10-23 08:52) 

acco

大学時代、何人も死を強要する権利は無いのではないか、
(死刑=国家権力による殺人?)という考えに至って、
死刑廃止論の研究に没頭した時期があるのですが、
逆に、自分の精神のバランスを逸してしまい、
研究はそのまま頓挫してしまいました。

基本的には、殺して良い人間は存在しないと思いますし、
殺す権利のある人間も存在しないと思います。
大きな声では言えませんが・・・。

by acco (2011-10-23 12:38) 

末尾ルコ(アルベール)

わたしもカダフィ大佐の死には他の独裁者などの死や失墜などとは違った印象を受けました。
そしていつもこんなケースに思うのは、「新政権」なるものの中にどれだけ「まっとうな」人間がいるかということです。

                              RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2011-10-23 12:50) 

ダメメン親父

30年ぶりに訪れた熊本で、熊本城を見学したばかりです。

その時に西郷さんのことを久しぶりにじっくり考えてみました。

西郷さんのなくなった年齢とほぼ同じ今の自分と照らしあわせてみると、不思議な親近感が湧いていたのです

ちょうどそんな時に石原先生のブログを読んだのです。

また新たな視点で「カダフィー」「西郷隆盛」、二人を考えてみたいと思いました!

by ダメメン親父 (2011-10-23 17:00) 

midori

カダフィがサハラ砂漠を逃げているらしい。
というニュースを聞いたとき、
なんかあまりにベタで、ホントかよと思わず笑ってしまいました。
そのまま見つからなければ良かったのに。
萩尾望都の『偽王』という短編を思い出しました。
by midori (2011-10-23 20:03) 

人力

ナセルが提唱し、
カダフィーやフセイン、アサドが
そしてイエメンのサーレハが夢見た汎アラブ主義。

高すぎる理想は、墜落を生むのか、
それとも・・・・。

かつての理想主義者達が舞台を去る一方で、
サウジアラビアのスルタン皇太子も病死しました。
アブドラ国王の健康状態も危ぶまれていおり、
中東の政治地図は急速に塗り替えられています

アラブの英雄達の時代は終わりを向かえ、
民主化という名の下に、
世界の潮流の中に飲み込まれてゆくのでしょう。

日本の明治維新と第二次大戦後のあアラブ諸国の状況は
非常に類似点も多く、
それ故にカダフィーを西郷隆盛に例える先生の文章が、
深く胸に染みます。

カダフィは今頃、憧れのナセルと再会しているのでしょうか?
by 人力 (2011-10-23 22:23) 

ごぶりん

死に至る詳細な経緯は明らかにされていない様ですが、
20日のAP通信では生存している写真が公開されていたので、
22日の死亡ではあまりに間がなさすぎで、かなりショックでした。
また、今後の中東情勢も本当に心配です。

記事を拝読するまで、故郷で拘束されたという事に気づきませんでした。
切ない気持になりました。
by ごぶりん (2011-10-24 08:01) 

fujiki

さりぃさんへ
コメントありがとうございます。
勿論当事者でない遠くの安全な場所にいるからこそ、
言える性質のことではあると思います。
ただ、人間は切なく愚かだなあ、
というのは実感として思います。
by fujiki (2011-10-24 08:36) 

fujiki

acco さんへ
コメントありがとうございます。
日本ではまだ死刑があり、
でも最近は実行はされずに、
死刑囚だけが増え、
その一方で無念な思いが晴らせない、
犯罪被害者の方も多く、
長い平和というものの、
負の側面を強く感じます。
by fujiki (2011-10-24 08:40) 

fujiki

RUKO さんへ
コメントありがとうございます。
ヨーロッパの昔の嫌な感じ炸裂、
という事例に思えますが、
こうした権力交代で、
人は変わっても、
「悪」が減ることはない、
という気がします。
by fujiki (2011-10-24 08:42) 

fujiki

ダメメン親父さんへ
コメントありがとうございます。
ちょっと比較は強引で立場も違うのですが、
「敗走する権力者の悲しさ」のようなものは、
一致する面があるのではと思います。
これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2011-10-24 08:44) 

fujiki

midori さんへ
敵対する側では、
どちらかと言えば海外に逃げて欲しかったのではないか、
と思います。
その方が「卑怯な独裁者」という感じがするからで、
それが良く分かっていたので、
最後まで故郷を離れなかったのではないか、
という気もします。
by fujiki (2011-10-24 08:47) 

fujiki

人力さんへ
コメントありがとうございます。
20代で権力を英雄として手中におさめて、
勿論多くの悪事を働いたのでしょうが、
最後はフェアな戦争ではなかったと思いますし、
その中で最後まで、
敵に後ろは見せなかったですよね。
死の寸前まで自分を押し上げてくれた、
かつての民衆に呼び掛け続けた訳ですが、
そうした声が届くことはなかった訳です。
人力さんが言われるように、
矢張り古いタイプの「英雄」ではあった訳で、
こうしたかつてなら「英雄」とされた人格を、
無残に殺害するのが民主主義という怪物なら、
どうもあまり人間は良い進歩をしているとは、
思えないような気がします。
by fujiki (2011-10-24 08:54) 

fujiki

ごぶりんさんへ
コメントありがとうございます。
カダフィ大佐は冷酷な独裁者であったかも知れませんが、
リビアを愛していたことは間違いがなかったのではないか、
とその死の様子を見てもそう思います。
ただ、勿論その愛情は、
西郷さんの愛が薩摩士族にのみ向けられていたように、
近親愛に過ぎないものだったのかも知れません。
by fujiki (2011-10-24 08:57) 

小児科でアスペルガー症候群と診断された当事者

六号通り診療所の石原さまへ

再び、こんにちは。


> その空を見た権力者が、
> 仮に殺されることなく許されて、
> 勿論民衆の監視のもとにですが、
> もう一度権力の座に着いたとしたら、
> おそらく世界から戦争はなくなり、
> 無垢の民が苦しむこともなくなるのではないでしょうか?


そんな単純ではないと思いますが、如何でしょうか?


理由は、日本でも、一度捕まり、審判を受け、刑務所に入り
出所しても、また加害者に成ってしまうタイプの人がいます。

その為、(現実がどうか知りませんが)伝え聞くところでは、
出所者を支援する人が、ボランティアをしている、と聞きます。

しかし、それでも、ボランティアの支援から、離れてしまい、
また犯罪を犯す方も、少数はいるらしい、と聞きます。

そこで、どんな因果で犯罪に走るのか、そこのシステムを把握
しきれていない、社会の曖昧さが、本質、犯罪の引き金に
成っているのではないか、と思いますが、如何でしょうか?

つまり、別の記事(「代理ミュンヒハウゼン症候群」の心理学)
でも、申し上げていますが、
羊の皮をかぶった狼、の様な、
(未診断の)家庭型/職権乱用型、代理ミュンヒハウゼン症候群
という、存在について。

共通する、背景があると思います。

日本だけでなく、世界的に、現実を理解しきれていなくて、
放置されているのではないか?

という、原理(因果)が、解消されない限り、上っ面のごまかしで
被害が続くのではないでしょうか?

比喩で申し上げれば、
加害者側の弁護を、定年(還暦)まで続け、そろそろ弁護士を
引退して、亡き奥様と老後を楽しもうと思っていた矢先に、
奥様を殺された弁護士の方がいらっしゃりますが、
その方が、おっしゃったのが、被害者の権利がない!!
ということ。
そのことを、被害者に成ってみて気がついたらしいです。
そして、それから、被害者の立場で、被害者の権利を得る為、
ボランティア活動を始めた、という経験談を、テレビでも特集
し、放送されていたので、有名な話題かと思います。

被害にあった事が無く、棚ぼたで生かされていた場合、現実を
知らず、知ったかぶりして、都合よく解釈して、良い子(人)
を装って妄想で思考し、その影響で、厳しい人生を歩んでいる
方々へ、どれだけ迷惑をかけていたのか、それを気がつかない。

つまり、
『大我の愛(利他愛)』と、『小我の愛(利己愛、自己愛)』
の違いが、分かっているか?

社会は、人を、教育出来ているか?

また、
『向上心(己の至らなさを素直に認め、反省し、行いを改め、
 償いをしたり、かつ、人様のお役に立てる事を見つけ、努力する)』
と、
『向上欲(欲しい、欲しい、ばかりで、他人を踏み台にしても、
 欲しいものを、手に入れる為に、執着する。)』
の違いが、分かっているか?

社会は、人を、教育出来ているか?


フンベツの無い、者が、権力を得て、知ったかぶりして、暴走する
状態を、誰もそれを止められない!?
現実。

どんな因果、心理がそこにあるのか?

そこを読み解いて、からでなければ、ごまかしに成るのでは?


> 僕が非常に切なく思うのは、
> その逃走の目的地が、
> 常に「故郷」である、ということです。


リンゼイさん、を殺害した者が逃亡したのは、人のいない島。
そこまで、徹底的に逃げ続ける。

何故か、そこが肝だと思いますが。
加害者を知らない土地へ、逃げる過程と、
本人を知っている(理解者がいるだろうと思える)者がいる土地へ、
逃げる過程。


> 権力者はいつの時代にも、
> 多くの無垢な民を殺害し、
> 多くの無垢な民を不幸に陥れるのだと思いますが、
> その無垢な民が逆に権力者を惨殺するようなことが続く限り、
> 無垢な民の不幸もまた、
> 去ることはないような気がします。


上記は、正直、不思議な見解に思えました。


なぜ、百姓一揆があったのか?

そして、現代に戻せば、疑問があるのが、
オウム真理教が、なぜ、長野県松本市で、裁判官の宿舎を
サリンで、襲撃しようと、企てたのか、その因果です。

マスメディアでは、オウム真理教を悪くは言うが、
テロリストの心理、なぜ、どんな因果で、その結末までの計画
があり、行動まで行き着いたのか、分析し、真実を報道しようと
しないのが、疑問なのです。

どんな力が加わっているのか?

長野県元県知事の田中さんが、やってもいないことをねつ造され
悪者にされ、選挙で落選した背景。

やはり、うやむやにされた。

どんな力が加わっているのか?



テロリストが、「アメリカに死を」と度々、叫んでいますが。
何故なのか?

その本質を、報道されない。

11月4日(金)の9時3分から、フジテレビ系列、とくダネ!
の中で、
ニューヨーク支局、で、驚きの仰天ニュースを伝えた。

マイアミ市警察官が、パトカーで暴走行為。
(暴走した警察官は、アルバイトへ遅刻しそうになり、
暴走行為をしたが、それを言い訳をして、弁護を立てて
不当逮捕を、訴えている。)
それを、警察官が逮捕した。

ニューヨーク市警でも、16人が、3年間で、友人や家族の
交通違反を、もみ消し、
公務員職権乱用罪で、逮捕、起訴された。

ところが、ニューヨーク市警が、
同僚を救おうと、
「”もみ消し”は、NY市警察の文化、犯罪ではない」
「”もみ消し”は、エジプト文明時代から行われている事だ」
という、フリップ(プラカード)を持ち、
ニューヨーク市警の職員が、デモを始めた。

さらに、NY市警察労働組合代表は、
「NY市警察が仲間を思い、好意として行ったもみ消しが
 犯罪とされるなんておかしい!!」
と、演説した。

と、放送された。

皆様は、どの様に感じるでしょうか?




肝心な因果を、社会が徹底的に知ろうとしないうちは、
・・・・・
因果を読み解いて、問題が発生しない社会を作る為に、
国民が一致団結して、努力しないうちは、
・・・・・・
ことの問題の本質を解決していくことを望み、因果を学び、
本質的な対策を望み、実践しないと、解決に結びつく事は、
・・・・・・・・
有り得ないのではないでしょうか?


今の社会、何故か、経験と感動の無い者が、妄想で、一方的に、
ねつ造したストーリーを作り上げ、

比喩で言えば、
障害者支援団体と名乗る、組織が、郵便の割引を悪用する為に、
行った犯罪で、加担した、厚生労働省の職員の事案を読み解く時、
検察の一部の職員が、暴走し、周囲もそれを止められなかった、
組織性の因果など、がヒントに成るのではないでしょうか?

年金の無駄遣いがあっても、誰も責任を取らない、償わない
と、マスメディアで、採り上げても、社会が徹底的に、根絶に
向けて、努力しようとするかと思えば、どこか、他人事みたい
で、うやむやのまま。

いま、日本の社会で、ままなっている方々は、
先人の徳、が残した徳の蓄積、や、
声を出しても口封じされてしまう社会弱者を踏み台にし、
尻拭いをさせているだけ!?

その因果を気がつかず、ノホホーンと「知らぬが仏」状態で、
ままなってる方々が、溢れている背景も考慮されないまま、
だったら、どうなるでしょうか?

先人、他人の徳、を食いつぶして、ままなっていて、
被害が我が身に及ぶまで、因果を気がつかないまま!?

我が身が踏み台に成るまで、現実を気がつかないが多い!?

他人の徳、で恩恵を授かり、感謝せず、反省せず、底をつくまで、
気がつかない方々が、もしも、多いという事があったら、どうなる
でしょうか?

要は、
「棚ぼたを当たり前と思っていて、事の因果を、読み解いていないまま、
本質を気がついていない社会の場合、上っ面の許しが、うまくいくのか?」


>「カダフィを懲らしめることには賛成だが、
> その手段として武力を用いることには反対だ」
> とどうして言えなかったのでしょうか?
> 喪に服したような状態であった日本が、
> そう言ったとしても、
> それで何か国家としての損失があったり、
> 非難されたりするとは、
> 僕には思えません。
> そんな寝とぼけたような正論が言えるのは、
> あの時の日本人だけではありませんか。


失礼な事を申し上げるかもしませんが
何をおっしゃりたいのか、さっぱり分かりませんでした。
私に、解釈する能力が無く、申し訳ないです。


私の、書き込みもそうかも、理解し難いかもしれないので、
それを踏まえて、申し上げています。

私の気持ちが伝わりますか、分かりますか?

上記を書いた後、俯瞰してみると、もしかしたら、世間から
「貴方と一緒にするな!」と、お言葉をいただくでしょうか?


> この世界が良くならない1つの大きな理由は、
> 僕達1人1人が権力者の悪を、
> 常に憎み続けながら、
> ギリギリの最後の瞬間には許す、という、
> 寛容さを持たないためではないかと、
> 密かに僕は思うのです。

私が、上記の真意を理解出来ていないのかもしれませんが、
上記の文面からは、寛容さでも、なんでもないでしょう!?
と、思いました。

それは、因果を俯瞰しきれず、良い人に思われたい、という
心理では?

何を申し上げたいか、と言えば、
「罪を憎んで、人を憎まず。」
という、言葉が、乱用されている社会を、申し上げています。

なにか、社会を知ったかの様に、錯覚し、現実を知らない人
(分かっていない人)が、
仏さまにでも、成ったかの様に、知識で、きれいごとを並べて
満足するシーンと似ている!?
様子に、似ていると思うのです。


現実を知ろうとしない、社会(多民)が背景にあると思うのです。


> つまり、常に試されているのは、
> 誰かに権力という名の「悪のバッチ」を渡されて、
> それを付けて力を振りかざし、
> 時には無残に死んでゆく権力者ではなく、
> その犠牲になり時にはそれを断罪する、
> 僕達の側なのです。

お気持ちは、察しますが、
現実は、被害者に成るまで、対岸の火事で、我が事に思わない、
という心理が社会にあるところ(次元)まで、噛み砕いて、読
み解いて語っていただかないと、・・・・・・

俯瞰して、締めくくっていただけたら、有り難かった。
それならば、希望を見いだせる、
と、思いました。

現実は、被害者に成るまで、
対岸の火事で、我が事に思わない、という心理まで、読み解いて、
という事を
補足して、述べてほしかったです。


六号通り診療所の石原さまが、医師という事で、きっと身直に
感じられる、比喩としては、

マスメディアで、ずいぶんと前に、採り上げられた事案ですが、
ガンを治療している医師が、ご自身もガンに成り、治療を受け、
その時始めて、患者の気持ちが分かった。
医者として、患者の気持ちを分かっているつもりだったが、
経験してみたら、
患者の気持ちが分かっていなかった事を実感したと、コメント
をされていた。
そして、著書にされていた。

また、同様に、ガンの患者をサポートしていた看護師が、
同様に、ガンに冒され、治療を受けた時、
患者に成るまで、ご自身は精一杯やっていたつもりだったが、
でも、当事者に成ってみたら、患者の気持ちを、分かりきれて
いなかった部分があったと、気がついた。
と、テレビで語っていました。

最後に、誤解されない様に、要点を。

『大我の愛(利他愛)』の対応が必要ということ。
叱るといことを学ぶ事。
導くという事を学ぶ事。

テレビにご出演される、とある方が、
「『怒る』と『叱る』は違います。」とおっしゃいます。
その通りと、私は思います。

しかし。
それを、分かっていない人が、社会に、溢れているのだと感じます。

日本の肩書きのある方々の大半が、現状、マスメディアなどで、
その、とある人を、小馬鹿にしている、現実があります。

本質を理解出来ていないのに、社会の中で、ままなっている、という、
社会の集団心理が、悪さしている、かもしれないということ。

飛躍しますが。
さて、上記、とある方とは、誰か、ご想像いただけましたか?


現実を、本質を理解していない方々が、暴走しても、それを許す
そんな因果がある、社会、の因果が、要と思います。


私の思いが、メッセージが伝わりましたでしょうか?

伝わらなかったでしょうか?


もしも伝わらなければ、「ここが、分からん!!」と、ご指摘いただ
ければ、噛み砕いて、ご説明したいと思います。


多々被害に遭い、多々の因果で、余力無く、能力無く、至らない為、
乱文をお詫び致します。

最後まで、ご覧いただきました事を、感謝申し上げます。




by 小児科でアスペルガー症候群と診断された当事者 (2011-11-08 07:00) 

fujiki

…当事者さんへ
ご指摘ありがとうございます。
今あわただしくしておりますので、
じっくりとご返事の出来ないことをお許し下さい。
コメント欄は原則として簡単なやり取りのみとしておりますので、
もしよろしければ、
ホームページのアドレスまで、
メールを頂ければと思います。
匿名で構いません。
ただ、ご返事まで少しお時間を頂く場合のあることは、
ご容赦下さい。
by fujiki (2011-11-08 08:14) 

小児科でアスペルガー症候群と診断された当事者

六号通り診療所の石原さまへ

お世話になっております。
ご挨拶が遅くなりましたこと、お詫び致します。
ご返信下さりありがとうございました。


> 今あわただしくしておりますので、
> じっくりとご返事の出来ないことをお許し下さい。

恐縮です。
状況を教えて下さり、お気持ちを察する事が出来ました。
感謝です。

補足。
(未診断の)家庭型、職権乱用型、代理ミュンヒハウゼン症候群
らしき方々が、
(通称)発達障害という、障害を誤解して?、意図的に?ねつ造して
まるで、精神的な異常(精神的な障害)者の様に仕立て上げ、責任転嫁
し、事実と、180度逆の情報を、啓蒙しているので。

もしも、そのトリックに気づかず、洗脳された方々がいれば、
(通称)発達障害、自閉症スペクトラム
という、症状の特徴を、
『他人の気持ちを分からない精神障害で、コミュニケーションが出来ない』
みたいな障害として、
勘違いされ、その誤解がギャップを増大させ、擦り合わせが複雑になり、
少数派が多数派を推測して翻訳しなければならず、2次障害が、当事者の
意思疎通の、ややこしさをますます増長され苦労しています。

(通称)発達障害という、障害を被っていると、当事者が未経験者へ、
状況を翻訳して説明しないと、おそらく、理解され難いと思います。
以前にも書きましたが、
脳神経内科系の、脳溢血、脳梗塞の症状で、道具である肉体、脳機能が、
棚ぼたでサポートされなくなり、想念(思い)を反映し難い、みたいな
状況に近いのではないか?
と翻訳して説明致しますが如何でしょうか。

その影響、ハードルの要因で、表面上、多数派のペース(歩調)に追随
出来ない(し難いハードルごとき)
ことがある、などで、歩調の違いが発生し、情報処理に苦労しています。

だから、六号通り診療所の石原さまの様な、大我の愛
のあるメッセージは、とても助かります。
ありがたい助けとなります。


> コメント欄は原則として簡単なやり取りのみとしておりますので、
> もしよろしければ、
> ホームページのアドレスまで、
> メールを頂ければと思います。
> 匿名で構いません。
> ただ、ご返事まで少しお時間を頂く場合のあることは、
> ご容赦下さい。

了解です。
但し、匿名投稿を御許し戴いたのですが、そうなると、いたずら目的
の電子メールが、六号通り診療所の石原さまへ届く可能性もあるかと、
少々心配致します。

そこで、私が『初めて』電子メールを送信する時は、こちらのブログ、
「故郷に向かって逃げるということ」のコメントへ、
電子メールの発信日時を書き込む様にすれば、その悪戯を解消出来る
かもと思いました。

そうすれば、こちらのブログで、私の書き込みかどうかだけ判断して、
いただければ、おそらくアクセスログから、
アクセス元のIPアドレスか、ブロバイダー名か、モバイルIDなどの情報
を元に、識別いただけるのではないか?と思っております。

もしも、私の提案に対して、問題点をお気づきなられました場合、、
ご指摘いただけますと助かります。

それでは、宜しく御願い致します。

多々の被害で、余力無く、能力無く、乱文を御詫び致します。
by 小児科でアスペルガー症候群と診断された当事者 (2011-11-12 08:21) 

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