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胃カメラにおける酢酸の使用を考える [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

昨日は1枚書きました。

それでは今日の話題です。

先日こんなニュースがありました。

【医療過誤 80歳、重篤に 酢酸濃度7~15倍 東京の○○病院】
【東京の○○病院は12日、先月実施した胃がんの女性患者(80)に対する内視鏡検査で、男性内科医師が病変部分を見やすくするために使う酢酸の濃度調整を誤り、通常の7~15倍で使用、腸管壊死などの重篤な状態にさせる医療過誤があったと発表した。】

報道によると、
患者さんは健康診断で早期の胃癌が見付かり、
その精査目的の胃カメラ検査で、
「病変部分を見やすくするために」酢酸を使用したところ、
その使用濃度に誤りがあったために、
腸管壊死などの重篤な症状を来たしてしまった、
というのです。
(その後の報道では、
この患者さんは亡くなられたようです。
ご冥福をお祈りします)

胃カメラの検査で酢酸を使う、
というのは一体どうしてなのでしょうか?
そのことにはどのような意味があり、
どうしてこのようなトラブルが、
起こってしまったのでしょうか?

今日はその点について、
僕の分かる範囲でご説明をしたいと思います。

以下の内容はあくまで一般論であって、
当該の「医療過誤」の是非を問うたり、
医療機関や医師の行為を、
非難したり逆に擁護したりする意図は、
全くないことを予めお断りしておきます。

患者さんは健康診断で早期の胃癌が見付かった、
と書かれています。

バリウムの検査では、
早期胃癌の疑い、という判断は可能でも、
「早期胃癌が見付かった」
という表現にはならないと思いますから、
これは胃カメラの検診が行なわれ、
当該の部位の組織の検査の結果から、
早期胃癌が診断された、
と推測されます。

胃カメラ検査の進歩により、
多くの胃癌が早期の段階で見付かるようになりました。

これは患者さんにとっても、
非常に喜ばしい医学の進歩ですが、
一方でその治療法については、
これまでとは別種の問題が生じるようになりました。

以前であれば、胃癌が見付かれば、
胃を切除する手術をするのが一般的です。

その胃癌が早期のものであれば、
それで概ね根治が望めるのです。

しかし、ごく小さな早期の癌を治療するのに、
胃を切ってしまうのでは、
患者さんの負担は大きなものになり、
何とか胃を切らずに治す方法はないか、
と言う点に、医療者は知恵を絞るようになります。

そこで編み出された方法の代表が、
癌の存在する粘膜の表面だけを、
下から浮かせて切り取るような方法です。

この方法は粘膜のみを切除するので、
大掛かりな手術ではなく、
内視鏡の治療で可能となり、
胃を切らないで済むので、
患者さんの負担もグッと小さなものになります。
これを内視鏡的粘膜下層切除術と呼んでいます。
略してESDです。

ただ、そこで問題になるのは、
病変を切り取る範囲を、
どのように決定するか、
という位置決めの問題です。

特に未分化の早期胃癌においては、
その病変の境界は、
かならずしも肉眼で見て明確なものではありません。
これが手術の治療であれば、
予め大きな範囲を切り取るのですから、
問題は生じないのですが、
内視鏡的な治療の場合には、
その切り取る範囲が狭ければ、
癌を残してしまうことになり、
再度治療が必要となる事態になります。
逆に大きく切り過ぎれば、
それだけ患者さんの負担が大きくなります。

そこで、通常の胃カメラによる目視の観察では、
不充分な病変の範囲を決定するための、
一種のマーキングの技術が重要になります。

まず、通常の内視鏡より、
格段に精度が良く、
病変を大きく拡大して観察出来る内視鏡があります。

この拡大内視鏡の観察が、
病変のチェックの1つの方法です。

ただ、単純に拡大しただけでは、
胃癌の部分とそうでない正常な部分とを、
見分け難いので、
通常はそれに特殊な散布剤による色分けを併用します。

この目的に古くから使用されているのが、
インジコカルミンという一種の色素剤で、
これにより病変の凹凸がはっきりして、
病変が確認し易くなります。
そして、最近になりそのインジコカルミンと併用されるのが、
今回問題になった酢酸です。

酢酸はその名の通り酸ですが、
これを病変に振り掛けると、
粘膜は変性して白っぽくなります。
この変色の仕方に、
正常粘膜と癌の粘膜で差があるので、
それを利用して、
より病変のマーキングの精度を上げるのです。
そこに特殊な光を当てると、
よりその違いが鮮明となります。

この場合に使用する酢酸は、
1.5%の濃度のものを、
10ミリリットル程度散布するのが一般的です。
これは酸ですから、
その濃度が高くなり、
その量が多くなれば、
当然正常な部位の粘膜を傷付けてしまうので、
注意が必要なのです。

報道によると今回の事例では、
まずインジコカルミンを使用した観察を行なったところ、
病変の境界が不鮮明であったため、
その病院では通常は行なわれていない、
酢酸の使用を主治医が決定し、
酢酸を薄めて使用しましたが、
その濃度が実際には約23%という高濃度になっていた、
ということのようです。

その後に腸管壊死が起こった、
という報道が事実とすると、
その散布量も、
実際にはかなり多かったことが推察されます。

ちょっと不思議に思うのは、
その病院は内視鏡治療も行なっている施設なので、
現在ではそう特殊な方法とは言えない、
病変部位確認のための酢酸の散布を、
どうしてそれまで施行していなかったのか、
ということと、
その病院の通常の確認方法で、
病変の範囲の推定が困難であったのであれば、
何故無理をせずより高次の医療機関に、
その治療を委ねなかったのか、
ということです。

患者さんは早期胃癌だったのですから、
その時間的余裕は、
充分にあった筈だと思うからです。

後、これは色々な方法があるのでしょうから、
一概には言えないと思うのですが、
通常はマーキングはESDの直前にする作業です。
従って、術前の胃カメラの精査の場合には、
拡大内視鏡やインジコカルミンの散布は行なっても、
酢酸の散布はしないと思うのです。
マーキングは当然直前でないと意味がないからです。

ただ、これは裁判になるような事例となる可能性もありますし、
これ以上踏み込んだ推測は、
避けたいと思います。

僕が他山の石として考えたいことは、
医者は「新しいちょっとした治療の工夫があるよ」
とか、
「この薬をこうして使うと通常より効果があるよ」
というような情報があると、
それが比較的簡単に施行出来るような状況が生じた場合、
ついその場で決断をしがちだということです。

これが新しい手術法のようなものであれば、
勿論すぐに思い付きで行なうようなことはしないのですが、
病院にも通常置いてある酢酸を、
撒くことにより病変が確認し易くなる、
というような情報であった場合、
つい事前の慎重な検討なしに、
施行してしまうことは有り得るのだと考えます。

最初の治療、最初の薬、
のような場合には、
より慎重な事前の準備が、
不可欠であることを、
心に刻んでこれからの診療に当たりたいと思います。

今回の内容は、
新聞報道等がどのような薬の、
どのような使用によるものか、
一般の方にはチンプンカンプンのようなものであったため、
その解説の意味合いで書きました。

微妙な案件であり、
もしご関係のある方で、
ご不快にお感じになるような点がありましたら、
当記事は削除しますのでご連絡を頂ければと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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詩人の血

お仕事、ネットの投稿御苦労さまでございます。

先生の文化欄は、楽しみです!芸術に対する

情熱がヒシヒシと伝わります。

「熱きインテリ」そんな感じ。

さて先生お願いと言うか…

一度、池田先生の「新人間革命」

をお読みいただきたいのです。

単行本で22巻になる大河リアリズム小説です。

トルストイの「戦争と平和を」ゆうに上回るスケールで

綴られている自身の行動を記録した小説です。

自身を主人公にするとナルシズムになると思われますが

全篇、利他主義=菩薩道=人間革命を記録したものです。

ブックオフで安く手に入ります。同志が献本のつもりで

新本を売るからです。

唐突なお願いで心苦しいのですが、

きっと良い経験になります!
by 詩人の血 (2011-10-20 08:31) 

kakasisannpo

今日も、難しい専門的なことをわかりやすく解説していただき、をありがとうございます。
by kakasisannpo (2011-10-20 11:26) 

こはく

いつも、難しくわかりにくいお話を
わかりやすく解説していただきありがとうございます。
私はCTの造影剤でアナフィラキシーショックを起こし
危険な状態になった経験もあり
その時の思ったのは
病気で死ぬなら納得がいきますが
検査や治療の事故で死にたくはないなあ、と。
後でいろいろ考えるに本当にその検査が必要だったかの疑問もあります。
特に緊急性がないものであれば
こういった検査が適切に、よく検討された後で
患者さんが納得してから行われるように望みます。
医療過誤が起こらないように細心の注意を払っていただきたいのは言うまでもないことですが。
by こはく (2011-10-20 12:11) 

しゃる

初めまして。
毎日非常に興味深い内容を、わかるように解説していただきありがとうございます。


ふと疑問に思ったのですが、酸は腸液で中和されるはずであるのに腸管壊死を来すのでしょうか?今回誤って用いられた酢酸の濃度では中和されず腸管の壊死を起こしてしまったのでしょうか。
もし中和されない、としたら濃度よりも量が問題となるように感じたのですが。

この記事では「濃度」が問題視されていますが、もし「23%の酢酸を10ml」用いた時にも、腸管壊死を引き起こすことがあるでしょうか?


もしこのコメントにより気分を害される方がおられましたら、申し訳ありません。不適切な内容である、と感じられましたら削除していただければと思います。
by しゃる (2011-10-21 00:57) 

fujiki

詩人の血さんへ
いつもお読み頂きありがとうございます。
機会があれば読みたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2011-10-21 08:18) 

fujiki

kakasisannpo さんへ
コメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

by fujiki (2011-10-21 08:19) 

fujiki

こはくさんへ
コメントありがとうございます。
治療ではなく検査のトラブルというのは、
別の意味の深刻さがありますね。
心して診療に当たりたいと思います。
by fujiki (2011-10-21 08:23) 

fujiki

しゃるさんへ
コメントありがとうございます。
明確にご返事出来ないのですが、
濃度が高いだけでも、
明らかに細胞障害性はあり、
リスクはあると思います。
by fujiki (2011-10-21 08:26) 

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