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歌舞伎の話 [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は休みなので、
趣味の話です。

歌舞伎は一時はかなり入れ込みましたが、
今は殆ど行きません。
勿論仕事で時間のないのが一番ですが、
時間があってもしばらくはいいかな、
という感じです。

一番嫌なのは、
真面目に見ている客より、
寝たり騒いだりしている客の方が、
遥かに多いという客席の雰囲気ですね。
客のマナーの悪さを、
ブログで怒ったりされている方もいらっしゃいますが、
演劇というのは客席もその一部なのですから、
歌舞伎とはそうしたものだ、
というのが現実なんだと僕は思います。
大して興味のない人にも見てもらわないと、
興行として成立しない、
という資本主義の悲しさでもありますね。

市川猿之助と玉三郎が好きだったんですが、
猿之助はもう何年も病気で舞台には立てない状態ですし、
玉三郎は勿論まだ現役ですが、
基本的に姿の美しさで見せるタイプなので、
以前の良かった時の記憶を、
頭の中に刻んでおいた方がいいかな、
という感じです。
彼は稀代の女形ではあると思いますが、
所謂「老女形」になるタイプではない、
と思うからです。

その昔三島由紀夫が自作の歌舞伎、
「椿説弓張月」に玉三郎を抜擢した時、
男を血みどろの責め苦に遭わせ、
それをきっと立ったまま見詰めていて、
最後に一言、
「屍は狼の餌食にしや」、
これで退場して出番はほぼお終いという役でした。
これなどは、さすが三島由紀夫、と言う感じで、
彼の良さを見事に生かした配役でしたね。
要するに女形というのは、
自分の中にある男を捨て、
それに責め苦を与えて、
外から見ているような存在だ、
ということなのです。
面白い発想でしょ。
再演時のこの場面は、
僕の頭の中にも焼きついています。
それで、もういいかな、
という思いがあって、玉三郎はその後見ていません。

猿之助は歌舞伎の本質と、その将来性を見据えていた、
最後の役者であり演出家であったと思います。
今でも歌舞伎役者として優れた人は、
沢山いると思いますが、
古典演劇というのは、
基本的に自分の演出は自分で出来ないといけないのです。
要は役者であると同時に、
演出家でなくてはいけないのです。
そうしたことの本当に出来ていたのは、
猿之助で最後ですね。
勘三郎も海老蔵も、
他人の演出に自分を任せているのです。
それが、歌舞伎に愛情など欠片もない、
野田秀樹や串田和美なのですから、
お話になりません。
こうしたことを続けていれば、
間違いなく歌舞伎は滅びます。

でも、それでいいのかも知れませんね。
滅ぶ寸前には、
意外に光芒を放って、
見事な舞台が出現する可能性もあります。
その時には見に行ければいいかな、
とも思います。

今日はちょっと私的な歌舞伎の話でした。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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