僕が体験した唐先生の芝居を振り返る(1985年~1986年) [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日なので、
診療所は休診です。
朝からいつものように駒沢公園まで走りに行って、
大分グダグダと日を過ごし、
それから今PCに向かっています。
先週雨で走りに行かなかったので、
今日はちょっとめげそうになりました。
ただ、ブログに書く手前そうもいかない気持ちになり、
行くことが出来ました。
皆さんありがとうございます。
これはシンプルな認知行動療法ですね。
休みの日は趣味の話題です。
先週の日曜に続いて、
僕の観た唐先生の芝居を振り返ります。
今日は1985年からです。
⑥「ジャガーの眼(初演)」(1985年春公演)
これは久しぶりに力の入った、
唐先生の芝居でした。
その映像は何度かNHKで放映されています。
状況劇場時代の公演の映像が、
ほぼトータルに残っているのは、
おそらくこれだけではないでしょうか。
メインのキャストは千野宏と田中容子のペアに、
狂言回し役の唐先生と、
対立する悪党として、
六平直政と金守珍が絡みます。
それから主に唐先生と行動と共にする、
少年役がキャストされたのが、
珍しい趣向でした。
「下谷万年町物語」を除けば、
こうした少年役が登場するのは、
この作品からだったと思います。
(誤りであればご指摘下さい)
常に紅テントのヒロインであった李礼仙は今回は休演です。
これも非常に異例のことでした。
この作品は、
その2年前に亡くなった、
寺山修司がモチーフになっています。
唐先生演じる探偵田口が、
生前の寺山修司が覗きで警察に捕まった路地に、
寺山修司が「覗かなければならなかったもの」は何だったのか、
ということを探求しに訪れるのです。
しかも、寺山修司が入院していた病院で、
彼が履いていたスリッパの一足が、
主を離れていつの間にか姿を消し、
巨大化して現われる、
というおまけ付きです。
その役を唐先生自身が演じるところに、
非常にワクワクする感じがあり、
オープニングで巨大なスリッパ探偵社に跨って、
群集をなぎ倒すように路地に雪崩れ込むオープニングは、
唐先生の戯曲の中でも、
成功した趣向の1つだと思います。
ただ、物語が進んでみると、
寺山修司の影は作品からは後退し、
3幕に唐先生自身が、
「僕は寺山さんを探しに行ったんじゃないんです」
という意味の台詞が登場します。
この裏切り方も、
如何にも唐先生、という感じです。
ヒロインの田中容子もフレッシュで良かったですし、
身体の臓器の殆どが偽物、という、
奇怪な外科医の金守珍も、
彼の役柄の中では、
最良の演技の1つだったと思います。
舞台もかなり大掛かりで、
池やプールはありませんでしたが、
ラスト路地のセットが一遍に崩れ落ちる屋台崩しは、
僕の観た中では、
文句なく一番迫力のあるものでした。
音効は映画の「キリングフィールド」から、
数曲が使われていて、
それ以外に「キカイダーゼロ1」も使っていました。
「キリングフィールド」の音楽は、
如何にも演劇の音効向きで、
他の劇団にも盛んに使われたましたが、
実際に映画を見ると、
あまり映画の場面には合っていないんですよね。
同じ頃の映画「Uボート」もそうした作品で、
そのテーマ曲は、
野田秀樹の「小指の思い出」に使われました。
⑦「ご注意あそばせ」(1985年9月番外公演)
これは唐先生が「佐川君からの手紙」で、
芥川賞を取り、
その流れで企画されたものだと思います。
テントではなく吉祥寺の劇場の公演でしたが、
僕は何故か母と一緒にこの芝居を観ました。
唐先生の芝居を母と観たのは、
この時1回だけです。
比較的地味な印象の2幕劇で、
正直大半は忘れてしまっています。
オープニングに唐先生が、
竹馬に乗って登場し、
歌を歌いながら舞台を横切りました。
唐先生の出番は、
殆どそれだけだった、という気がします。
この年李礼仙が唐先生の芝居に出たのは、
この作品だけで、
それでいてひたすら路地を彷徨うような、
地味な印象の芝居だったので、
僕は当時はかなりガッカリした覚えがあります。
ただ、今観ればまた印象は違うかも知れません。
どちらかと言えば、
私小説的な戯曲だったのだと思います。
⑧「少女都市からの呼び声(初演)」(1985年若衆公演)
1985年の秋は、
結局テントの公演はありませんでした。
その代わり「若手公演」が、
新宿の小さな劇場で行なわれました。
本当に小さな、喫茶店くらいの大きさの劇場です。
下北沢の「劇小劇場」くらいの大きさですね。
若手公演とは言っても、
要するに李礼仙と唐先生が出演しない、
というだけで後はフルメンバーでした。
ただ、唐先生は劇中には出演はしませんが、
開演前に前説で登場し、
その手に100円ライターを持って、
その仄かな炎を顔にかざして、
「この芝居は以前の『少女都市』を手直ししたものです」
のような解説をして、
「それではごゆるりと」
と言ってフッとライターの火を消すと、
暗転して芝居が始まります。
この作品は素晴らしかったですね。
多分僕が観た唐先生の舞台の中では、
この舞台がベストです。
「少女都市」は1969年に初演された、
状況劇場初期の佳作で、
満州の夢に取憑りかれた、
奇怪なマッドサイエンティストが、
雪子という少女をガラスの身体に改造しようとします。
それを雪子の兄が阻止しようとして、
悲劇が訪れる、という物語です。
初演時の戯曲は、
そこに脇筋のように、
上海ママという謎の女性が絡み、
彼女を四谷シモンが演じたのですが、
元々散漫であったその部分を、
この改作ではばっさりカットして、
その代わり元の「少女都市」の物語自体が、
ある瀕死の男の見た夢で、
その夢の中の少女が、
男の身体から転生するものの、
思い人に裏切られて消滅する、
という大枠の趣向が新たに造り上げられています。
唐先生はその後幾つかの自分の旧作に手を入れて、
新たな作品に作り変えていますが、
正直あまり成功とは言えない改作が多い、
というのが僕の印象です。
ただ、その中ではこの「少女都市からの呼び声」は、
若き日の唐先生と、
1985年当時の唐先生とが、
自分の作品を通して対話するような趣きがあり、
最も成功した改作ではないかと思っています。
この舞台は本当に演出が冴えていました。
テントと比べればちっぽけな小屋で、
別に後ろが開いて外が見える訳でもありませんし、
大掛かりなセットの組める訳でもありません。
その予算も徹底して切り詰められています。
それでいてその短い舞台の一瞬一瞬が、
本当に珠玉の宝石のように美しいのです。
それも如何にも唐先生らしい、
いかがわしく安っぽい美しさです。
セットはダンボールを切って貼っただけのものです。
色すら塗っていないのです。
その奥に蚊帳が釣ってあって、
障子が数枚並んでいます。
照明はね、バケツの中に入っているのです。
金盥やバケツが天井に吊るされていて、
その中に照明が仕込まれているのです。
ところが、
その蚊帳の奥に淡い光が入り、
満州の荒野から、
マッドサイエンティストのフランケ博士を呼ぶ声がすると、
役者の真上にあるバケツからね、
ドーンと白い光が差すのです。
それを合図に背後の蚊帳がバカっと前に、
覆いかぶさるように開くと、
後ろから日本軍の幻の兵士の一団が、
雪崩れ込んでくるのです。
エキサイティングで、本当に素敵な場面でした。
クライマックスで雪子にせがまれ、
雪子の兄は自分で自分の指を切断し、
雪子に与えるのですが、
指を切る瞬間、
今度は真っ赤な照明が、
再びバケツから差し込むのです。
音効はヴァンゲリスです。
あの場面は戦慄的で泣けました。
ラストに雪子が死ぬと、
役者全員が100円ライターを持っていて、
彼女の死に顔にライターの炎をかざすのです。
その灯りが1つずつ消され、
最後は闇に包まれて、
その見事な舞台は締め括られます。
雪子は田中容子で、
フランケ博士が金守珍、
雪子の兄が六平直政です。
そして、作家の島田雅彦が、
ちらっと客演していました。
物凄く変な節回しで台詞をしゃべるのですが、
その違和感が舞台の流れにしっくりと合っていて、
そうした「異物」の処理にも、
唐先生の才能を感じました。
⑨「ねじの回転」(1986年春公演)
これは僕は観ていないのです。
唯一逃した本公演で、
本当に無念の思いがあるのですが、
丁度行く予定の日に酷い風邪を引いてしまい、
当時は松本にいたこともあって、
そのままになってしまいました。
この作品では李礼仙が再びテントのヒロインとなったのですが、
この公演後に六平直政や金守珍などが退団し、
状況劇場は再び危機に瀕することになります。
⑩「少女仮面(再演)」(1986年秋公演)
これは観たんですが、
手元にチラシなどが残っていません。
「少女仮面」は唐先生が1969年に書き下ろした戯曲で、
この作品で岸田戯曲賞を取っています。
状況劇場でもテントで上演されています。
ヒロインは状況劇場の初演と同じ李礼仙。
初演で唐先生が演じた老婆には、
客演の川村毅、少女には同じく客演で、
黒テントの石井久美子、というキャストでした。
水道飲み男という、
初演で不破万作が演じた役柄には、
渡辺いっけいが扮していました。
(これはいっけいさんではなく、
伊藤正之さんだった、
と詳しい方からご指摘を頂きました)
唐先生自身は、
初演で麿赤児が演じた、
喫茶店の主任を演じました。
これは正直物足りない舞台でした。
ラストで外が見えることもなく、
テントの空間で観るには物足りない芝居なのです。
そして、主任を演じた唐先生が、
正直ミスキャストで舞台の濃密さを消していました。
そして、この作品を最後に状況劇場は、
その歴史の幕を閉じたのです。
今日は1985年から1986年の、
唐先生の舞台を振り返りました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日なので、
診療所は休診です。
朝からいつものように駒沢公園まで走りに行って、
大分グダグダと日を過ごし、
それから今PCに向かっています。
先週雨で走りに行かなかったので、
今日はちょっとめげそうになりました。
ただ、ブログに書く手前そうもいかない気持ちになり、
行くことが出来ました。
皆さんありがとうございます。
これはシンプルな認知行動療法ですね。
休みの日は趣味の話題です。
先週の日曜に続いて、
僕の観た唐先生の芝居を振り返ります。
今日は1985年からです。
⑥「ジャガーの眼(初演)」(1985年春公演)
これは久しぶりに力の入った、
唐先生の芝居でした。
その映像は何度かNHKで放映されています。
状況劇場時代の公演の映像が、
ほぼトータルに残っているのは、
おそらくこれだけではないでしょうか。
メインのキャストは千野宏と田中容子のペアに、
狂言回し役の唐先生と、
対立する悪党として、
六平直政と金守珍が絡みます。
それから主に唐先生と行動と共にする、
少年役がキャストされたのが、
珍しい趣向でした。
「下谷万年町物語」を除けば、
こうした少年役が登場するのは、
この作品からだったと思います。
(誤りであればご指摘下さい)
常に紅テントのヒロインであった李礼仙は今回は休演です。
これも非常に異例のことでした。
この作品は、
その2年前に亡くなった、
寺山修司がモチーフになっています。
唐先生演じる探偵田口が、
生前の寺山修司が覗きで警察に捕まった路地に、
寺山修司が「覗かなければならなかったもの」は何だったのか、
ということを探求しに訪れるのです。
しかも、寺山修司が入院していた病院で、
彼が履いていたスリッパの一足が、
主を離れていつの間にか姿を消し、
巨大化して現われる、
というおまけ付きです。
その役を唐先生自身が演じるところに、
非常にワクワクする感じがあり、
オープニングで巨大なスリッパ探偵社に跨って、
群集をなぎ倒すように路地に雪崩れ込むオープニングは、
唐先生の戯曲の中でも、
成功した趣向の1つだと思います。
ただ、物語が進んでみると、
寺山修司の影は作品からは後退し、
3幕に唐先生自身が、
「僕は寺山さんを探しに行ったんじゃないんです」
という意味の台詞が登場します。
この裏切り方も、
如何にも唐先生、という感じです。
ヒロインの田中容子もフレッシュで良かったですし、
身体の臓器の殆どが偽物、という、
奇怪な外科医の金守珍も、
彼の役柄の中では、
最良の演技の1つだったと思います。
舞台もかなり大掛かりで、
池やプールはありませんでしたが、
ラスト路地のセットが一遍に崩れ落ちる屋台崩しは、
僕の観た中では、
文句なく一番迫力のあるものでした。
音効は映画の「キリングフィールド」から、
数曲が使われていて、
それ以外に「キカイダーゼロ1」も使っていました。
「キリングフィールド」の音楽は、
如何にも演劇の音効向きで、
他の劇団にも盛んに使われたましたが、
実際に映画を見ると、
あまり映画の場面には合っていないんですよね。
同じ頃の映画「Uボート」もそうした作品で、
そのテーマ曲は、
野田秀樹の「小指の思い出」に使われました。
⑦「ご注意あそばせ」(1985年9月番外公演)
これは唐先生が「佐川君からの手紙」で、
芥川賞を取り、
その流れで企画されたものだと思います。
テントではなく吉祥寺の劇場の公演でしたが、
僕は何故か母と一緒にこの芝居を観ました。
唐先生の芝居を母と観たのは、
この時1回だけです。
比較的地味な印象の2幕劇で、
正直大半は忘れてしまっています。
オープニングに唐先生が、
竹馬に乗って登場し、
歌を歌いながら舞台を横切りました。
唐先生の出番は、
殆どそれだけだった、という気がします。
この年李礼仙が唐先生の芝居に出たのは、
この作品だけで、
それでいてひたすら路地を彷徨うような、
地味な印象の芝居だったので、
僕は当時はかなりガッカリした覚えがあります。
ただ、今観ればまた印象は違うかも知れません。
どちらかと言えば、
私小説的な戯曲だったのだと思います。
⑧「少女都市からの呼び声(初演)」(1985年若衆公演)
1985年の秋は、
結局テントの公演はありませんでした。
その代わり「若手公演」が、
新宿の小さな劇場で行なわれました。
本当に小さな、喫茶店くらいの大きさの劇場です。
下北沢の「劇小劇場」くらいの大きさですね。
若手公演とは言っても、
要するに李礼仙と唐先生が出演しない、
というだけで後はフルメンバーでした。
ただ、唐先生は劇中には出演はしませんが、
開演前に前説で登場し、
その手に100円ライターを持って、
その仄かな炎を顔にかざして、
「この芝居は以前の『少女都市』を手直ししたものです」
のような解説をして、
「それではごゆるりと」
と言ってフッとライターの火を消すと、
暗転して芝居が始まります。
この作品は素晴らしかったですね。
多分僕が観た唐先生の舞台の中では、
この舞台がベストです。
「少女都市」は1969年に初演された、
状況劇場初期の佳作で、
満州の夢に取憑りかれた、
奇怪なマッドサイエンティストが、
雪子という少女をガラスの身体に改造しようとします。
それを雪子の兄が阻止しようとして、
悲劇が訪れる、という物語です。
初演時の戯曲は、
そこに脇筋のように、
上海ママという謎の女性が絡み、
彼女を四谷シモンが演じたのですが、
元々散漫であったその部分を、
この改作ではばっさりカットして、
その代わり元の「少女都市」の物語自体が、
ある瀕死の男の見た夢で、
その夢の中の少女が、
男の身体から転生するものの、
思い人に裏切られて消滅する、
という大枠の趣向が新たに造り上げられています。
唐先生はその後幾つかの自分の旧作に手を入れて、
新たな作品に作り変えていますが、
正直あまり成功とは言えない改作が多い、
というのが僕の印象です。
ただ、その中ではこの「少女都市からの呼び声」は、
若き日の唐先生と、
1985年当時の唐先生とが、
自分の作品を通して対話するような趣きがあり、
最も成功した改作ではないかと思っています。
この舞台は本当に演出が冴えていました。
テントと比べればちっぽけな小屋で、
別に後ろが開いて外が見える訳でもありませんし、
大掛かりなセットの組める訳でもありません。
その予算も徹底して切り詰められています。
それでいてその短い舞台の一瞬一瞬が、
本当に珠玉の宝石のように美しいのです。
それも如何にも唐先生らしい、
いかがわしく安っぽい美しさです。
セットはダンボールを切って貼っただけのものです。
色すら塗っていないのです。
その奥に蚊帳が釣ってあって、
障子が数枚並んでいます。
照明はね、バケツの中に入っているのです。
金盥やバケツが天井に吊るされていて、
その中に照明が仕込まれているのです。
ところが、
その蚊帳の奥に淡い光が入り、
満州の荒野から、
マッドサイエンティストのフランケ博士を呼ぶ声がすると、
役者の真上にあるバケツからね、
ドーンと白い光が差すのです。
それを合図に背後の蚊帳がバカっと前に、
覆いかぶさるように開くと、
後ろから日本軍の幻の兵士の一団が、
雪崩れ込んでくるのです。
エキサイティングで、本当に素敵な場面でした。
クライマックスで雪子にせがまれ、
雪子の兄は自分で自分の指を切断し、
雪子に与えるのですが、
指を切る瞬間、
今度は真っ赤な照明が、
再びバケツから差し込むのです。
音効はヴァンゲリスです。
あの場面は戦慄的で泣けました。
ラストに雪子が死ぬと、
役者全員が100円ライターを持っていて、
彼女の死に顔にライターの炎をかざすのです。
その灯りが1つずつ消され、
最後は闇に包まれて、
その見事な舞台は締め括られます。
雪子は田中容子で、
フランケ博士が金守珍、
雪子の兄が六平直政です。
そして、作家の島田雅彦が、
ちらっと客演していました。
物凄く変な節回しで台詞をしゃべるのですが、
その違和感が舞台の流れにしっくりと合っていて、
そうした「異物」の処理にも、
唐先生の才能を感じました。
⑨「ねじの回転」(1986年春公演)
これは僕は観ていないのです。
唯一逃した本公演で、
本当に無念の思いがあるのですが、
丁度行く予定の日に酷い風邪を引いてしまい、
当時は松本にいたこともあって、
そのままになってしまいました。
この作品では李礼仙が再びテントのヒロインとなったのですが、
この公演後に六平直政や金守珍などが退団し、
状況劇場は再び危機に瀕することになります。
⑩「少女仮面(再演)」(1986年秋公演)
これは観たんですが、
手元にチラシなどが残っていません。
「少女仮面」は唐先生が1969年に書き下ろした戯曲で、
この作品で岸田戯曲賞を取っています。
状況劇場でもテントで上演されています。
ヒロインは状況劇場の初演と同じ李礼仙。
初演で唐先生が演じた老婆には、
客演の川村毅、少女には同じく客演で、
黒テントの石井久美子、というキャストでした。
水道飲み男という、
初演で不破万作が演じた役柄には、
渡辺いっけいが扮していました。
(これはいっけいさんではなく、
伊藤正之さんだった、
と詳しい方からご指摘を頂きました)
唐先生自身は、
初演で麿赤児が演じた、
喫茶店の主任を演じました。
これは正直物足りない舞台でした。
ラストで外が見えることもなく、
テントの空間で観るには物足りない芝居なのです。
そして、主任を演じた唐先生が、
正直ミスキャストで舞台の濃密さを消していました。
そして、この作品を最後に状況劇場は、
その歴史の幕を閉じたのです。
今日は1985年から1986年の、
唐先生の舞台を振り返りました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2011-06-05 14:01
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コメント(5)
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細かくよく覚えていらっしゃいますね(^ ^)
唐先生の作品というかお芝居がお好きなんですね。
by yuuri37 (2011-06-05 17:33)
「少女仮面(再演)」(1986年秋公演)で水飲み男を演じたのは、渡辺いっけいさんではなく伊藤正之さんのはずです。
by nomoa (2011-06-05 20:55)
yuuri37さんへ
コメントありがとうございます。
好きなんですが、
ちょっと切なくもあるのです。
by fujiki (2011-06-05 21:22)
nomoa さんへ
ご指摘ありがとうございます。
そうですか。
お詳しいのですね。
失礼しました。
(お怒りでなければ良いのですが)
僕は今までいっけいさんだとばかり思っていました。
1人ではなく、あの再演では、
水飲み男は集団で、
ゾロゾロと出て来るんですよね。
「ストレンジャー・ザン・パラダイス」のテーマ曲が、
その度に流れていたと記憶しています。
いっけいさんはもうあの時は辞めていたのでしょうか。
「ジャガーの眼」には端役で出ていらっしゃいましたよね。
by fujiki (2011-06-05 21:28)
いつも拝見させてもらっております!
自分も唐さんが大好きなのですが、ようやく成人をした位の年齢なのでこのように昔の唐さんの芝居の感想を読むことで当時の感覚を味わっております!
またこのように唐さんの振り返りが読みたいなぁと思ってます‥2000年くらいの金井さんや厚人さんとかそういった時代のものを覚えておりましたらまたぜひ読ませて頂けますと嬉しいです!
いきなり失礼しました
by オサキ (2021-04-12 14:47)