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「認知行動療法」についての私見 [医療のトピック]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は午後の診療は5時半で終わります。
受診予定の方はご注意下さい。

それでは、今日の話題です。

主にうつ病をターゲットにした、
認知療法の携帯サイトが、
昨日から配信されましたね。

この分野の第一人者の大野裕先生の監修で、
さすがになかなかうまく出来ています。

認知行動療法について、
僕が始めて知ったのは、
1980年代の後半、
僕が大学病院の医局にいた頃です。

神経性食思不振症の患者さんを担当して、
なかなか手掛かりが得られず、
丁度九州大学の心療内科で勉強された、
という先生がいらっしゃって、
その先生の勉強会で話を聞いたのです。

神経性食思不振症の場合、
入院してもらうと、
完全に外界との接触を絶ち、
面会することも電話することも禁止されます。
今なら携帯やネットの使用も一切禁止ですね。
そうしておいて体重を測り、
それが少し増えるごとに、
ご褒美のようにその制限を解除していくのです。

行動制限療法、のような言い方をすることがありますね。
神経性食思不振症への、
行動療法的なアプローチの1つです。

何か変な治療だな、と僕は思いました。

そんなことをして、
無理矢理に体重を増やしても、
意味がないじゃないか、と思ったのです。

ただ、問題はそうして強制的に身体の状態を変えることにより、
「痩せなければならない」という、
切迫した考え方を、
変化させるきっかけにしよう、
ということなのですね。
考えの枠組みを変えてしまおう、
というのが認知療法の考え方です。
「認知」とは、言ってみれば、
考えの癖のようなものですね。
人間は色々なことを自由に考えているようで、
ある癖に支配され、
同じような考えの檻から、
出られないことの多い生き物なのです。
その癖を修正しようという訳なのですね。
誤解を承知で言えば、
これも一種の洗脳の技法です。

行動療法と認知療法というのは、
本来は別の方法です。
行動療法の方が歴史が古く、
目に見えない心理を推測するのではなく、
目に見える実際の行動のみにターゲットを当てて、
条件反射の原理で行動の修正を図る、
という方法です。
上の例で言えば、
体重を増やすという行動に対して、
活動の制限を解除する、
というご褒美を与えることによって、
行動を修正していく訳です。
しかし、行動とは結局「こうしよう」、
という考えによって起こるものですから、
考え方の変更がなければ、
うまくいきません。
そのために、行動療法を行ないながら、
考えの枠組みの修正も同時に行なう、
という考え方が主流になりました。
「考えの枠組みを変える」というのは、
要するに認知療法のことですから、
これを「認知行動療法」と呼んだのです。

認知療法には色々な方法がありますが、
体重が増えて体調が良くなることが、
「体重が増えれば私は終わりだ」という考えの癖に、
反逆するのを期待する点では一緒です。
それが患者さんにとっての「気付き」になれば、
そこから、
認知の修正へのきっかけが生まれるのです。

「気付き」というのは、
本来は自分自身で探すべきものです。

気持ちが変わった、と思える瞬間は、
多分皆さんが誰でも経験したことのあるものですよね。
同じ窓からの同じ風景が、
全く違った色に塗り替えられたようなあの気分。
その時に一体何が起こったのか、
を考えることは、
おそらく全ての心の病の謎を解く鍵になる筈です。

しかし、マニュアル化された「認知行動療法」は、
時に単なる洗脳に堕する危険を孕んでいます。
よく「すべし思考」と言って、
何でも「しなければならない」と考えることは、
認知の歪みだと説明されます。
でも、本当に常にそうでしょうか?
「すべきである」という目標を持つことは、
時にはその人間を高める意味合いを持つのではないのでしょうか。
問題はその人の個々の自我の強さや能力に、
見合った考えの癖を持っているかどうか、
ということの筈です。
それなら、個々の認知の修正のされ方と、
その目標とは、
その個人ごとに全く違っている筈です。
それが、マニュアル化されることによって、
同じ症状であれば、
同じ認知の歪みがあり、
同じように修正されなければならない、
といったマニュアルで治療されるとすれば、
それは修正ではなく、
一種の洗脳だと、
僕には思えます。

心の均衡を崩している方は、
「他人に助けてもらいたい」という気持ちを、
非常に強く持っているものです。
認知行動療法が、
その助けてくれる「他人」の役割を果たすことは、
決して悪いことではないのですが、
問題はそれをどうやって、
その人自身の自我の強化に結び付けていくか、
ということですね。
外から与えられた思考の枠組みは、
所詮は一時の借り物でしかないからです。

問題の本質はその辺りにありそうだ、
と思うのですが、
皆さんはどうお考えになりますか?

それでは今日はこのくらいで。
明日は僕が今模索している認知療法について、
ちょっとご説明したいと思います。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

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