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檻の中の生活 [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は祝日で診療所は休診です。
朝からいつものように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PC に向かっています。

僕は殆ど今テレビのニュースは見ませんが、
たまたま今朝は見ると、
あまりの醜悪さに吐き気がします。
今この社会は本当にギリギリの所に来ていて、
はっきり言えば、もう滅びつつあるのですから、
あなたは何億円の契約で、
テレビのパーソナリティをしているのかは知りませんが、
あなたの立場だってもう崖っぷちなのですから、
もっと必死であるべきなのではないですか?
この酷い有様で、冷静な内容のない言葉を、
垂れ流している場合でしょうか?
あなたの真実の言葉を、
あなたは語るべきなのではないでしょうか?
毎日不適切発現をしたって良いではないですか。
毎日クビになるくらいのことを言わなければ、
あなたの存在自体が無意味なのではないですか?

まあでも、そんなことを言ったところで、
お前はどうなんだ、と言われれば、
御免なさい、と言うだけのことなのです。

今日は雑文的な話です。

小学校から中学、高校までの時期というのは、
檻の中に定期的に閉じ込められ、
その中でどうにか生き続けることを、
強いられる期間だったように、
僕には思えます。

同じ思いの方もいるでしょうし、
そうでない学校生活を謳歌された方も、
いらっしゃると思います。

これは純粋に個人的な気分の問題で、
僕にとっての高校までの学校は、
そうした檻の中の気分でした。

人間は勿論1人では生きてはいけないのですが、
何の関連もない、
年齢が同じだというだけの子供の集団を、
檻の中に閉じ込めて、
「さあ遊べ、さあ友達を作れ」
と言うのも、
その人間の資質によっては、
かなり辛く拷問に近いものだと思います。

問題は集団の中における自分のポジションを、
どう確立するかということです。
それが一旦出来てしまえば、
「そうした立場」として、
檻の中での生活を送ることが出来ます。

それは、先生という檻の監視員とべったりの、
優等生という立場であったり、
親の毛並みの良さや権力が、
そのバックにあることにより、
身を守れる立場もあります。
身体能力に長けていることも、
それだけで1つの立場になりますし、
力のある者に擦り寄る能力も、
また1つの資質になります。

檻の中で生き残ってゆくためには、
子供ながらに自分の立場を決める必要があります。

つまり、学校という仕組みの1つの意味合いは、
有無を言わさずに、
子供に自分の生きる立場を、
決めさせる、という点にあります。

ただ、実際には自分の立ち位置を、
すぐには決めたくない、
と考える子供もいるので、
そうした子供は檻の中では孤独になり、
立場を失った子供は、
檻の中で居場所を失います。

いじめというのは、
通常そうした力学の後に起こる現象で、
檻の中の集団は、
その居場所のない子供を、
仲間とは見做さずに、
檻から排除しようとするのですが、
檻は外の大人が作ったものなので、
その子供は外に出ることが出来ず、
檻の中にもいられず外にも出られない状態が、
子供の持つ本質的な残酷さと結び付く時、
何が起こるのかは、
誰でも想像の付くところです。

僕は小学校と高校では、
結局檻の中の立場を、
決めることが出来なかったので、
かなりきつい思いを続けました。

ただ、当時はまだ大人社会の倫理のようなものが、
濃厚に子供の社会にも浸透していたので、
いじめはそれほど暴力的で陰湿な傾向は、
持ってはいませんでした。
僕はそれに救われて、
どうにか生き残ったようなものの、
今のような時代だったら、
生存は難しかったと思います。

ですから、僕は檻の中で、
その居場所を決めることの出来ない子供は、
基本的に檻に入る必要はないと思います。

つまり、学校に行く必要はないし、
それはその子供にとって、
命の危険のあることです。

ただ、成長期に規則正しい生活をすることと、
その子供にとって適切な教育を受けること、
それから無理のない運動の習慣を持つことは、
大切かつ成長にとって必要なことで、
そのための場所が確保され、
通常の「檻の中」の学校と同じように、
自由に利用出来る場所として存在することは、
間違いなく必要なことだと思います。

それがなく、家庭で引き籠もりの生活を続けることは、
別の意味で自らを檻に入れる行為だからです。

自分の集団の中での立場を、
簡単に決めることの難しい性質の子供には、
檻の中の集団生活は、
苦痛以外の何物でもなく、
時にそのことで命を落とすこともあるのですから、
僕は子供にそんなことを強制するべきではない、
と思います。

檻の監視員の役目は、
子供を檻の中に閉じ込めて置くことではなく、
檻の中で立場を鮮明に出来ず、
排除の危機にある子供を、
速やかに檻の外に出すことにこそ、
あるのではないでしょうか。

それが出来ないとしたら、
その檻は基本的には、
牢獄と同じ意味を持つ、
ということを、
監視員自ら表明したことになると思うのです。

僕はあまり学校とは良い付き合いが出来なかったので、
正直あまり良い思い出はありません。

僕は今こうした仕事をしていて、
社会に順応し難い人のお話を、
聴く機会は多いのですが、
概ね自分の不幸の原因を過去に求め、
還元すれば家庭と学校とにそれは集約されます。

親からの無視や虐待、学校でのいじめ、
それは勿論そうしたことはあると思います。
あなたは幾つかの種類の檻に入れられ、
その檻から檻を、
移動するだけの生活を送っていたからです。

しかし、端的に言えば、
生きるということは檻の中で順応するか、
檻から逃げ出すかしかないのです。

僕はあなたの不幸は、
自分が檻の中にいるのか外にいるのか、
そのことを基本的に理解していないところから、
来ているように思います。

あなたは不幸な檻の中に入れられ、
そこで順応出来なかったので、
未だに自分の立ち位置を理解出来ずにいるのです。

これは自分が確立していない、
すなわち自我が脆弱だ、
ということの別の表現です。

脆弱な自我で過去に囚われれば、
現在を失います。

あなたはいつも、
自分の不幸は過去から来ていて、
自分を変えるには過去を清算しないといけないのだ、
と言われます。

でも、僕の意見ではそれは誤りです。

あなたがまずするべきことは、
自分の今の立ち位置を確認することです。

あなたは今何処にいますか?

唐突ですが、村上春樹の「ノルウェイの森」の、
ラストの「僕は今どこにいるのだ?」
という台詞の意味は、
そうしたことなのではないかと僕は思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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コメント 10

Y.T

先生、こんにちは。
今、目が覚めたところでコメント書いています。

檻ですか・・・そうですね。
私も小学校中学年~高校初期まで居場所がありませんでした。
でも、具合が悪くて休むと「うつ病なんじゃないか?」と言って父親が異常に嫌がりました。なので、本当に具合が悪くてもなかなか休めませんでした。

結局入院して色々検査したけれど、精神的なものでしょうと言われ、
小学校高学年から高校一年まで毎週カウンセリングに通いました。
そこで、カウンセリングの先生は、ただ一緒にお菓子を作ったり、編み物をして遊んでくれただけでしたが、それが土曜日にあると思うから、なんとか一週間過ごしていました。

だけど、高校生活も半分過ぎて、カウンセリングをやめることになったときは、とても辛かったです。
本当に、いじめられている子は学校に行かなくても、他に勉強できる場所があるといいのに。。。
今でも、小学校・中学校(実家のそばなので)をみると、爆弾しかけたくなっちゃいます(過激発言ですね、すみません)。


by Y.T (2010-11-03 13:22) 

末尾ルコ(アルベール)

> 毎日クビになるくらいのことを言わなければ、
  あなたの存在自体が無意味なのではないですか?

まったく同感です。

                  RUKO


by 末尾ルコ(アルベール) (2010-11-03 19:27) 

yuuri37

最近では、まったくと言っていいほどテレビはみません。ニュース番組も見ない。こんなんでいいのかなと時々不安になるのですが、見ると、頭にきてイライラするので見ないのです。
でも、一昨日保険の外交員さんが、テレビの話題ばかり話すのですが、答えられないと、「先生は、テレビはどんなのを見るんですか?」と
「ごめんなさい。見ません」と言うと凄く驚かれてしまいました。私は、世間から孤立してしまうのではないかと、そして、居場所がなくなってしまうのではないかと・・・私は、日本の社会という檻からはみ出してしまうのかなあ
by yuuri37 (2010-11-04 01:39) 

fujiki

Y.T さんへ
コメントありがとうございます。
そうですね。
逃げることは悪いことではないし、
まっとうな逃げ場が、
あるべきではないかと思います。
by fujiki (2010-11-04 06:14) 

fujiki

RUKO さんへ
コメントありがとうございます。
テレビの皆さんも、
以前はもっと威勢が良かったのが、
最近は不安げな様子にも見えます。
by fujiki (2010-11-04 06:16) 

fujiki

yuuri37 さんへ
コメントありがとうございます。
最近は檻の規則もあやふやだし、
はみ出るくらいで良いのではないでしょうか?
ただ、檻があやふやで、
却って困っている人も、
多いのではないかと思います。
by fujiki (2010-11-04 06:18) 

midori

檻。まさしくですね。
出ても出ても、また新しい門があり、
入ったとたんガチャリと鍵を閉められる、
そんな人生のような気がしています。
by midori (2010-11-05 10:11) 

シロクマ

高校生の頃、村上春樹を貪るように読みました。当時、担任だった国語教師がかなりの村上春樹ワールドに没頭していて、現代文の授業の教材になる程でした。あの頃は、社会情勢なんて気にしていませんでしたが、当時自分が、生きる事が何なのかさえ解らない葛藤と、物語の中でそんな世界の中でもがきながら淡々と生きて行く『僕』が私とオーバーラップしていたんだと思います。1Q84を機に、また春樹を読み返していますが、あの頃より強い閉塞感で胸が苦しくなります。自分が大人になったのか?社会を意識したからなのか?社会自体が変わってしまったからなのか?わかりません。でも私は村上春樹は青春の人生のバイブルだと、そんな気がします。森山直太郎の『生きてることが辛いなら』胸に染みます。
by シロクマ (2010-11-06 02:21) 

fujiki

midori さんへ
コメントありがとうございます。
関係ありませんが、
先日は差し入れありがとうございました。
大変美味しく頂きました。
by fujiki (2010-11-06 22:02) 

fujiki

シロクマさんへ
コメントありがとうございます。
「ノルウェイの森」を映画化なんてしないで欲しいな、
どうせ飛行機の中でオイオイ泣く場面から、
始まるんだろうし、
などと思いますが、
色々と事情もあるのでしょうし、
仕方がないのかも知れません。
by fujiki (2010-11-06 22:15) 

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