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20歳に死ぬということ [フィクション]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は休みで、
朝から鮫洲の試験場に免許の更新に行きました。
これからは家でのんびりするつもりです。

今日はちょっと僕の昔話を聞いて下さい。

今放送されている、
「ラブシャッフル」というドラマには、
「私、20歳の誕生日に死ぬわ」
と話す少女が登場しますが、
実は昔僕は同じセリフを実際に聞いたことがあります。

それは大学2年の春のことで、
彼女は同級生の色白の少女でした。

演劇に入れ込んでいた僕は、
春の定期公演のチケットを、
たまたま講義の控え室で会った、
それまで殆ど話したこともなかった彼女に売り、
その日は公演の最終日でした。
そして、2時間目からの授業に間に合うように、
まだ1時間目の授業中に控え室に入ると、
そこに1人だけいたのが彼女でした。

僕が入るのとほぼ同時に、
ジェラルミンの煤けた机の前に座っていた彼女は、
すっと僕の方を見上げました。
そして、「重役出勤ね」、
と自分の方から僕に声を掛けたのです。
窓から差し込む午前中の白い日差しが、
彼女の右の頬の肌を、
普段より白い輝きに染めていました。
それがちょっと尋常ではない色に思えて、
僕は何となく背中が粟立つのを感じたのです。

「Rさんはどうして?」
僕が言うと、彼女は一瞬当惑したような表情を浮かべてから、
あまり自然とは言えない笑顔を見せ、
「○○学はいつも出ないと決めているの」
と、何か意味あり気に言葉を継ぎました。
「でも、わたしは計算してるから大丈夫だけど、
石原君はまずいんじゃないの」
「うん。まずい」
「今のペースじゃ留年するわよ」
そう、演劇の公演の一ヶ月前くらいには、
殆ど講義に姿を見せなくなる、
僕は極め付きの不真面目な生徒でした。

僕が何も言わないでいると、
彼女はもう一度、
料理下手な女の子が、
ヴァレンタインに無理矢理作った、
チョコレートのような笑顔を見せました。

「まだ時間があるから、ちょっとそこに座って」
と、自分の隣のイスを顎でしゃくります。
僕が腰を掛ける時に、
ちらと彼女の目の前に広げられた大学ノートを見ると、
そこには無地のページの中に、
一本の木の絵だけが、
大きく描かれていました。

何か悪いものを見てしまったように思って、
すぐに目を逸らすと、
彼女は逆にその絵を、
ぐいと僕の方へと差出しました。
「好きな木の絵を描きなさい、ってテストがあるでしょ」
「ああ。何となく聞いたことはある」
「バウムテストって言うの。
私の描いた絵はこれ。
木の幹が細くて、
下の地面が描いてないでしょ」
「うん」
「心を病んでる証拠なのよ」

僕は何と答えていいのか分からず、
思わず彼女の顔を見ました。
と、彼女はすぐに話題を変え、
「昨日石原君のお芝居に行ったわ」
と言いました。
「どうでした?」
「変な感じが石原君に合ってて良かったわ」
演目は鴻上尚史の「デ・ジャヴ」。
僕はETというかき回し役の、
コメディリリーフでの出演でした。
「Help Me!と叫ぶのはどんな気持ち?」
「えっ」
僕は再び絶句しました。
確かにその戯曲の中で、
空から落下傘で登場する僕は、
いきなり英語で「Help Me!」と叫びます。
でも、それは一種のギャグです。
役作りの上で演じるような場面ではありません。

「どうってこともないけど」
漸く僕がこう言うと、彼女はちょっと目を細めて、
「あれを聞いてとても羨ましかったの。
私も助けてって、大声で叫びたいわ」
と言葉を継ぎました。

本来はここまで言われれば、
僕の方がもっと彼女に、
その理由を問いただしても良い所です。
でも、極め付きの鈍感でもあった僕は、
そのまま黙って彼女の次の言葉を待ちました。

妙に緊張感のある静寂が辺りに満ちて、
それから彼女は窓の方に目を移しながら、
ぽつりと、
「私、今度の日曜日に20歳になるの。
その日に死ぬと決めているの」
と言ったのです。

そのある意味衝撃的な一言が、
僕には何故か「今日のお昼何処へ行く?」、
と言ったやり取りと同じくらい、
自然なもののように聞こえました。
ただ、ある種舞台に上がったような非現実感があって、
同時に僕の腹は決まったような気もしたのです。

「でも、どうして」
「じゃ、どうして生きていないといけないの」
「20歳じゃ早過ぎる」
「じゃ、何歳なら死んでもいいの?
しわしわのおばあちゃんになったら、
許してくれた訳?」
「僕が決めることじゃない」
不意にそこで間が空いて、
それで僕は失言をしたのが分かりました。
「分かってないのね」
「これからいいことがあるかも知れない」
「ないかも知れないわ」
「何か遣り残したことはないの?」
「ないわ」
今から考えると馬鹿げたことですが、
その言葉を発した彼女の薄く小さな口元が、
僕に次の一言を言わせたのです。

「セックスしたことは?」
「…ないわ」
「じゃ、死ぬ前に僕が君とセックスをするよ」
「嘘」
「嘘じゃないさ。日曜日に君の家に行くよ。
君の決意がどうしても変わらないのなら、
僕はそれ以上は何も言わない。
でも、処女で死ぬのは詰まらないじゃないか」
僕がこう言うと、
彼女は僕を吟味するかのように目を細めました。
「私、汚れてるのよ」
そして、こう言葉を継ぎます。
「どういう意味?」
「○○学の教室に、今時々遊びに行ってるの。
テニス部の先輩が助教授でね、
その誘いで行って研究を手伝ったりして。
一昨日の夜、帰りに先輩が送ってくれることになって、
駐車場の暗がりでね、
急にキスをされたの」
「キスだけ?」
「ええ」
「なら…」
「でも信じられなかったの。先生なのよ。奥さんもいるのに。
こんなことが有り得るなんて、
信じられない気がしたの。不潔だわ」
「でも、僕は今キスじゃなくて、
セックスをしよう、と言ったんだよ。
何で僕には怒らないの?」
「それは…」
彼女は間合いを取って僕を見つめ、
「石原君のことは好きだから」
と何かを搾り出すように口にしたのです。

彼女が本当に死にたい原因が何なのか、
僕にはよく分かりませんでした。
でも僕がその時に言ったことには嘘はありません。
彼女は自分のノートの1ページに、
自分の借りているアパートの地図を描いて、
そのページを破ると僕に渡しました。
時間は夜の7時と決め、
それまでは死なないと彼女も約束しました。
もう少し話をしたかったのですが、
その時1時間目の講義は終わって、
他のクラスメートがどやどやと入って来たので、
話はそれきりになりました。

そして、その3日後の日曜日のことです。
馬鹿な僕は昼から銭湯に行き、
それから夕方には精力を付けようと、
生卵を3個飲みました。
携帯電話など勿論なかった頃で、
事前の連絡は取れません。

春にしては寒い日の夜は、
6時半にはとっぷりと暮れて、
薄曇りの空は墨を流したような暗さです。
15分前には家を出て、
畑の中の道を、
地図を見ながら進みました。
バックの中には1冊の戯曲を入れました。
寺山修司の「地球空洞説」。
そこに収められている「盲人書簡上海編」の、
1シーンを、彼女と演じてみたいという思いが、
僕にはあったのです。
本当に馬鹿ですね。
そして妙にロマンチストでもあったのです。

松本清張に「たづたづし」という短編があります。
一種の夜這いの話なのですが、
それを読む度にあの時の畑の中の、
曲がりくねった道のことを思い出します。
途中で家並みは途切れ、
一応舗装はされているのですが、
畑の中をたった1人で進んでいくのです。
辺りはほぼ真の闇です。
遠くに頼りなげな灯りが見えて、
それを目標に歩くのですが、
近寄って見ると、
家ではなくただの外灯だったりもするのです。

それでも漸く彼女のアパートに着きました。
普通のやや大きめの2階家で、
1階はどうやら管理人さんの自宅で、
2階が彼女の借りている部屋のようです。
外付けの階段を昇り、
ブザーを押すと、
しばらくして彼女が出て来ました。

見るとたたきには、
明らかに彼女のものとは違う、
2足の靴が置かれています。

何となく嫌な気分になりながら奥に入ると、
彼女のご両親と思しき中年の夫婦が、
揃って僕の方を見上げました。
「石原君が来てくれたんだから、
もういいから早く帰って」
と、彼女はきつくご両親に言います。
気の弱そうなご両親は、僕に向かって何度も頭を下げ、
「娘をよろしく」と言って帰って行きました。

それから僕達は、
六畳間の座卓に向かい合って座りました。
「今日死ぬことをご両親に言ったの?」
と僕が言うと、
「そう。来なくていいと言うのにわざわざ来たのよ」
と苛立ったように言います。

それから僕達がどんな話をしたのかは、
今ではあまり覚えていません。
ただ、僕がこうして来た時点で、
彼女にはもう死ぬ気はなくなったのだ、
ということは分かりました。
お芝居の1シーンを演じようと提案すると、
彼女は即座に否定しました。
彼女が生きているのはあくまでリアルな世界で、
僕の方が幻想を抱いてこの場所にいるのだ、
ということが何となく分かって来ました。
そのうちにゆっくりと夜は明け、
彼女の死の機会は失われました。

セックスの話は、
僕の方からも彼女の方からも切り出されず、
僕はただお茶を飲んで話をしただけで、
翌朝彼女の家を辞したのです。

それから何度か、僕達は逢いました。
ただ、人と付き合うということが、
どういう意味を持つことかにまだ無自覚であった僕は、
彼女の思いに応えることが出来ませんでした。
彼女を思う気持ちが、
僕になかった訳ではありません。
でも、彼女の死を救った、という自己満足の方が、
より大きかったのだ、という気がします。
何度目かの出逢いの時に、
僕達は衝突し、
それから現在に至るまで、
僕と彼女は2人だけで逢ったことはありません。
大学卒業とともに、
彼女は大学を離れ、僕は大学に残ったので、
偶然出逢うような機会も失われました。
彼女は僕に失望し、深く傷付いたのだと思います。

彼女に「20歳の死」を宣告された時、
本当はどうすれば良かったのか、
と今でも悩むことがあります。
受け止めるという心からの気持ちがなければ、
行くべきではなかったのかも知れません。

これは僕にとっての永遠の宿題の1つです。

ええと、今日の記事はフィクションとしてお読み下さい。
でも、この世に誰1人として、
自分で死んでいい人間は決していません。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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コメント 4

tanico

フィクションとして・・・というお言葉に甘えて?、まるで村上春樹の短編を読んでいるような気分で読ませていただきました。
品の無い言い方になってしまいますが、そういう、いわゆるドラマになりそうな話って、時々ほんとにあるんですよね。
なんにせよ、その方が、死ぬことがなくてよかったと思います!

by tanico (2009-03-09 13:13) 

fujiki

tanicoさんへ
いつもありがとうございます。
ブログのテーマにそぐわない気もしたのですが、
たまにはこういうものもいいかと思って。
内容の性質上、
細かいコメントは差し控えます。
by fujiki (2009-03-09 20:12) 

midori

深夜のせいもあるかもしれませんが(現在2:22),
引き込まれました.
by midori (2009-08-23 02:22) 

fujiki

midori さんへ
コメントありがとうございます。
そう言って頂けると嬉しいです。

by fujiki (2009-08-23 16:31) 

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