医者のペルソナについての一考察 [悪口]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は暑くなりそうですね。
気温の変動が大きく、体調を崩しやすいので、
ご注意下さい。
今日は胃カメラの日なので、カルテのチェックをして、
今PCに向かっています。
さて、今日の話題です。
まず、前置きから。
ペルソナとは、仮面のことで、
ユング心理学のお馴染みの概念の1つです。
社会においてイメージされる役割のようなものが、
深層心理にコンプレックスを作っていて、
それが、時に自我よりも巨大な存在となって、
自我を呑み込みます。
会社人間が退職したら、抜け殻のようになるのは、
会社人間としてのペルソナが肥大していて、
それが外れると、自分が何者であるのかが、
分からなくなってしまうせいなのだ、
という風に使います。
医者という人種がペルソナに支配されやすい、
というのは、ユング自身が指摘していることです。
「自分が医者である」というイメージが、
人格を蝕んでいくんですね。
えーと、
何故こんなまわりくどい前置きをするかと言うと、
これから書くことは、個人攻撃ではなく、
医者というペルソナへの批判だ、
ということを予め分かってもらいたかったからです。
さて、本題です。
最近、他の医者のブログや書いたものを、
読む機会が増えました。
それで、幾つか思ったことがあります。
そのうちの1つを、今日は取り上げます。
「点滴の作り置き」についてですが、
「何故悪いの?」と言う意見が多いですね。
1日くらい作り置きをしたって、危険のないものは幾らもあるだろう、
と言うのです。
たとえば、心筋梗塞の後で、血管拡張剤や、
鎮静剤の持続注射をすることがあります。
大きな注射器に、生理食塩水に溶いた薬を入れて、
それをポンプでじわじわと血液の中に入れていくんですね。
一本の注射器の溶液が、場合によって、2日くらいを掛けて注入されます。
そうすると、2日間は、この溶液はある意味作り置きされている訳です。
「俺はこういう治療を毎日やっているが、
1度も感染の起こったことはない」
という記載がありました。
でもね、僕はそれは違うと思うんです。
リスクはあるんですよ。
仮にセラチア菌がその注射器の中に侵入したとしましょう。
それが丁度交換した直後だったとすれば、
12時間後には敗血症を起こしても、
不思議ではありません。
そうでしょ。
昨日紹介した1991年の事例では、
切ったアンプルを、たった1日冷蔵庫で保管していただけで、
感染が成立し、実際に被害を出したんですよ。
現実にそうした事例がある以上、
リスクはあるんです。
では何故、その医者の治療では、
それまでに1度も感染が起こらなかったのでしょうか。
答は簡単です。
たまたまなんです。
たまたま、幸運にも起こらなかっただけなんです。
それを認識していたら、
とてもこんな軽率な言い方は出来ない筈です。
リスクはあるんです。
じゃあ、何故リスクがあるのに、こんな治療をするんでしょうか?
勿論、治療の効果が、リスクよりもずっと大きいからですね。
1日以上を掛けて行なう持続点滴というのは、
そういう手技なんです。
ですから、そのリスクを頭において、本当に必要な治療かどうかを、
日々考えなければいけませんし、
感染の予防には、万全を期すべきです。
そのための材料は、山のように提供されているんですから。
今言われている感染の防御策を全てやったとしても、
リスクはゼロにはなりません。
しかし、格段に低くはなります。
格好の事例が2002年の大阪の病院での、
セラチア菌感染後の取り組みですね。
その内容は、今もネット上で見ることが出来ます。
あれを読んでいれば、
「よくやってることだし、今までトラブルになったことはないんだから、
騒ぎ過ぎなんじゃないの」
みたいな発言は決して出来ない筈です。
そして、何故こんな言い方が平気で出来るのかと言うと、
それは「俺のやっていることは正しい」という
考えがあるからですね。
それが多分この医者のペルソナなんです。
この人にとっての医者という役割像は、
「間違いを犯さない人」
なんですね。
長くなりましたので、続きは明日にします。
今日が皆さんにとって、いい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は暑くなりそうですね。
気温の変動が大きく、体調を崩しやすいので、
ご注意下さい。
今日は胃カメラの日なので、カルテのチェックをして、
今PCに向かっています。
さて、今日の話題です。
まず、前置きから。
ペルソナとは、仮面のことで、
ユング心理学のお馴染みの概念の1つです。
社会においてイメージされる役割のようなものが、
深層心理にコンプレックスを作っていて、
それが、時に自我よりも巨大な存在となって、
自我を呑み込みます。
会社人間が退職したら、抜け殻のようになるのは、
会社人間としてのペルソナが肥大していて、
それが外れると、自分が何者であるのかが、
分からなくなってしまうせいなのだ、
という風に使います。
医者という人種がペルソナに支配されやすい、
というのは、ユング自身が指摘していることです。
「自分が医者である」というイメージが、
人格を蝕んでいくんですね。
えーと、
何故こんなまわりくどい前置きをするかと言うと、
これから書くことは、個人攻撃ではなく、
医者というペルソナへの批判だ、
ということを予め分かってもらいたかったからです。
さて、本題です。
最近、他の医者のブログや書いたものを、
読む機会が増えました。
それで、幾つか思ったことがあります。
そのうちの1つを、今日は取り上げます。
「点滴の作り置き」についてですが、
「何故悪いの?」と言う意見が多いですね。
1日くらい作り置きをしたって、危険のないものは幾らもあるだろう、
と言うのです。
たとえば、心筋梗塞の後で、血管拡張剤や、
鎮静剤の持続注射をすることがあります。
大きな注射器に、生理食塩水に溶いた薬を入れて、
それをポンプでじわじわと血液の中に入れていくんですね。
一本の注射器の溶液が、場合によって、2日くらいを掛けて注入されます。
そうすると、2日間は、この溶液はある意味作り置きされている訳です。
「俺はこういう治療を毎日やっているが、
1度も感染の起こったことはない」
という記載がありました。
でもね、僕はそれは違うと思うんです。
リスクはあるんですよ。
仮にセラチア菌がその注射器の中に侵入したとしましょう。
それが丁度交換した直後だったとすれば、
12時間後には敗血症を起こしても、
不思議ではありません。
そうでしょ。
昨日紹介した1991年の事例では、
切ったアンプルを、たった1日冷蔵庫で保管していただけで、
感染が成立し、実際に被害を出したんですよ。
現実にそうした事例がある以上、
リスクはあるんです。
では何故、その医者の治療では、
それまでに1度も感染が起こらなかったのでしょうか。
答は簡単です。
たまたまなんです。
たまたま、幸運にも起こらなかっただけなんです。
それを認識していたら、
とてもこんな軽率な言い方は出来ない筈です。
リスクはあるんです。
じゃあ、何故リスクがあるのに、こんな治療をするんでしょうか?
勿論、治療の効果が、リスクよりもずっと大きいからですね。
1日以上を掛けて行なう持続点滴というのは、
そういう手技なんです。
ですから、そのリスクを頭において、本当に必要な治療かどうかを、
日々考えなければいけませんし、
感染の予防には、万全を期すべきです。
そのための材料は、山のように提供されているんですから。
今言われている感染の防御策を全てやったとしても、
リスクはゼロにはなりません。
しかし、格段に低くはなります。
格好の事例が2002年の大阪の病院での、
セラチア菌感染後の取り組みですね。
その内容は、今もネット上で見ることが出来ます。
あれを読んでいれば、
「よくやってることだし、今までトラブルになったことはないんだから、
騒ぎ過ぎなんじゃないの」
みたいな発言は決して出来ない筈です。
そして、何故こんな言い方が平気で出来るのかと言うと、
それは「俺のやっていることは正しい」という
考えがあるからですね。
それが多分この医者のペルソナなんです。
この人にとっての医者という役割像は、
「間違いを犯さない人」
なんですね。
長くなりましたので、続きは明日にします。
今日が皆さんにとって、いい日でありますように。
石原がお送りしました。
2008-06-24 08:30
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