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大和屋竺の世界 [映画]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように駒沢公園まで走りに行って、
帰って来てからちょこっと庭の草むしりをして、
ちょこっとと洗濯などして、
それから今PCに向かっています。

家にはほんの僅かな庭があるのですが、
荒れ放題だったのを、
少し前に植木屋さんに入ってもらって奇麗にしました。
それからは、
日曜日毎に雑草を取ったりはしています。

不思議なことに続けていると、
何となく愛着が湧いて、
この樹は何となく元気がないな、
とか、
この樹の形はあまり良くないな、
というような、
ある種のトータルな均衡に対する意識が芽生えます。

なるほど、庭仕事に熱中する方の心理は、
こうしたところにあるのだな、
と少し理解したような気分になります。

人間は心の中の均衡を、
必ず外部に求め、再現する、
という性癖があります。

人間の心の中にあるものは、
必ず外部に顕われ、
外部の秩序が内部に影響を与えると共に、
内部の秩序が外部に影響を与えることもあるのです。
これはフロイトの最大の発見ですね。

部屋を整理したり庭仕事をしたりすることが、
心の平穏や秩序の回復に結び付くのは、
そうした原理があるからで、
逆に心が不安定になる時には、
あなたの庭も荒れ果て、
あなたの部屋は散らかり放題になるのです。

休みの日は今日の話題です。
今日はこちら。
荒野のダッチワイフ.jpg
大和屋竺(やまとや あつし)は、
若松孝二作品の脚本を多く手掛け、
テレビドラマの脚本も多く手掛けた脚本家で、
1993年に亡くなりました。

何本かの映画の監督もしていて、
そのうちの最高傑作が、
この「荒野のダッチワイフ」です。

何とも奇怪な題名ですが、
これは所謂ピンク映画として1967年に製作されたからで、
内容は殺し屋が主人公のシュールなドラマで、
如何にも1960年代というムードが、
濃厚に漂う作品です。
同年に大和屋竺がかかわった、
鈴木清順の「殺しの烙印」にも似ています。

映画のもう1つの傑作は、
若松孝二監督で大和屋竺が脚本を書き出演もした怪作、
「処女ゲバゲバ」で、
その公開は1969年です。
これもピンク映画なので酷い題名ですが、
ラストのどんでん返しのカタルシスが極めて強烈な、
文字通りの傑作です。
これはマカロニウエスタンを日本に移植したような作品で、
荒野に1本の十字架だけが立ち、
そこに磔にされた女を助けようと、
組織を裏切った男が、
組織に反逆を企てます。

僕はこの2本の映画を、
六本木の俳優座劇場のレイトショーで観ましたが、
劇場を出ても、
殆ど現実を喪失したような気分になりました。

大和屋竺の作品のうち、
最も知られているのは、
「ルパン3世」の最初のテレビシリーズの2話目、
「魔術師と呼ばれた男」で、
僕もこの作品がトラウマ的に印象に残り、
後に映画を観て、
なるほどこういうことだったのか、
とその魅力を理解したのです。

この作品はほぼその通りの筋のものが、
モンキーパンチの原作にあるのですが、
その印象の強烈さは、
テレビのオリジナルで、
大和屋竺の世界を、
特徴的に示すものなのです。

60年代のロマンチズムは、
今まさに日本を滅亡に向かわしている、
その元凶の1つであることは間違いがありませんが、
当時の滅びの美学が、
今まさに現実となり、
ルパン3世や「処女ゲバゲバ」の主人公が、
荒野を彷徨うその姿が、
僕達そのものであることが理解されると、
なるほど人間の心の中にある荒野は、
たとえその時は現実には抑圧され敗北を迎えても、
いずれは現実化するものなのだ、
ということを、
何か絶望的に感じる思いがするのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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