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2002年11月の出来事 [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

今日もちょっとプライベートな話です。

妻が医療ミスで死に掛けたのは、
2002年の冬のことでした。

不妊治療の採卵で血管が傷付き、
お腹の中に大量の出血を起こして、
急激な呼吸困難から、
一時意識不明の状態になったのです。

11月1日に採卵があり、
その直後から、
尋常ではないお腹の痛みに苦しみました。

妻はすぐにナースコールをしましたが、
ベテランの口だけが達者な看護師は、
ロクにバイタルを取ることもなく、
「大丈夫よ。誰でも痛いんだから。石原さん少し騒ぎ過ぎよ」
と冗談めかして言いました。

しかし、実際には騒ぎ過ぎではなかったのです。

11月3日に貧血の急激な進行のために、
大量の輸血が行なわれました。

その後すぐに発熱があり、
原因不明の感染症だと言われました。

それで抗生物質が大量に投与されましたが、
今度はそのために副作用で肝障害が急激に進行し、
すぐに抗生物質は中止されました。

幸い炎症は原因不明のまま快方に向かい、
熱は下がりました。

呼吸状態の悪化が、
肺塞栓症によるものではないか、
という判断があり、
その原因が下肢の静脈血栓症になるのではないかと、
推測されました。

妻は状態が悪く毎日寝続けていなければいけませんが、
そうした状態は血栓症のリスクになります。

このため更なる肺塞栓症の予防のために、
妻の足には加圧をするための器具が巻かれ、
定期的に加圧がされました。

これが、次のトラブルを生むことになったのです。

ICUに入って1週間ほどで、
貧血の進行は止まり、
感染症も改善に向かいました。
ただ、呼吸状態はあまり変わらず、
マスクで酸素を5リットルは流していないと、
呼吸は維持出来ず酸素は低下する状態でした。

急変の可能性は少ないという判断で、
妻は10日ほどでICUから一般病棟に移りました。

11月13日は水曜日で、
僕は午後から妻のいる病院へ廻りました。

その日のことは、
結構リアルに記憶しています。

妻の呼吸困難の原因は、
肺塞栓症であるとされたのですが、
肺の換気と血流のシンチの検査結果は、
かならずしもクリアなものではありませんでした。
肺の機能は決して悪くはなく、
シンチの検査でも明らかな大きな欠損はないのですが、
それでも酸素が思うように上がりません。

病棟の廊下に入ると、
内科の主治医が丁度ナースステーションにいたので、
僕は会釈をして面談室に入り、
彼と少し話をしました。

「酸素はなかなか上がらないですね」
と僕が言うと、
内科の主治医はちょっと深刻そうな顔をして肯きました。
「このまま戻らなければ在宅酸素になりますか?」
と更に言うと、
「そうなるかも知れない」
と主治医は言いました。

「30代で酸素というのはきついですね。
妻は活動的な女性ですから、
本人がどう思うかと考えるとつらくなります」
と僕は言いました。
それから、
「先生は呼吸困難の原因は肺塞栓だと思われますか?」
と尋ねると、
「そこは私もちょっと不思議なんだけどね」
と何か慎重な言い回しで言葉を継ぎました。

それから、
「これからもよろしくお願いします」
と頭を下げ、
面談室を出て1人で病室へと入りました。

妻は1週間前と比べれば、
かなり元気そうでしたが、
僕がナースステーションでちゃんと挨拶をしたか、
とか、
医者に対して失礼な言動がなかったか、
とか、
何かそんなことばかりを気にしていました。

自分の身体のことよりも、
僕がちゃんとしているかの方が、
余程重大事であるかのような感じでした。

酸素マスクが鬱陶しいようで、
それは半ば無意識に外そうとするのですが、
外してしばらくすると、
酸素飽和度の低下を感知して、
ブザーが鳴るのです。

「外してても、別に苦しくはないんだけどね」
と妻は言います。

しかし、その言葉に反して、
妻の息はかなり上がっていました。

「それより足が痛くてね」
と妻は言います。
肺塞栓予防の足の加圧帯が、
強く締め過ぎではないか、と言うのです。
そのことを看護師に言うと、
「でも必要なことですし、時々減圧の時間があるから、
大丈夫ですよ」
という答えでした。

それから1週間くらいして、
呼吸の状態は徐々に改善傾向を見せ始め、
酸素の量も減りました。

ある日病室へ行くと、
酸素は経鼻で1リットルに減っていて、
それでも酸素飽和度は平常に保たれていました。
希望の光が差して来たことを、
少し実感した瞬間でした。

翌日からリハビリが始まるという話でした。
それまでベット上の安静が続いていたので、
足の力が落ち、自力では立つことも出来ない状態になっていました。

11月の終わりには、
外泊もしようという話になりました。
もう酸素は外れていました。
病院へは、自宅に戻る、というように言いましたが、
実際にはディズニーシーに行こうと決めました。
出発は11月27日の水曜日で、
ディズニーシーのホテルに1泊して、
翌日の午後には病院に戻る予定としました。

別に足の負傷や病気とは、
何の関連もなかったですし、
その頃には普通に歩けるように成る筈だと、
計画を立てた段階では考えていました。

ところが、
リハビリが思うように進行しません。

どうにかつかまって立つところまではいったのですが、
足を上げて階段を昇るような動作が出来ないのです。

それでも最初は、
リハビリを続ければ何とかなる筈だ、
というように病院の主治医も考えていました。
しかし、外泊の当日の27日になっても、
足が上がらないのはおかしいということになり、
神経内科の受診が組まれました。
外来受診が後回しにされ、
昼過ぎには病院を出る予定が、
結局外泊の出発は夜になってしまいました。

足の上がらない原因は、
足の神経障害にありました。

その原因は「何とも言えない」という話です。
ただ、僕も妻も、その要因が、
2つしか考えられないことは分かっていました。
その第一はお腹の中の出血により、
神経が圧迫された可能性で、
第二は下肢の加圧が強過ぎて、
それによる神経障害の生じた可能性です。

妻は何度となく、
「足が締まり過ぎて痛いので、加圧を緩めて欲しい」
と言ったのですが、
看護師も医者も、
必要なことだし間欠的なので、その必要はない、
と、妻の要望には耳も貸しませんでした。

病院は勿論、どちらの可能性も認めません。
どちらを認めても、
それは自分達のミスを、
ある程度認める結果になるからです。

「原因不明の末梢神経障害だ」の一点張りです。
唯一妻が仲良くなった整形外科の主治医が、
「証明は出来ないけれど、石原さんの言う通りだと思うよ」
と言ってくれました。
でも、それも時間が少し経ってからの話です。

夜に病院を出た僕達は、
車椅子で病院の玄関まで行き、
そこから数歩は必死になって歩いて、
病院の玄関に停まっていたタクシーに乗り込みました。
「どちらへ?」
という運転手さんに、
「ディズニーシー」と言うと、
目を剥いていましたが、
それでもタクシーは発進しました。

ディズニーシーのホテルに着き、
フロントに言って車椅子を借りました。
別にミッキーなどは描いていない普通のものです。

妻が全く歩けなくなっていたことに、
改めてショックを受けましたが、
酸素が外れただけでも進歩なのだからと、
心を静めました。

ホテルのレストランで夕食を取ると、
丁度パレードの花火の時間になりました。
スタッフが気を利かせて、
車椅子を花火の良く見える窓側に移動させてくれました。
レストランのBGMが、
ヴェルディの「椿姫」からの変奏であったことも、
不思議にクッキリと覚えています。

その夜は奇妙に静かで、
ホテルの部屋にいると、
何か世界は既に滅んでいて、
僕達2人しか荒廃した世界には残っていないかのような、
静謐な気分で過ごしました。

翌日の昼頃にパークからタクシーを拾いましたが、
それが窓がミッキーになっていて、
ひっきりなしにディズニーのテーマ曲が鳴り続けるという、
びっくりするような車で、
最初は千葉県しか運転出来ないと言われたのですが、
何とか頼んで病院のそばまで運んでもらいました。

まさかその車で、
病院の玄関に横付けする訳にはいかず、
少し離れた場所に停めてもらい、
僕は病院までひと駆けして、
車椅子を運びました。

妻の退院は12月12日です。

帰り掛けに、
手を壁に添えながら、
それでも自力で立っていた妻の姿を、
僕は今でも忘れません。

誰に感謝すれば良いものか良く分かりませんが、
それは僕にとって1つの奇跡のような光景だったのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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末尾ルコ(アルベール)

いったい何が起こったのでしょう・・・。
ただ、わたしは「安易な商業的超自然」には絶対反対なのですけれど、「本物の奇跡」というものは時に姿を見せてくれるものだと信じています。

                                RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2011-09-10 09:02) 

永遠の通りすがり

本当に、直接には何も関係のないことですが、
初診からの暫くの間の出来事を思い返してみると、私は本当に厭な患者でしたね。あ、過去形じゃないか…。
最近は、自分に医療を受ける資格があるのか、といつも考えています(多分、ない)。
先生の手を煩わせて申し訳ないのですが、薬だけは貰いに行かせて下さい。
by 永遠の通りすがり (2011-09-10 09:46) 

midori

なんともいえない気持ちになりました。
さっきから、眼からダラダラ水が出て止まりません。
いまは奥様はお元気そう(ブログで拝読する限りは)で、何よりですね。
by midori (2011-09-10 09:49) 

yuuri37

先生がディズニーシー!?意外だなあ・・・ごめんなさい。怒らないでくださいね。
私は、単純にディズニーの世界が好きです。環境破壊にしても突っ込みどころ満載ですが・・・そういうこととか考えない少女のとき、純粋に心からディズニーランドが楽しかったです。

by yuuri37 (2011-09-10 18:41) 

ごぶりん

詳細な経過を読んでかなり驚きました。
採卵後の腹痛、そして輸血が必要なほどの貧血を発症しても
採卵処置に何らかの関与があるとは通常医師は考えない
もんなんでしょうか?
前回の記事を読んだ限りでは腹部の出血を止める処置位はしたと
思いましたが,なされてない様ですね。
友人医師にチョロリとメールで聞いてみたら、上記の経過であれば
採卵時の出血を疑うけどなぁ~という返答でした。
今後、自分の家族や親せきに同じような事があっては本当に嫌なので
書かれた事例は他人ごとではないですね。
辛辣な言い方かもしれませんが、担当医が本当に肺塞栓症と信じてたんであれば、
正直、そんな医者にかかるのはまっぴらごめんだと思いますし、
採卵時の出血と分かっていながらそのような処置を取られたのであれば、
少なくとも私にとってはその医師は紛れもなく「悪人」です。
病院での治療については詳しくないのでその担当医の治療が
どこまでが真っ当なのかよく分かりませんが…。

それにしても腹部の出血は相当な痛みだと思います。祖母が
それ故に死亡したのでどれほどの苦しみかを母から聞きました。
奥様が馬鹿と思わず言っちゃうのも無理はないかと…。
by ごぶりん (2011-09-10 21:41) 

fujiki

RUKO さんへ
コメントありがとうございます。
後半がはしょり気味なので、
意味のとり難い感じがあると思いますが、
退院してから、
家で徐々に改善してきた、
というのが実際のところです。
by fujiki (2011-09-10 22:51) 

fujiki

永遠の通りすがりさんへ
いつでもおいで下さい。
by fujiki (2011-09-10 22:53) 

fujiki

midori さんへ
色々と心を痛めることは多いのですが、
幸い身体は今は落ち着いています。
by fujiki (2011-09-10 22:54) 

fujiki

yuuri37 さんへ
もうさすがに行かないと思いますが、
遊園地という場所は、
昔から結構好きでした。
ディズニーランドのせこいパクリのような遊園地が、
子どものころにあって、
それでも結構楽しんでいたので、
本物の出来た時には、
かなり興奮しました。
by fujiki (2011-09-10 22:57) 

fujiki

ごぶりんさんへ
コメントありがとうございます。
完全な嘘は吐かないのです。
それでいて、まずい部分は、
意図的にスルーするので、
その辺は分かってしまうと、
嫌だなあ、そのまま言ってくれれば良いのに、
とは思うのです。
by fujiki (2011-09-10 23:01) 

永遠の通りすがり

石原先生にblogに書かれているような背景があったのでれば、今はとても納得ができるのですが、初診から何回かの診察は先生の口から繰り返し出される「迷惑」という言葉に、実はとても傷ついていました。
診察後に、甲州街道まで車椅子を押させてしまったことを思い出すと、心から申し訳なかったと思うと同時に、先生にとって私は、相当に厭な患者であったのだろうと想像する訳です。
今でも先生の診察中の言葉に結構、落ち込んでしまったりするのですが、それは多分、私の側の捉え方の問題なのでしょうね。
その度、私がそもそも六診を受診してよかったのか、考えてしまいます。(私がこうして書いている言葉の重さと苦しさは先生には伝わらないないかも知れない、勝手過ぎて)。

ウザい書き込みを連投してしまって、すみません。
by 永遠の通りすがり (2011-09-11 06:57) 

ゼファー750

おはようございます。

石原先生が医療ミスに寛容になれないように、
私も薬害に寛容になれません。

大学の時に一緒に勉強をしていたM君がいます。
Mは血友病で、でも頑張って学業を全うしていました。

卒業後暫く会わなかったのです。
その時にあの薬害エイズ事件がおこりました。

まだエイズと言うもの自体がわけのわからない病気だったときです。
ネットなどと言うものも存在しなかったので必死になって
NEJMやJAMAの文献をあさったものでした。

Mのことは気にはなったけど在学中からB肝のことなどを
とても気にして肝友会で活動をしていたので楽観していました。

しばらく振りに関西から上京し会った時に、
本人の口からHIVに感染していることを告げられました。
まだ治療薬もなく、差別がひどく、写真週刊誌などに
すっぱ抜かれていた時でした。

彼は来月から原告番号29番になると言いました。
その時から私の薬害エイズとの闘いが始まりました。
調べれば調べるほど国と製薬企業がひどいことが、
わかってきて頭にきたものです。

Mは90年代にB肝のVarix破裂で鬼籍に入ってしまいました。

だからブログにも薬害の事をずっと記載しています。
わたしも薬害には寛容になれません。

by ゼファー750 (2011-09-11 08:08) 

はじめまして

いつも読ませていただいております。大変なご経験をされたんですね。
やはり医療は人間が行うもの、絶対ということはないですよね。


現在八ヶ月の子がおり、ポリオワクチンを迷っております。

先生の過去のポリオについての記事を読み直し悩んでおります。

やはり接種控えは危険なのでしょうか?
保育園に行っていない八ヶ月が一年ポリオを控えることはいけないことでしょうか?
以前神戸で二次感染してしまったお子さんもまさに同じような状況だったと思うので、二次感染への恐怖はあります。


女の子ということで生ワクチンをうつリスクは多少は下がるのでしょうがやはり不安ですね。


ちなみに手足口病にかかったことがあるのですが、同じエンテロウィルスだと思うので、少しでも免疫がついているものでしょうか。


不活化ワクチンもどれくらい実績が日本人であり、副作用はどんなものか全く分からずです。


本当に現在のポリオの予防接種の態勢には納得がいきませんね。


長々とすみません。

これからもblog楽しみにしております。
by はじめまして (2011-09-11 09:48) 

fujiki

永遠の通りすがりさんへ
嫌とか嫌でないとか、
そうしたことはありません。
ただ、自分に出来ることと出来ないことがあるので、
その点で自分のキャパを超えると、
キツイということがあるだけです。
言葉足らずで傷付けてしまった点も多々あると思います。
その点はお詫びします。
by fujiki (2011-09-11 11:11) 

fujiki

ゼファー750さんへ
コメントありがとうございます。
即坐に自分に降りかかってくるようなところもあるので、
医療ミスも薬害も、
非常に難しいところがあります。
by fujiki (2011-09-11 11:14) 

fujiki

はじめましてさんへ
コメントありがとうございます。
手足口病の免疫は、
あまり関連性はないと、
考えて頂いた方が良いと思います。
勿論不活化ポリオワクチンへの変更は、
一刻も早く行なうべきですが、
不活化ワクチンの安全性が、
確実であるという証拠はなく、
それだけが正義のように語る意見にも、
違和感を持ちます。
こんな言い方はあれですが、
「たかがワクチン」ということも言えるからです。
あまり迷いを減じるようなことが言えず、
申し訳ありません。
by fujiki (2011-09-11 11:25) 

永遠の通りすがり

この記事についてのコメントの書き込みはこれで最後にしますが、ちょっと読み流すことのできない部分があったので、一つだけ。
「自分に出来ることと出来ないことがあるので、その点で自分のキャパを超えると、キツイということがあるだけです」という部分についてです。

先生のこの表現ですと、とまるで私が何か先生に無理な要求をして手こずらせ、キツいことを言わせたように、読んでいる方は誤解をされるかもしれません。
先生は「あくまで自分の技量を超えた治療上の話になった場合」…という意味でおっしゃったのだと思いますが(私の話があまりに感覚的、観念的過ぎて伝わりにくい場合など)。

勝手なことを書いておきながら、少し恐くなってしまいました。
私が毎回、先生にお願いして断られているのは採血検査だけですから(敢えて…笑)。←これは患者として正当な要求だと私は思います。
by 永遠の通りすがり (2011-09-11 12:01) 

fujiki

永遠の通りすがりさんへ
また言葉足らずで申し訳ありません。
あまり気にされないで下さい。
お気軽にお出で頂ければと思います。
by fujiki (2011-09-11 12:14) 

ひすい

医療ミスを起こした患者の家族(もしくは患者でも?)が医者でも、嘘をつくという点、ミスを認めずに済んだという点に小さい衝撃(全く想像できなくはないから)を受けました

人間がする以上、医療ミスは0にはならないと思います
起こったときのバックアップ(対応、補償)を用意しておくのが危機管理だと思います
あくまでもミスを認めないのも医療者にとっては危機管理の1つなのでしょうか

わたしも手術の後一時期、足の筋肉が麻痺してしまったので、退院のくだりを読んでぐっときました

医療者が医療ミスを認めやすくなるには、どんな条件が必要なんでしょうね




by ひすい (2011-09-11 15:36) 

fujiki

ひすいさんへ
コメントありがとうございます。
嘘は吐かないんですよね。
ただ、意図的に言わなかったり、
なかったかのように振舞ったり、
防御線を張って「立証出来ない」とか、
「他の可能性もありうる」とか、
「あの時点ではそう考えても必然的だった」
のような言い方がなされます。
by fujiki (2011-09-11 15:52) 

gucci

現在奥様はお元気ですか?

ワタシもICUに入院し、
その後歩けませんでした。
歩き方が分からなくなっていました。
とてもショックでした。

奥様のお気持ちが少しだけ
分かるような気がします。
どうぞおだいじに。

by gucci (2011-09-12 09:20) 

fujiki

gucci さんへ
お気遣いありがとうございます。
全てOKという訳ではないですが、
一時を比べれば格段に良くなっていると思います。
by fujiki (2011-09-13 08:14) 

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