あなたは「神の手」を信じますか? [医療のトピック]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今は朝の8時20分です。
いつもより、健診の結果をまとめたり、
紹介状を書いたりするのに、ちょっと手間取りました。
昨日は午後は閑散としていて、
またいよいよ夜逃げの準備かな、
とそんなことも思いました。
でも、今はちょっと気分がいいんです。
ここでは言えませんが、昨日ちょっといいことがあったので。
それはさておき、
テレビで「神の手」とか、スーパードクターとか、
盛んにやっていますね。
あなたは「神の手」を信じますか?
多分存在するんでしょう。
手術は技術ですから。
間違いなく、上手い下手はありますよね。
もし手術が必要な病気に掛かれば、
上手い人にやってもらいたいのは人情です。
ただ、僕はね、自分が病気になった時、
所謂名医とかスーパードクターとかと言う人に、
治療して欲しい、とは思いません。
あんまり下手じゃ、勿論困りますけど、
平均レベルの技術のある人に、
慎重にやってもらえれば、幸運かな、と思います。
それはどうしてか、ということを、次にお話します。
今テレビに出て来る「神の手」と称される先生の中で、
心臓カテーテル検査の名人と言われる人の治療の現場に、
僕は一度立ち会ったことがあります。
以前心臓カテーテル検査を少し習っていたことがあって、
その研修先の病院に、おいでになったのです。
びっくりしましたね。
乱暴なんです。
しかも、見切りを付けるのが、異常に早いんです。
勿論招かれて来たということもあるんでしょうけど、
治療のカテーテルの操作する直前までの準備は、
全て僕や僕の先輩にさせましてね、
おもむろに入って来るなり、
「わたしは〇〇です。知ってるでしょ。わたしに任せれば大丈夫」
みたいなことを患者さんに言うんです。
それから、物凄い乱暴にカテーテルを突っ込みましてね、
「よし、いいぞ。ここが難所だな。〇君、よく見ておきたまえよ。
ここでこうすると、うまくいくんだ。むっ。うまくいかんね。
こりゃ、血管が駄目だね。駄目だこりゃ。
じゃ、後は君に任せるよ」
その間、およそ数分。
「神の手」はすぐに手袋を脱ぐと、
すぐに休憩に入って行きました。
誰もがそうとは言いませんよ。
でも、僕は残念ながら「神の手」の実在を、
あまり信じる気にはなれないんです。
「神の手」というニュアンスは、
技術が人間離れしている上に、
人間として人格的にも素晴らしいという意味でしょ。
それは僕には幽霊や前世と同じくらいにしか、
信じられない世界なんです。
でも、僕は意外に幽霊も前世も信じたい気持ちはあるんです。
でも、実感がないんですね。
「神の手」についてもそういう意味合いでのことです。
ちょっと誤解を招くかも知れません。
今度はまた別の実例をお示しします。
もう診察になります。
それではまた。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今は朝の8時20分です。
いつもより、健診の結果をまとめたり、
紹介状を書いたりするのに、ちょっと手間取りました。
昨日は午後は閑散としていて、
またいよいよ夜逃げの準備かな、
とそんなことも思いました。
でも、今はちょっと気分がいいんです。
ここでは言えませんが、昨日ちょっといいことがあったので。
それはさておき、
テレビで「神の手」とか、スーパードクターとか、
盛んにやっていますね。
あなたは「神の手」を信じますか?
多分存在するんでしょう。
手術は技術ですから。
間違いなく、上手い下手はありますよね。
もし手術が必要な病気に掛かれば、
上手い人にやってもらいたいのは人情です。
ただ、僕はね、自分が病気になった時、
所謂名医とかスーパードクターとかと言う人に、
治療して欲しい、とは思いません。
あんまり下手じゃ、勿論困りますけど、
平均レベルの技術のある人に、
慎重にやってもらえれば、幸運かな、と思います。
それはどうしてか、ということを、次にお話します。
今テレビに出て来る「神の手」と称される先生の中で、
心臓カテーテル検査の名人と言われる人の治療の現場に、
僕は一度立ち会ったことがあります。
以前心臓カテーテル検査を少し習っていたことがあって、
その研修先の病院に、おいでになったのです。
びっくりしましたね。
乱暴なんです。
しかも、見切りを付けるのが、異常に早いんです。
勿論招かれて来たということもあるんでしょうけど、
治療のカテーテルの操作する直前までの準備は、
全て僕や僕の先輩にさせましてね、
おもむろに入って来るなり、
「わたしは〇〇です。知ってるでしょ。わたしに任せれば大丈夫」
みたいなことを患者さんに言うんです。
それから、物凄い乱暴にカテーテルを突っ込みましてね、
「よし、いいぞ。ここが難所だな。〇君、よく見ておきたまえよ。
ここでこうすると、うまくいくんだ。むっ。うまくいかんね。
こりゃ、血管が駄目だね。駄目だこりゃ。
じゃ、後は君に任せるよ」
その間、およそ数分。
「神の手」はすぐに手袋を脱ぐと、
すぐに休憩に入って行きました。
誰もがそうとは言いませんよ。
でも、僕は残念ながら「神の手」の実在を、
あまり信じる気にはなれないんです。
「神の手」というニュアンスは、
技術が人間離れしている上に、
人間として人格的にも素晴らしいという意味でしょ。
それは僕には幽霊や前世と同じくらいにしか、
信じられない世界なんです。
でも、僕は意外に幽霊も前世も信じたい気持ちはあるんです。
でも、実感がないんですね。
「神の手」についてもそういう意味合いでのことです。
ちょっと誤解を招くかも知れません。
今度はまた別の実例をお示しします。
もう診察になります。
それではまた。
石原がお送りしました。
2008-04-11 08:48
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