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食塩感受性高血圧とRac1 GTPase の話 [医療のトピック]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

先日の大新聞に、
こんなニュースがありました。

【塩分と高血圧、カギは腎臓のたんぱく質 東大教授ら解明】
【塩分を取りすぎると高血圧になるといわれるが、血圧が上がりにくい人もいる。その違いは腎臓でのたんぱく質の働きの差で起こることが、東京大の○○教授らによるネズミの実験で分かった。治療薬の開発に役立ちそうだ。】

この東大の先生は、
食塩感受性高血圧の研究を、
長く続けて来られた方です。

以前にも記事で触れましたように、
高血圧には塩分が過剰になると、
比較的速やかに血圧が上昇するタイプと、
そうでないタイプの方がいて、
血圧が塩分で上昇し易いタイプの高血圧を、
食塩感受性高血圧と呼んでいます。

日本人と黒人では、
塩分感受性高血圧の比率が、
比較的多く、
欧米人では少ないと考えられています。

しかし、何故そうした体質の違いがあるのか、
と言う点については、
必ずしも明確に分かっている訳ではありません。

今回の知見は、
ネズミの実験ではありますが、
その体質の違いが何処にあるのかを、
追求した上で、
一定の結論に達した、
という内容のものです。

そのネタ元の論文がこちら。
rac1 と食塩感受性高血圧.jpg
内容に触れる前にちょっと雑談的な話です。

この論文の載った医学誌の「Journal of Clinical Investication 」は、
医学の動物実験などの研究が載る雑誌としては、
一流のものですが、
「Nature 」には載らなかったけれど…
というくらいの位置付けのもので、
僕が以前所属していた医局にも、
複数の論文をトップネームでこの雑誌に掲載した、
研究者が多く在籍していました。
自信のある研究であれば、
まず「Nature」に出してみて、
審査が通らなければこちらに出すのです。
最近では中国人の研究者がトップネームのものが矢鱈と多くて、
これも時代を感じさせます。

要するに、優れた雑誌であり、
ここに載ることは医学研究の分野では、
立派な業績ですが、
この雑誌に論文を載せる研究者は、
別に件の東大の先生ばかりではありません。

しかし、僕の先輩の書いた論文の内容が、
このように「画期的な発見」として、
新聞に載ったりすることは、
一度たりともありませんでした。

僕が不思議に思うのは、
新聞にこうして科学の画期的業績として載る記事は、
一体誰がどのような権限で決定しているのだろう、
ということです。

新聞社の担当者の独断でしょうか?
もしそうだとしたら、
その担当者は一線の研究者顔負けの、
見識と知識とをお持ちの筈です。

ただ、それにしては、
記事に書かれた論文の内容に対する理解には、
「おやおや…」と思うようなところが多々あり、
本当の意味で書かれた記者の方が、
内容を高いレベルで理解されているとは、
正直到底思えません。
いつもきまり文句は「○○の仕組みが解明」ですが、
内容は概ね仮説の域を出ないもので、
解明という言い方は誇張です。
ミステリードラマで言えば、
「真犯人が明らかに…」
という宣伝の回だった筈なのに、
実際に見てみると、
容疑者が数人に絞られただけだったような塩梅です。

すると、
矢張り何らかのブランドイメージなり、
学会のお偉い先生の推薦だの、
宣伝活動などが、
その選択の裏にはあるのかな、
などと考えてしまうのです。

余談はこのくらいで内容に入ります。

食塩感受性高血圧というのは、
塩分が過剰になることにより、
血圧が上昇する病態です。

この時血圧を上昇させ塩分を貯留させる、
身体の最も重要なメカニズムである、
レニンとアルドステロンというホルモンを見ると、
レニンもアルドステロンも低下していることが多いのです。

これを低レニン性高血圧と呼ぶこともあります。

レニンやアルドステロンが上昇していれば、
それで血圧が上昇することは理の当然で、
何の不思議もありません。
たとえば原発性アルドステロン症という病気では、
アルドステロンを過剰に産生するしこりが出来るので、
塩分が過剰になってもアルドステロンは低下せず、
身体はどんどん塩分をため込み続けるので、
血圧は上昇するのです。

しかし、食塩感受性高血圧では、
アルドステロンは抑えられているので、
身体のシステムが正常であれば、
塩分の蓄積はある時点でストップして、
それ以上は進まず、
血圧も上がらない筈です。

実際に食塩感受性高血圧の患者さん以外で、
塩分を増やしてもさほど血圧が上昇しないのは、
こうした身体の順応メカニズムが、
働いているためと考えられます。

それでは、何故食塩感受性高血圧の患者さんでは、
正常にレニンやアルドステロンが抑えられているにもかかわらず、
血圧が上昇するのでしょうか?

1つの考えは、
食塩感受性高血圧の患者さんで血圧が上がるのは、
レニンやアルドステロンとは、
別個のメカニズムによるものだ、
という仮説です。

しかし、ネズミの副腎を切除して、
アルドステロンの出ない状態を作ると、
食塩感受性高血圧のネズミでも、
食塩に反応して血圧が上がり難くなるのです。

つまり、食塩感受性高血圧の発症には、
アルドステロンの存在が必要なのです。

この矛盾する結果を、
どう考えれば良いのでしょうか?

アルドステロンは副腎から分泌され、
腎臓にあるミネラルコルチコイドの受容体にくっついて、
その作用を表わします。
このミネラルコルチコイドの受容体には、
コルチゾールも弱いながらくっつくことが可能です。
ステロイドをお飲みの患者さんの血圧が上がるのは、
こうした理由によるものです。

今回の研究の肝は、
ミネラルコルチコイドの受容体に、
アルドステロンがくっつかないのに、
あたかもくっついたかのような反応が、
細胞の中で起こることがある、
という知見にあります。

これは細胞の中に存在する、
Rac1 と呼ばれる一種の蛋白質の働きによることが、
上記の論文の著者らのグループの研究により、
明らかになりつつあるのです。

これをRac1 によるミネラルコルチコイド受容体の活性化、
と呼びます。

今回の論文では、
食塩感受性高血圧の病態に、
近い性質を持つネズミと、
そうではないネズミとを使用して、
食塩を多く投与した時の、
腎臓の細胞の中でのRac1 の活性化の様子を見ています。

すると、正常のネズミでは、
塩分が過剰になると、
アルドステロンが抑制され、
それに伴ってRac1 の働きも弱まるのに対して、
食塩感受性高血圧のネズミでは、
塩分負荷によって、
アルドステロンが抑制されるところまでは同じですが、
逆にそのことによる、
Rac1 の活性化が起こり、
あたかもアルドステロンが過剰に分泌されたような反応が、
アルドステロンが抑制された環境下で起こるのです。

この反応は、
ネズミの副腎を切除すると弱まるので、
アルドステロンと無関係とは考えられません。
またそれに似た反応は、
正常のネズミでアルドステロンを注射しても、
同じように起こるのです。

つまり、通常ではアルドステロンがくっつくことで、
受容体の活性化は起こるのですが、
食塩感受性高血圧の病態においては、
むしろアルドステロンが抑えられることが、
何らかのシグナルになって、
Ras1 を介したミネラルコルチコイド受容体の活性化を起こすのです。

それを図示したものがこちらです。
食塩感受性とrac1 の図.jpg
この図を見て頂くと、
この知見には、
まだまだ不明の点が多い、
ということが分かります。

塩分の負荷が何故Ras1 を活性化させるのでしょうか?
それとアルドステロンの抑制との、
関連性はどういうものなのかしら?

実際にはそうした点が分からなければ、
この説明はまだ仮説の域を出ないのです。

更にはこれはネズミの実験です。
ネズミの食塩感受性高血圧モデルというのは、
あくまでそれに近い病態という意味で、
この結果がそのまま人間に、
適応されるようなものではありません。

新聞記事には例によって、
薔薇色の未来や画期的な薬の発明が、
すぐそこにあるような能天気な記載がありますが、
そこまでのものではないと、
僕は思います。

現時点でこの知見を臨床に応用して考えるとすると、
ミネラルコルチコイドの受容体にくっついて、
その活性化をブロックする、
選択的アルドステロンブロッカーと呼ばれる薬があり、
これはセララという名前で日本でも発売されていますが、
この薬が食塩感受性高血圧に、
有用性があるのではないか、
という考えが浮かびます。

セララが細胞内のRas1 にどのような働きをするのか、
現時点では何とも言えませんが、
食塩感受性高血圧に、
一定の効果を示した、
という動物実験のデータは存在します。

今後の新薬はいつになるのか分かりませんが、
セララの食塩感受性高血圧への適応は、
積極的に考えた方が良いかも知れないと、
現時点では僕は思います。

いずれにしても、
今後の更なる知見の蓄積を待ちたいと思います。

今日は食塩感受性高血圧についての、
最近の知見をご紹介しました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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Hirosuke

最近になって、素人ながら必要に迫られて、
「分子整合医学(Orthomolecular Nutrition and Medicine)
 http://www.npo-jmsa.com/?eid=1150803
なるものを勉強し始めました。

それによりますと、
------------------------------------------------------
タンパク質は、単なる体を構成する栄養分なのではなく、臓器や脳の細胞内で働く生命維持活動に重要な働きを担う化学物質の原料となっている。
よって、タンパク質の摂取量が不足すると、「うつ」等の様々なタンパク質欠乏症になる。
------------------------------------------------------
とのエビデンスが既に得られているそうです。

となると、今回の記事にある 【カギは腎臓のたんぱく質】という「研究結果」は何ら新しい発見ではなく、「当然の結果」 を示しているのみ・・・という事になるでしょうか。

ましてや、ヒトではなくネズミですし、機序も不明なのに、ニュースで大きく取り上げられるのは、確かに腑に落ちない気がします。

by Hirosuke (2011-07-28 10:04) 

fujiki

Hirosukeさんへ
いつもコメントありがとうございます。
誤解のないように補足しますが、
当該の文献自体は、
非常に質の高い優れたものだと思います。
ただ、新聞記事にはすぐに患者さんの治療に結び付く新薬の開発につながる、
というような解説が付くのですが、
それはいつも楽観的な予測に過ぎると思うのです。
by fujiki (2011-07-28 16:58) 

ごぶりん

製薬会社にいた頃は末端にいた私の耳にもそれこそ多種多様な物質についての検討状況が入り、少しでもスクリーニングで芳しい結果が出れば、
すわ新薬になるかという空気が漂いましたが、途中でほぼ全滅状態でした。
なので記事を拝見する限り、rac-1という物質がよしんば新薬開発に何らかの形で
寄与するにしても何十年先かなぁとしか思えません。
新聞もためしてガッテン同様多少大げさな表現で読者の気を引きたいんでしょうかね。

by ごぶりん (2011-07-28 21:58) 

fujiki

ごぶりんさんへ
コメントありがとうございます。
ある糖尿病の研究で高名な先生は、
僕の知る限り15年位前から、
糖尿病の新薬開発、のような話をされていて、
何度もメディアにもその情報が踊りましたが、
そんなものが開発された事実はまだないようで、
その先生も今は別の薬の有効性の話をされています。
こういうことはよくありますね。
by fujiki (2011-07-29 08:25) 

harrison

はじめまして。

アカデミックでありながらも人間味にあふれる素晴らしいブログ。
感服しました。

事後になって申し訳ありませんが、本日の私のブログで先生の記事を紹介させていただきました。

塩分摂取と血圧上昇のメカニズム
http://blog.m3.com/reed/20110812/1

by harrison (2011-08-12 12:20) 

fujiki

harrison 先生
過分なお言葉をありがとうございます。
不勉強で拙い点もあるかと思いますが、
また時々覗いて頂ければ幸いです。
これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2011-08-13 17:40) 

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