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シュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」 [オペラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は祝日のため診療所は休診です。

駒沢公園まで走りに行って、
ちょっと洗濯などして、
それから今PCに向かっています。

休みの日は趣味の話題です。

シュトラウスは20世紀の前半に、
それまでのオペラとは、
一線を画する革新的な作品を、
ただしそれまでの古典としてのオペラに、
多大な敬意を払いながら多く創作した、
古典的なオペラの作曲家としては、
最後の時期に属する大家です。

非常に知的で複雑な構成を持ち、
馴染みのあるメロディのアリアが、
すっと出て来る、と言う感じではないので、
かなり年季が入らないと、
「シュトラウスのオペラが好き」とは、
安易には言えない気分があります。

僕がこれまでに生で聴いたのは、
「サロメ」、「エレクトラ」、「バラの騎士」、
「影のない女」そして今回ご紹介する、
「ナクソス島のアリアドネ」の5本です。
この中では「サロメ」と「エレクトラ」は、
現代音楽に繋がるような、
当時としては革新的で前衛的な作品ですが、
「バラの騎士」と「ナクソス島のアリアドネ」は、
擬古典というのか、
古い形式のオペラ作品を、
シュトラウスなりに蘇生させたような作品です。
「影のない女」は、
その中間のような大作で、
基本的には擬古典風の作りですが、
結構前衛的な部分もあります。

正直最初に聴いた「サロメ」と「バラの騎士」は、
爆睡しました。
その後何度か聴いて、
「サロメ」は未だにあまり好きではありませんが、
「バラの騎士」は良い上演を何度か聴いたせいもあって、
今は割にお気に入りの作品です。
シュトラウスのオペラはラストの余韻に特徴があって、
それは他のオペラ作品では味わえない、
年代物のワインのような、
豊穣な雰囲気に満ちているのです。

「ナクソス島のアリアドネ」は、
上演時間が2時間ちょっとの、
比較的短いオペラ作品で、
「楽屋落ち歌劇」というスタイルの作品です。

「楽屋落ち歌劇」とは何でしょうか?

これはモーツァルトの時代に一時流行ったもので、
オペラ自体を上演しつつ、
歌手同士が仲が悪かったり、
作曲家がスポンサーから苛められたり、
トラブルで内容が変わってしまったり、
といった上演の裏側を、
同時に見せよう、というスタイルのオペラです。

概ね軽いタッチの、
笑いに満ちたものになる訳です。

その後こうした形式は、
オペラにおいては廃れてしまったので、
モーツァルトには「劇場支配人」という、
「楽屋落ち歌劇」の作品がありますが、
現在では滅多に上演されることはありません。

その「楽屋落ち歌劇」のスタイルを、
より20世紀的に再生しよう、
というのがこの「ナクソス島のアリアドネ」の、
大きな創作動機の1つです。

作品はまず、プロローグとして、
「ナクソス島のアリアドネ」というオペラが、
18世紀のウィーンの富豪の邸宅で、
上演される寸前の楽屋裏が描かれます。
当初はシリアスなオペラの後に、
喜劇が演じられる予定であったのが、
富豪の気まぐれから悲劇と喜劇とを、
同時に上演するべし、
という無理難題が押し付けられ、
それでも舞台の幕が上がる、というところで、
プロローグが終了。
その後は本編の「ナクソス島のアリアドネ」が、
喜劇と悲劇とをない交ぜにした形式で、
上演されます。

悲劇のヒロインであるアリアドネ役のプリマドンナと、
喜劇女優のツェルビネッタが、
同じ舞台で対比される、というところがミソで、
コロラトゥーラ好きとしては、
ツェルビネッタがプリマドンナに語りかけるスタイルの、
コロラトゥーラの長大なアリア、
「偉大なる女王様」が非常に有名です。

そのアリアの実際を、
ちょっとお聴き頂きましょう。
この役を十八番にしたコロラトゥーラの女王、
グルベローヴァのリサイタルでの歌声です。

凄いでしょ。
これはグルベローヴァ絶好調の頃で、
あまりその頃の録画が残っていないので、
非常に貴重です。

現在来日中で、
素晴らしい歌声を昨日も聴かせてくれましたが、
残念ながらこの時の楽器の曲芸のような腕の冴えは、
今はありません。
細かいフレージングは誤魔化しも目立つようになりました。
ただ、それでいて歌から受ける感銘は、
むしろ今の方が上に思えます。
彼女はそのソフトな雰囲気とは裏腹に、
獰猛な獣のようなところがあって、
年輪を重ね表面的な技巧が衰えることで、
その秘めた情念が表に出て来たようなところがあります。

それではもう1パターン、
同じアリアを最愛のデセイ様の歌でお聴き下さい。
これは後半のみで、
2003年のメトロポリタン歌劇場のライブです。

まあ、これはグルベローヴァの方が良いですね。
大病した後で、この時のデセイ様は、
体調も今ひとつであったのですが、
シュトラウスのオペラにある繊細さが、
デセイ様の歌ではちょっと醸しだされない、
というきらいがあります。
明らかにシュトラウスの音楽ではなく、
デセイ様の歌になっているのです。
でも、2分の21秒くらいの、
声をグイと上げるところとか、
僕は大好きなのでグッと来ます。

「ナクソス島のアリアドネ」の良い上演というのは、
実際には滅多になくて、
僕はウィーン国立歌劇場で、
グルベローヴァ他の豪華キャストが揃い、
急逝した名指揮者のシノーポリが振った上演を、
幸い最初に聴いたので、
印象強烈なのですが、
その後新国立劇場で上演された版は、
睡魔に襲われましたし、
先日のバイエルン国立歌劇場の舞台も、
シュトラウスの繊細さには欠ける、
ややガッカリの上演でした。
この作品を作者の意図通りに上演するのは、
現実には非常に難しいと思いますし、
安易に取り上げては欲しくない作品です。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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