「寛容」ということ [身辺雑記]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
いつものように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
今日は雑記的な話です。
人間の本質は何かと考えると、
僕は最近「寛容」という言葉が頭に浮かびます。
「寛容」というのは、
ある時は「赦す」という言葉と同義語になります。
またある時は、「見逃す」という言葉と、
更に別の時には「大目に見る」という言葉に、
より近いニュアンスを持ちます。
俺は俺1人だけの力で生きて来たんだ、
と言う人がいますが、
それは一面の事実ではあっても、
その人も日々誰かに「赦されて」はいる筈です。
それはその人が自覚しないだけであって、
人間が生きているとは、
常にそうしたことであるからです。
僕も昨日1日の生活を考えてみても、
多くの人の「寛容」の恩恵を受け、
多くの人に「赦される」ことで、
辛うじてその生活を全うして、
今日という日を迎えることが出来たのだ、
という気がします。
診察中に僕の言動に、
腹の立った患者さんもいたと思いますし、
道で擦れ違って、
僕の顔が気に入らない、
と思った人もいた筈です。
しかし、それを「大目に見て」くれることで、
僕の生活は成り立っているのです。
「寛容」の度合いは人によっても違い、
またどのような行為に対して「寛容」の度合いが高く、
どのような行為には「非寛容」の態度を取り易いかは、
その人の人間性を決定する、
重要な要素です。
つまり、人間の本質は、
その人が何を「赦し」
何を「赦さない」かで決まります。
全てを「赦さない」人も、
全てを「赦す」人も、
仮定の話としては存在しますが、
現実には存在しません。
そうした人はその存在自体を、
この世界では許されないからです。
非常な孤独と絶望とを感じ、
この世界の誰とも繋がりを感じられない人も、
実際には日々誰かに「赦されて」はいる筈です。
人間は日々「赦されて」いるので、
そのことの責任は感じる必要があるのです。
人間が生きなければならないのは、
日々誰かに「赦されて」いるからで、
そのために誰かを「赦す」ことが、
あなたが生きていることの意味なのです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
いつものように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
今日は雑記的な話です。
人間の本質は何かと考えると、
僕は最近「寛容」という言葉が頭に浮かびます。
「寛容」というのは、
ある時は「赦す」という言葉と同義語になります。
またある時は、「見逃す」という言葉と、
更に別の時には「大目に見る」という言葉に、
より近いニュアンスを持ちます。
俺は俺1人だけの力で生きて来たんだ、
と言う人がいますが、
それは一面の事実ではあっても、
その人も日々誰かに「赦されて」はいる筈です。
それはその人が自覚しないだけであって、
人間が生きているとは、
常にそうしたことであるからです。
僕も昨日1日の生活を考えてみても、
多くの人の「寛容」の恩恵を受け、
多くの人に「赦される」ことで、
辛うじてその生活を全うして、
今日という日を迎えることが出来たのだ、
という気がします。
診察中に僕の言動に、
腹の立った患者さんもいたと思いますし、
道で擦れ違って、
僕の顔が気に入らない、
と思った人もいた筈です。
しかし、それを「大目に見て」くれることで、
僕の生活は成り立っているのです。
「寛容」の度合いは人によっても違い、
またどのような行為に対して「寛容」の度合いが高く、
どのような行為には「非寛容」の態度を取り易いかは、
その人の人間性を決定する、
重要な要素です。
つまり、人間の本質は、
その人が何を「赦し」
何を「赦さない」かで決まります。
全てを「赦さない」人も、
全てを「赦す」人も、
仮定の話としては存在しますが、
現実には存在しません。
そうした人はその存在自体を、
この世界では許されないからです。
非常な孤独と絶望とを感じ、
この世界の誰とも繋がりを感じられない人も、
実際には日々誰かに「赦されて」はいる筈です。
人間は日々「赦されて」いるので、
そのことの責任は感じる必要があるのです。
人間が生きなければならないのは、
日々誰かに「赦されて」いるからで、
そのために誰かを「赦す」ことが、
あなたが生きていることの意味なのです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2010-10-24 10:30
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昨日のお話ですが、先生が言われるとおり近隣の基幹病院の方が本人にも、家族にも負担が少ないですね。
本日の話題で、
どうしても合わない人(自分の話す言葉が誤解されて受け取られてしまう、いつも本意が伝わらない)と同じ仕事場で毎日仕事をしていて、何度も「寛容」を自分に言い聞かせていくと、数年経ちその人に対して「無関心」の状態になっていることに気付きました。
これは自分でもあってほしくない状況ですが、良い方法がみつかりません。先生、助言をお願いいたします。
by hiiragiyama (2010-10-24 21:48)
こうして、悩み苦しみ・・・そして笑い楽しむことができることに、感謝。まだまだ、生きていたいです。どうかもうしばらく、この世に存在することをお赦しください。
私はいつもそう言って、目を閉じます。では、おやすみなさい!
by yuuri37 (2010-10-25 01:56)
私は現在、様々な支援を受けて、人との繋がりに助けられながら生活しているのだ、という実感はしっかりと持っています。しかし同時に、こんなに無能で非生産的な人間が生きていてよいのか、とも思います。
少しでも前向きな気持ちが残っているのなら、この世に存在する事も許されるでしょうが、思考のすべてが後ろ向きです。
投げやりになって生きる努力をしようとしないのは傲慢。
でもどうする事も出来ず、狭い環の中で思考が空回りしています。
ただの我が儘に聞こえかたかもしれませんが、内科に入院して身体状態をよくしたい、というのは私にとって唯一残った、前向きな部分でした。伝わらなくて残念です。
(私は「赦」という字が好きではない&恐いので(漢字本来の意味も含めて)、「許す」を使いました。)
by 永遠の通りすがり (2010-10-25 05:18)
hiiragiyama さんへ
コメントありがとうございます。
記事のニュアンスは、
意図的なものではなく、
無意識の態度、くらいのイメージです。
どうしても意識してしまう時は、
矢張り距離を取るのが一番だと思いますので、
そのための「無関心」は仕方のないことなのではないか、
と思います。
時期が来れば、また距離を縮められる機会も、
あるのではないでしょうか。
by fujiki (2010-10-25 08:50)
yuuri 37さんへ
コメントありがとうございます。
僕ももう少し頑張るつもりです。
もうちょっとボンヤリ出来る時間があれば、
うれしいのですが…
by fujiki (2010-10-25 08:53)
永遠の通りすがりさんへ
また今度お話をさせて下さい。
あなたは決してお一人ではないのですし、
あなたをご心配されている方は、
沢山いらっしゃるのですから、
(僕もその1人ではあるつもりです)
ケースワーカーさんや保健士さんにも、
それからご親戚の方にも、
本音でご相談してみると良いのでは、と思うのですが…
by fujiki (2010-10-25 09:01)
この記事を読ませて頂いて
昨日から色々考えています。
結局上手く表現出来ませんが…
ちょっと救われた感じがします。
☆有難うございます☆
by acco (2010-10-25 20:45)
acco さんへ
思い付きの不出来な記事ですが、
何か少しでもacco さんに届くものがあったとしたら、
それは非常に嬉しく思います。
真実などと言うとおこがましいのですが、
見えない何かに時々かすったように思えることがあり、
それを大切にしたいとは思っています。
良い景色が見えるといいですね。
by fujiki (2010-10-25 21:15)