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アリセプトの話 [医療のトピック]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

アリセプト(塩酸ドメペジル)は、
現時点で日本で使用出来る、
唯一の認知症の薬です。

これは日本発の薬で、
開発した製薬会社の研究者が、
異例の出世を遂げたことでも有名です。

アリセプトはアセチルコリンを分解する酵素である、
アセチルコリンエステラーゼという酵素の阻害剤です。
アセチルコリンは脳の中の神経伝達物質の1つです。
この伝達物質が脳の中で低下することが、
アルツハイマー型認知症の特徴の1つとされていて、
この薬はアセチルコリンの脳での分解を抑えることにより、
脳の中のアセチルコリンを増やし、
そのことによってアルツハイマー型認知症の進行を、
遅らせることが、その創薬の成り立ちです。

アセチルコリンエステラーゼを阻害する薬は、
アリセプトが初めてではありません。
ただ、従来の薬は全身に作用を及ぼします。
アセチルコリンは副交感神経の、
主要な伝達物質でもあるからです。

アセチルコリンの作用が全身的に強くなると、
一体何が起こるでしょうか?

これをコリン作動性クリーゼと言って、
脈は遅くなり、瞳孔は縮み、汗やよだれが流れるように出て、
酷い下痢になります。
そして、悪化すれば呼吸する筋肉が麻痺して、
最悪は死に至るのです。
これはオウム事件で使われたサリンや、
有機リン系の農薬の中毒と同じ症状です。
こうした薬剤も、コリンエステラーゼを妨害することにより、
その効果を現わすからです。

では、何故アリセプトは脳のみに効果を現わし、
身体の筋肉を麻痺させたりはしないのでしょうか?

その一応の理屈はこうです。

コリンエステラーゼには、
アセチルコリンエステラーゼと、
ブチリルコリンエステラーゼの2種類があり、
その両方が妨害されると全身的な作用が大きくなるのですが、
アセチルコリンエステラーゼのみが妨害されても、
全身的な作用は少ないことが分かっています。
脳で働くのもアセチルコリンエステラーゼだけです。

アリセプトは、このアセチルコリンエステラーゼに主に作用し、
ブチリルコリンエステラーゼには殆ど作用しないのです。
このことと、脳内に移行し易いことより、
アリセプトにはコリン作動性クリーゼのような副作用は、
非常に少ないと考えられています。

しかし、アリセプトを使用すると、
下痢や吐き気の副作用が、
特に飲み始めに多いことが知られています。
これは明らかに身体のアセチルコリンが、
過剰になったことによる症状です。

従って、厳密な意味でアリセプトは脳のみに働く薬ではないのです。
これは、この薬のことを考える上で、
是非押さえておかなければならない、
ポイントの1つです。

アリセプトの通常の使用法は、
1日3mgで開始し、副作用の有無を確認の上、
5mgに増量維持します。
2008年に使用法の改訂があり、
重症例では、1日10mgまでの増量が認められました。

この薬の使用法については、
専門家の間にも幾つかの見解の相違があり、
また使用そのものに批判的な意見もあります。

この薬を使用すると、患者さんによっては、
情動が亢進し、興奮したり、怒りっぽくなったり、
衝動的で暴力的になるような症状が、
比較的速やかに出現することがあります。
僕の経験した事例でも、
通常飲み始め数日以内に、
こうした変化が現われます。

この場合、これは薬が効いているサインなのだから、
継続して様子をみるべきだ、という意見がある一方で、
情動が亢進するということは、
アセチルコリンが過剰になっている、と考えるべきで、
処方量を減量して、
症状が治まる時点を適正な量と考えるべきだ、
という意見もあります。
興奮する時期には抗精神病薬や安定剤を少量使って、
しのぐのが良いのだ、という意見の医者もいます。

重度の認知症と診断された場合に限って、
10mgへの増量が認められている訳ですが、
その基準もはなはだ曖昧で、
明確な検査上の基準がある訳ではなく、
仮にあったとしても、
煩雑で時間が掛かるため、
少なくとも外来の診療で行なわれることは、
まずありません。
介護されているご家族の意見などを聞いて、
「最近具合が悪く困っているんです」
と言われれば、
「それじゃ増やしてみましょうか」
くらいで決まってしまうことが殆どです。
ある先生は「服を自分で着れなくなったら10mgに増やすのがいい」
との意見を開陳されていますが、
それはその患者さんの生活環境にもよりますし、
ご家族や介護者の意見のみに左右されることにもなるのですから、
あまり適切なアドバイスとは僕には思えません。

この薬は基本的には、
脳内のアセチルコリンの伝達を、
維持することが作用なので、
本来劇的な改善は望めない筈です。
しかし、実際には特に高用量で、
劇的に改善するケースがしばしば報告されており、
それまで全く周囲とコミュニケーションの取れない状態であったのに、
薬を飲み始めてしばらくすると、
普段出来なかった会話が可能になった、
などという事例が報告されています。

もしそれが事実とすれば、
通常のアセチルコリンの維持作用とは別個のメカニズムが、
この薬には存在する、ということになります。
しかし、それは一体何でしょうか?
僕の知る限りその点を明確に説明し実証したような報告は、
全くありません。

更にこの薬は本来、アルツハイマー型認知症のみに、
進展を抑えるだけの効果のある薬の筈です。
しかし、実際には他の認知症にも広く使われているのが、
実状です。
脳血管性認知症に関しては、
2004年に海外で臨床試験が行なわれ、
この薬を使用した方が有意に死亡率が高かったため、
海外での脳血管性認知症の適応が取り下げられた、
という経緯があります。
ただ、現実的には脳血管性認知症にも、
ある程度の効果が望める、として、
多くの患者さんで使用されているのが現実です。
レビー小体型認知症においても、
著効例の報告があり、
積極的に使用されている先生もあります。

以上まとめますと、以下のようになります。

アリセプトの使用における問題点は、
当初の使用法を離れて、
あまり根拠なくアルツハイマー型認知症以外の病気に、
やや安易に使用されているきらいがあることと、
その使用量や使用法に、
個々の医者の間で、開きがあり過ぎることです。
またその効果の物差しが、
明確な検査値などの客観的な基準を持たず、
患者さん自身の所見よりも、
むしろ介護者の視点から判断されることが多い点も、
問題だという気がします。
そこには「患者さんにとっての病状」という視点が、
決定的に欠けています。
介護者にとって望ましい状況が、
必ずしも患者さん本人にとって、
望ましい変化であるかどうかは、
分からないことだからです。

認知症が軽症であれば、
患者さん本人の視点が、
何より重要なものになるでしょう。
しかし、認知症が高度になれば、
患者さん本人にとって、
望ましい治療とは何かを、
本人に確認することは困難になります。
その時点では神ならぬ人間による治療は、
本人の視点から、介護者やご家族の視点に、
変化せざるを得なくなる訳です。

認知症の治療の本質的な問題点はこの部分です。

ある地点を過ぎると、
本人以外の利害のために、
治療が行なわれるのです。

しかし、これは本当に正しいことでしょうか?

本人の意思が確認出来なくなった段階で、
医療行為は中止すべきだ、という考え方も、
同時に成り立つのではないでしょうか?

アリセプトの使用マニュアルに決して書いていないことは、
この転換点に医者がするべきことは何か、
ということです。

明日はその点について、
僕自身の考え方をお話したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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コメント 4

けろきち

アリセプトといえば、ゼリー剤の国内での製造販売承認が
おりたようですね。
介護する側から見れば、さらに服用させやすくなったのでは
ないでしょうか。

効果のほどは別として、「まずアリセプト」的な流れは、もう少し
続くような気がしますが・・・。


by けろきち (2009-07-23 16:20) 

fujiki

けろきちさんへ
コメントありがとうございます。
「取り敢えずアリセプト」といった状況には、
あまりにマニュアル化されていて、
正直違和感を覚えます。
by fujiki (2009-07-23 19:28) 

hiiragiyama

アルツハイマー型認知症の治療でアリセプトを使用されてまもなく「これまでなかった奇声」を発したから服用を中止しましたと患者さんの奥さんが言われ、何かほかに薬がないかしら?と話されます。まだ初期でどうにかできないかしらとお考えだと思います。
製薬会社に聞いてみると、副作用の言葉の表現のしかたが難しい(たとえば興奮、異常行動ともとられる)からないとは言えないとの答えでした。
現在のことろ他に効果のある薬はありませんが(抑肝散の処方をみることはありますが)、先生は家族のかたの精神的なバックアップはいかになさっていらっしゃいますか?
by hiiragiyama (2010-10-28 22:02) 

fujiki

hiiragiyama さんへ
コメントありがとうございます。
ご家族の理解があり、
常時患者さんを見守れるような環境であれば、
一時的な興奮や言動の異常は、
粘って様子を見ると、徐々に取れてきて、
症状自体も改善する事例はあります。
ただ、そうなるか、却って悪化するだけかは、
事前に判断することは困難で、
ご家族が不安に思われるような状況では、
僕は早期に一旦は中止するのが、
適切ではないかと考えて対応しています。
by fujiki (2010-10-28 22:31) 

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